テーマ:名古屋だがねぇ。。(558)
カテゴリ:名古屋・東海地方の伝統文化
◆本丸御殿とは‥ 『名古屋城本丸御殿は、慶長17年(1612年)5月頃建築に着手し、慶長20年(1615年)2月に完成した書院造りの建物です。 当初は、藩主義直の住居・政庁として使用されました。その後、藩主義直が新しく建てられた二之丸御殿に住まいを移したため、以降は将軍の上洛の際の宿舎として使用されました。 かつて名古屋城の本丸には、天守閣とともに「本丸御殿」がありました。 本丸御殿は、日本建築史・絵画史・工芸史上、最も豪壮華麗といわれる安土桃山から江戸期にかけて造営された近世城郭御殿の最高傑作で、国宝になっている京都の二条城二之丸御殿と双璧をなす建物でした。 昭和5年(1930年)12月に名古屋離宮が廃止、12月11日に名古屋市に下賜され、12月13日には国宝として指定を受け、昭和6年12月から一般公開されました。 また、昭和7年12月には、名古屋城が史跡の指定を受けています。 なお御殿内の襖絵などの障壁画345面(天井絵を除く大部分の絵)は、昭和17年6月に国宝の指定を受けました。 昭和20年5月14日、戦災で約3000平方メートル(千坪)に及ぶ世界的な文化遺産とも言える建物は天守閣などと共に焼失しましたが、取り外しできた襖などは別の場所に移されており無事でした。 その後、文化財保護に関係する法制度の改正により、これらの襖などに書かれた1047面(天井板絵を含む) の障壁画は、改めて国の重要文化財に指定されています。 現在は、跡地に礎石が残るのみとなっています。(名古屋城本丸御殿の関連サイトから抜粋・転載)』 ☆ご訪問、ありがとうございます☆ 皆様のお陰で、順位が少し復活してきました~。 ↓ご訪問の記念に、ポチっとクリックお願いします♪ 本丸御殿復元イメージ図 本丸御殿障壁画復元模写名古屋城本丸御殿復元PR 名古屋城本丸御殿積立基金にご協力を ◆本丸御殿の復元について‥ 名古屋市では、名古屋城築城開始400年にあたる2010年(平成22年)を迎えるにあたり、市民の理解と協力を得ながら、世界的な文化遺産であった本丸御殿の復元をめざしています。 焼失前の詳細な調査によって、実測図面も残されており、技術的には忠実な復元も可能とされています。 本丸御殿復元のために、有識者による「名古屋城本丸御殿復元課題検討委員会」を設立し、復元時代設定、活用方法、市民参加の方法を検討しています。 ◆名古屋城の石垣は‥(※「本丸御殿の復元工事」と直接関係はありません) 徳川家康が延べ20万人を動員し、わずか半年で完成させたと言われる名古屋城の石垣も30年前から“耐震化”修復工事中ですが、完了したのは全体のごくわずか。 取り壊されて修復作業を待つ石垣の解体作業や積む作業には、発掘作業も兼ねて1日20個が限界。 「すべての石垣を直すには、百年あっても足りない」との声もあります。 ◆名古屋市民ボランティア活動としての「春姫道中」‥ 本丸御殿フォーラムでは、御殿復元の啓発運動として「春姫道中」を今年も4/16(日)に実施。 本丸御殿の最初の住人であった、春姫・義直を主役に御殿再建の機運を高めます。名古屋のメインストリート・大津通りを経由して、名古屋城まで練り歩き、最大のハイライト「御殿はどこじゃ!」の春姫の儀式を催し、松原名古屋市長に早期復元の提言書を渡します。 ◆夢童(むどう) 由里子さんの思いとは‥ 副会長で人形作家の夢童 由里子さん(名古屋市在住)は、京都出身。 夢童さん作の「ハイテクからくり」は、市内の各所にも設置されています。 彼女いわく、「京都には、二条はん(二条城)が京都人の拠り所として当たり前のように存在している。 名古屋城の本丸御殿も、名古屋人の拠り所として復元したい」とのことです。 私も、名古屋市民の一人として「本丸御殿の復元」には大いに賛成しています。 ささやかながら、微力で寄付もしようと思っています。 文化不毛の地といわれる「かつての城下町」の本丸御殿が、昔ながらの趣が感じられるよう復元されるのは、市民やボランティアの協力がなくては実現できません。 同じく戦災にあった欧州の歴史的な町並みや歴史的建造物も、住民の協力なしでは復興はできなかったとききます。 是非、名古屋市民以外でもこのような取り組みに興味を持ったり、賛同して下さる方が増えることを願っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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