車中泊で紀伊國一之宮と大和國の一之宮巡りと紀三井寺の秘仏特別御開帳
コロナ禍で見合わせ続けて来た紀伊國と大和國の一之宮巡り、紀三井寺の秘仏特別御開帳が6/28までという事もあり、自粛解除の流れに乗り6/26.27の二日間で巡ってきました。車検を終えずっと出番を待っていたおやじの旧車、名古屋から6時に高速に乗り、快調に走っている。変速ショックやエンジンの乱れも随分と改善され、これなら道中不安を覚える事はないだろう。高速の交通量も随分と戻ってきたようで交通量は多い、やはりバスの姿は皆無、法定速度+10km/hの定速走行。7:25 朝食のため亀山PAでひと休み。かみさんのお目当てだった「littlemermaid」の「とろ~り半熟卵のカレーパン」を買い求め・・・・・?、「ない!」出来上がりまで10分程とのこと、道中を気にしている彼女だが、表情に「カレーパン食べたい」と書いてある。急ぐこともない、出来上がりを待つことにした。間もなく出来立ての「とろ~り半熟卵のカレーパン」が、外はカリカリ食感で生地はふんわり、中にはカレーと半熟卵の入ったものだ。出来立ての温かいカレーパンは待っただけの事はあった。これでコーディネーターの目的の一つはクリア。さあ、朝御飯も食べた、目的地の和歌山へ向かおう。最初の目的地「日前神宮」と「國懸神宮」へは10:30到着創建二千六百餘年を溯り、鳥居から先は杜が取り囲み、玉砂利の敷かれた参道が杜の奥に続きます。参道は突き当り、二つに分かれ右に「國懸神宮」、左に「紀伊國一之宮日前神宮」へ続きます。同じ境内に二社の大社が座し、日前宮とも呼ばれます。木漏れ日のさす境内に照らされる社殿は厳粛な雰囲気が漂い、参道沿いには多くの摂社がある。『日本書紀』に関りがあり、日前宮には天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が祀られているとの記述が残り、日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体とし日前大神を奉祀、國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神をお祀りしている。コロナ禍の影響だろう、参拝客は少なく、静かで厳粛な空気感が漂う居心地のいい神社の印象を受けました。紀伊國一之宮 日前神宮祭神 / 日前大神(ひのくまのおおかみ)相殿 / 思兼命(おもいかねのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)御神体 / 日像鏡國懸神宮祭神 / 國懸大神(くにかかすのおおかみ)相殿 / 玉祖命(たまのやのみこと)、明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)、鈿女命(うづめのみこと)御神体 / 日矛鏡創建 / 神武天皇2年(紀元前659年)住所 / 和歌山市秋月365日前宮から車で下道を走る事約20分程、もう一つの紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」に到着。このあたりは和歌山県の南東にあたり、周囲を山で囲まれた所謂盆地で山東盆地と呼ばれる緑が残る田園地帯。伊太祁曾神社はその西の丘陵地に鎮座します。祭神は、五十猛命(いたけるのみこと)で 『日本書紀』には、我が国に樹木を植えて廻り、緑豊な国土を形成した神様であると記されているそうですが、まさしく緑豊かな周辺環境の中に神社は鎮座しています。古くから人が住んでいたのでしょう、神社の向かいには古墳も残ります。旧称は山東宮と呼ばれた紀伊國一之宮。社伝によれば古くは先程の日前宮の地に祀られていたそうだが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神を同所で祀ることになり、その地を明け渡したとされ、その際、現在の鎮座地近くの「亥の杜」に遷座、和銅6年(713年)に現在地に遷座したとされる。