名古屋市天白区 #2『秋葉山 慈眼寺』
名古屋市天白区大根ケ越針名神社の北側に隣接する秋葉山『慈眼寺』木々に覆われ真っ直ぐ伸びる緩やかな参道参道入口の曹洞宗の文字が消された寺号標秋葉山休跡斎の碑・・・・・とは?京都御所炎上の鎮火祈願で京に上った遠州秋葉山の三尺坊尊、帰路この地に立ち寄り創建したとあるが、この跡はその事を指しているのか?駐車場脇の由緒書き御嶽神社もあるようです参道入口右の戦没者慰霊碑と顕彰台平和な日々を過ごせることに感謝、お参りしてから参道へ天白区史跡散策路「姫街道とハイキングコース」より明治の戦争に従軍した人々の忠魂碑と昭和の戦争での戦没者を祀った顕彰台などがあり、毎年4月に慰霊祭が行われている。参道中ほどの左に「徳又迦龍王堂」に導く看板、行ってみました龍王とは雲を呼び雨を降らせる神力をもつと云われ、雨乞いや止雨の祈願の神として信仰されるそうです法華経の守護神八大龍王は仏教を守護する天龍八部衆の一つ、龍族の難蛇(なんだ)龍王、跋難蛇(ばつなんだ)龍王、沙竭羅(しゃから)龍王、和修吉(わしゅきつ)龍王、徳叉迦(とくしゃか)龍王、阿那婆達多(あなばだった)龍王、摩那斯(まなし)龍王、憂鉢羅(うはつら)龍王の八王を指すようです徳叉迦龍王は雨を司る神として崇められます一方で龍王の怒りに触れ、龍王に凝視された者は絶命するという怖い反面を持ちますメドゥーサのような、かみさんのような堂は左に折れてすぐ山の斜面にへばり付く様に建つ小さなものです堂内は御嶽講のシンボルマーク山○三の香台が目に入りますその上にとぐろをまく蛇石が祀られています徳又迦龍王堂を後にほどなく広々とした空間が開けます正面左は手水舎と石段、中央がスロープその先は慈眼寺に、右が御嶽神社へつながります石段左の手水鉢と龍両脇の奉納幟と石段の先の本堂慈眼寺本堂全景木肌の色、各所に施された彫飾りといい、光物はないけれどシックで落ち着いた建物です秋葉三尺坊大権現と毘沙門天を祀る本堂掲げられた扁額も味がある(・・・・・はぐらかしては見たが、すっきりしないので正直に、実は最初の字が読めない)『秋葉山慈眼寺』 天白区史跡散策路「姫街道とハイキングコース」より809年(大同4)、京都御所炎上のとき、遠州の三尺坊尊が火災を鎮めるため京へ上り、その帰路当地に立ち寄り「鎮防火燭」の直筆を残された。これによって創建されたその後、1560年(永禄3)織田信長が桶狭間の合戦の折、この山に祈願して勝利を得たので、三尺坊の尊像を奉納した。現在も、神仏混合の珍しいお寺で、神仏の行事が修行されている。参道には、藤棚としだれ梅、ぼたん桜の並木がある。なお、毎年12月16日に火渡り神事が行われる。堂の左に大太鼓太鼓を三回打ち、置かれている黒豆を歳の数だけ祈念して三宝にうつすと、まめでくろじになるそうです小さな境内から本堂全景本堂右の観音堂、「聖観世音菩薩」と「十一面観世音菩薩」が祀られますこちらの堂前には四角い開運大太鼓が置かれています「家の四隅を払って、福は内、鬼は外、厄よけ・入学成就・家内安全・身体健全・交通安全・七難即滅・七福即生を祈念して、太鼓を三回打って福豆を歳の数だけ、三宝へうつして下さい」との事大変な作業です観音堂の右にある龍王堂近年補修されたばかりの御堂は八代龍王を祀ります徳叉迦龍王はここでも祀られている事になります龍王堂の更に右奥ノ院へ導く案内板と石標、その左に御堂が見えますがそれだと嬉しいが暗い堂内に大天狗、小天狗の奉納提灯神仏分離以前の神道と仏教が混在する寺です奥ノ院へ続く山道の先に奥ノ院が見えて来ます堂の扉が開いています堂内に祀られる、剣を持った大日大聖不動明王良く覗えないものの、相変わらず怖そうな表情です慈眼寺の境内右側にある御嶽神社山○三の紋が入る霊神碑が並びます手水舎の横から境内に入るもう一本の参道を下ってみる事に参道は慈眼寺から民家の前を通り北側道路につながっていました入口に針名神社と「秋葉山 慈眼寺」の標、ここは裏参道にあたるのかな?ここから慈眼寺方向を見上げる修験霊場として信仰される山も、今では住宅の広がる丘陵地ですが毎年12月16日の「秋葉山火渡り神事」は今も引き継がれています秋葉山 慈眼寺創建 / 809年(大同4)とされる本尊 / 聖観世音菩薩、十一面観世音菩薩、八大龍王、大日大聖不動明王等住所 / 名古屋市天白区天白町大字平針大根ケ越206アクセス / 地下鉄鶴舞線「平針」下車 徒歩15分程