カテゴリ:日向ぼっこしませんか
謝ったのに許してもらえないって、ほんと切ないですよね。
許せないほどのことを相手にしたってことなので、本(もと)を正せば自分が悪いのですが、その非を認め心から反省し誠心誠意詫びても、それを拒絶されてしまうと、どうしようもないというか。 先日、『ばらかもん』(原作:ヨシノサツキ)というアニメをテレビで拝見していて、こんな台詞が出てきました。 「はー良かったー。許してくれて良かったー。謝っとはばり怖かね。でも謝って良かったー」 小学1年生の女の子・琴石なるが、この物語の主人公に向かって台詞です。 主人公の男性は23歳の若き書道家・半田清舟。通称「先生」。 先生は、謝るなるにこう返します。 「どなってごめんな」 謝るとき、人は「自分が悪い」と思ったからこそ謝るものなんじゃないかな、と思います。 だから、なるが言うように、ほんとに怖いものじゃないかと。 非を認めているらこそ、許してもらえなかったらどうしようという想いも生まれるからです。 それでも、なるは、その怖さを乗り越え謝ります。 先生が「どなってごめんな」って返してくれたとき、なるは本当にうれしかったと思います。 そして、謝ったことを心から良かったと思えたんじゃないかと。 このシーンを観ていて、そんなことを感じました。 相手を許せないほど腹を立てるって、もちろん誰にでもあると思います。 けど、ちょっと立場を逆に置き換えてみると、どうでしょう。 自分も思いがけず誰かを傷つけていたりすることもあるんじゃないかな、と。 子育てをしてる中では、「ごめんなさい」はしょっちゅう出くわす台詞です。 子どもって、悪いことや過ちをおかしつつも、それを経験として積み重ね成長していくもの。 「ごめんなさい」は、親にとって、ちゃんと気づいてくれたんだなあ、わかってくれたんだなあという、とても意味のある大事な言葉です。 許せないほどのことをしたんだから、許さないのは当然。 そんな気持ち、誰にでもあると思います。 自分の子どもじゃないから、そんなに仲の良い相手じゃないから。 相手によって態度を変えるということももちろんあると思います。 けれど、それでも思うのです。 お互い様。 そんなふうに、ちょっと相手に心を寄せながら、互いに謝ったり、許したり。 人と人が触れ合いながら暮らす世の中だからこそ、そんなふうに、ともに成長していくことができたらどんなにいいかって。 木々の間から落ちる木漏れ日の中、少しの間、ゆっくり日向ぼっこ。 ほんのちょっぴり心も一緒にあたためながら、今日からしばらく日記を書き続けてみようと思います。 とはいえ、そういう私にも、どうしても許せないだろうなと思うことがひとつだけあって。 それは、また次の機会に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014/11/03 06:05:14 PM
コメント(0) | コメントを書く
[日向ぼっこしませんか] カテゴリの最新記事
|
|