カテゴリ:日向ぼっこしませんか
アメリカのCBSで放送されている『クリミナルマインド』。
犯罪者の行動を分析し、事件の解決に挑むテレビドラマです。 小説もミステリーを好んで読む私は、このドラマが大好きで。 番組の特徴としては、毎回、冒頭とラストに格言などが引用されます。 現在、第10シーズンが放送されている模様。日本での放送も楽しみにしています。 このクリミナルマインドの第3シーズンの19話で、娘を失った父親の苦悩が描かれていました。 その苦悩は「許せない」という言葉では足りないほどのものでした。 この回の最後はイギリスの詩人であるウィリアム・ワーズワースの詩で締めくくられています。 (ここでは、『クリミナルマインド』第3シーズン19話での訳を引用させていただきます。) 「かつてのあの眩(まばゆ)いきらめきが 今や永遠に奪われても たとえ二度と戻らなくても……」 娘が好きだった…と、父親が唱えるのですが、その先は声になりません。 そして、行動分析チームの特別捜査官がその先を続けます。 「あの草原の輝きや草花の栄光が帰らなくても 嘆くのはよそう。 残されたものの中に力を見い出すのだ」 実は、私も今、とてもつらい出来事と向き合っています。 24時間、夢に出てこないのが何より救いですが、寝ているとき以外はそればかりに気持ちが囚われ、ただただつらい時間を過ごしています。 そんなとき、再放送でこの言葉に出会いました。 例えば、きれいな夕日をみたときは、なんてきれいな夕焼け空なんだろうと思います。 例えば、反抗期中の次男が話しかけてきたとき、たまには話してくれるんだな、とうれしくなります。 例えば、長男が大皿のおかずを自分の小皿に取り分けたあと、箸を他の人が取りやすいような向きに置いてくれたとき、どこでそんなことおぼえてきたんだろう、偉いぞって思います。 うまくできているなと思うのですが、人は同時にふたつのことを考えることができません。 ほんの一瞬であっても、私はその瞬間、「つらいこと」ではない、ほかのことを考えているということです。 私にとっては、それが「残されたもの」ではないだろうか。そう私は考えました。 それから、こうした小さな出来事を、できるだけ意識的に考えるようにしてみました。 だからといって、つらさが和らぐわけではありません。 そうした出来事で、つらさに蓋をしようと思ったわけでもありません。 無理やり蓋をしてしまうと、結局は、心の奥底にくすぶったままで残ってしまうので、それはしたくないと思いました。 ただ、ほんの少し。 つらさばかりにとらわれているのではなく、「残されたものの中に力を見い出す」ことに目を向けてみようと思ったのです。 どんな小さなことでも、「残されたもの」はきっとある。そんなふうにも思います。 どんなにつらくても、喉を通らなくても、例えば口にする食事に目を向けてみたりするのもいいかもしれません。 メニューを書きとめたり、同じ食材を使った自分なりのメニューをあれこれ考えてみたり、それをブログに綴ったり。 そこから新たな出会いがあったり、違う道が切り開けたりすることもあるかもしれませんよね。 つらい出来事は、まだまだ私にのしかかっていて、そう簡単にはいかないのが悲しいところ。 だって、つらいものはつらい。 だから、ムリをするんじゃなく。 だけど、うまく折り合いをつけながら。 少しずつ進んでいけたらいいなと今は思ってます。 つらい出来事に出会って、その立場になってみて、初めてわかることが多いと感じたのが、この日記を書き始めたきっかけ。 そんなことにちょっと触れつつ、しばらく書き続けてみようと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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