一ノ鳥居から緩やかに上る参道、左手の小高い森は「伊太祁曾古墳」でニノ鳥居はその右に建つ。鳥居からは赤い橋の先に境内が広がり、城壁の様に積まれた石垣の上に拝殿が建ち、石段を上ると本殿と脇殿が鎮座する。本殿は五十猛命(いたけるのみこと)、脇殿左が大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)、脇殿右が都麻津比賣命(つまつひめのみこと)と五十猛命の妹神が祀られています。何れも檜皮葺流造で外削ぎの千木に3本の鰹木が施されています。左手には蛭子神社、霊石のおさる石が安置されています、この石を撫でれば首から上の病に霊験あらたかされるそうです。左脇拝殿の左に気生神社、五十猛命の荒御霊祀った摂社がある。その他に本殿の裏斜面には「いのちの水」が湧く「御井社」、祇園神社や磐座などが祀られています。緑豊かな水田地帯、小高い山に鎮座する伊太祁曾神社は、日常の雑念から解き放ってくれる、静かで落ち着いた佇まいの神社でした。紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」祭神 / 五十猛命(いたけるのみこと)左脇殿 / 大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)右脇殿 / 都麻津比賣命(つまつひめのみこと)創建 / 和銅6年(713年)住所 / 和歌山県和歌山市伊太祈曽ぼちぼちお腹も空いて来た、お昼は伊太祁曽神社から車で20分ほど西の和歌山市塩屋6丁目へ移動。和歌山ラーメンを食べに行くそうな。丸三中華そば外観は小さな食堂の印象。とんこつの香りが漂う店内へ。テーブルにはなぜだか海苔巻きと早すし、茹で卵が置かれています。「ラーメンが届く間これを食べていてくれ」的な感じで無論お代がかかります。「中華そば」をオーダーし、どれどれ早すし頂くか。開けて見れば鯖寿司だね、個人的にはもう少し酢を利かせてほしいところですが鯖大好き人間にとってはたまらない。ペロッと二つたいらげる、ラーメンライスみたいなもんか。こうしたシステムはこの辺りでは当たり前の食文化のようです。すぐにやってきた「中華そば」、見た目は醤油ラーメンというより豚骨みそラーメン。具はメンマ、ネギ、チャーシュー、蒲鉾で、 スープはとんこつ強めの醤油系。 これがおやじにジャストフィット。過去のイメージは醤油辛い印象でしたが、それは一変しました。油の旨味が口に広がり、濃厚な味わいで麺ともよく絡みとてもおいしい。和歌山ラーメンうまい、くせになるかも。我が家評価☆4つ丸三中華そば住所 / 和歌山県和歌山市塩屋6定休日 / 日曜・祭日お腹も満たされ次の目的地「紀三井寺」へは車で10分程です。秘仏特別御開帳が6/28までという事もあり、このタイミングを逃せば二度とお目にかかる事はないだろう。(特別御開帳は50年に一度)紀ノ川河口平野の南部にある名草山麓の門前町から赤い楼門を目指す。こちらには赤いシリーズとしてこの他に1,500年前後に建立された多宝塔、鐘楼などがあり、何れも国の指定文化財に指定されています。楼門からは231段の石段を上る事になります、この坂は結縁坂とも呼ばれ、一緒になりたいパートナーと上ると願いが叶うとされます。特別拝観料1,000円をお支払いし本堂内陣の逗子の横から、収蔵庫に続く廊下を進みます。収蔵庫の内部正面に五体の仏像が公開されていました。正確に言えば一番右の十一面観世音菩薩立像は京都に只今出張中で五体。左から上の写真順に並んでいます。中央が今回の目玉となる二体。左が本尊の十一面観世音菩薩、右が千手観世音菩薩。左が梵天立像、右が京都へ出張中の十一面観世音菩薩立像。ここは櫻の寺かも知れません、境内には多数の桜の木を見かけます。28日までの御開帳ですが訪れる方は少なかった。紀三井寺山号は紀三井山、院号は護国院、寺号は金剛宝寺。創建は770年(宝亀元年)とされ、西国三十三所第2番札所である。本尊は今回御開帳された十一面観世音菩薩。住所 / 和歌山県和歌山市紀三井寺1201さて231段を上り下りし駐車場に戻る、予定の時間に対し余裕があるとかでここから西に10分程の「紀州東照宮」に参拝することとしました。「紀州東照宮」一の鳥居から参道の眺め。石段の予感がする、予感は現実のものとなり、楼門の前には一直線に続く急な108段が待ち構えていた。石段の左には緩い石段と書かれているが、こうした道は遠回り以外の何物でもない、直登あるのみ。急な石段で有名な紀三井寺、和歌浦天満宮、紀州東照宮の3ヵ所、合計389段を「和歌の浦急峻三社寺巡り」といい一日で回るらしい。すぐ左には残る和歌浦天満宮が鎮座するだけに、チャレンジしてもいいかとも思ったが結構足腰に来る。無理は禁物、天満宮は見送ろう。108段を登り切ると楼門の先に拝殿が視界に入る。所謂東照宮です。権現造の社殿は豪華絢爛そのもので「関西の日光」ともいわれるそうです。祭神は徳川家康、紀州藩初代藩主の徳川頼宜。創建は1621年(元和7)とされる。紀州東照宮さすがでございます。この道中、我が家の天気予想では雨を想定していましたが、雲はこの辺りを避けるように過ぎていきます。陽射しは強くこんなはずではなかった、予定外の108段、汗びっしょりです。これで初日の計画は全て達成、後は紀ノ川沿いに国道24号線を遡り、今宵の宿となる道の駅紀の川万葉の里を目指すだけですが、ひとっ風呂浴びないとやってられない、かみさんが道すがらのスーパー銭湯を検索してくれたのでそこで汗を流す。スーパー銭湯「極楽温泉幸の湯」比較的新しく、湯舟も種類が豊富おやじは寝湯と電気風呂がお気に入り、汗を流すどころかしっかり居眠り。心地よい眠りから目覚めるとかれこれ1時間、これはかみさんお怒りだろう。慌てて着替え待合室へ。15分程待たしてしまったようだ。ここでビールをひっかけご飯もいいけれど、道の駅周辺にファミレスがあるらしい、ビールはそこまで我慢。国道24号線沿いの道の駅紀の川万葉の里へは6時30頃到着。周囲は自然豊かで一歩出れば紀の川が流れその先の山並みの遥か先が高野山。道の駅ではツバメが子育て真っ最中、そこかしこに巣が掛けられ、駐車場を飛び回っている。のどかな光景だ、トイレも綺麗でかみさんにとっては嬉しい。大きな木の下に車を停め、晩御飯(ビール)を食べにファミレスへ。こんなに暑い日とは、まずはさておき冷たいビールで今日一日お疲れの乾杯。ご飯もそこそこにビールで涼を取り車に戻り二次会へ、ところがここは民放がかろうじて一局入るが電波の通りが良くないようだ。夜中に雨が降りそうな気配が漂う、二次会はそこそこに眠りにつく。翌朝の光景、空はどんより。結局夜も雨は降らなかった、今日は降るだろう。二日目の目的地は「風猛山 粉河寺」、ここから紀ノ川沿いに15分ほど下流あたります。途中、地元に24時間営業のスーパーで朝御飯と地元の酒を買い求め粉河寺へ向かう。西国33所巡りの第三番札所開創は770年(宝亀元年)と云われ、鎌倉時代には七堂伽藍、五百五十ヶ坊、東西南北4キロ余の境内地と寺領四万余石を誇っていた、1585年(天正13)豊臣秀吉の兵乱に遭遇し、堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失した。後に、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期にかけて現存の諸堂が形作られた。個人的な見所は金剛力士を祀る赤い大門、四天王を祀る中門、西国33所巡りの寺では最大で複雑な屋根構造を持つ本堂ではないだろうか。更に本堂左の石段の先に粉河産土神社、本堂の手前には巨岩を組んで作られた枯山水の庭園「粉河寺庭園」などがあり、見所が多い寺で境内は剪定も行き届き、とても居心地のいい寺の印象です。桜の時期にまた訪れてみたい、その頃は華やかな一面を魅せてくれるのではないでしょうか。「風猛山 粉河寺」創建 / 770年(宝亀元年)山号 / 風猛山本尊 / 千手千眼観音菩薩西国33所巡り / 第三番札所住所 / 和歌山県紀の川市粉河2787さて和歌山県とはここでお別れ。今回最後の目的地は、ここから京奈和自動車道と国道24号を経由し、奈良県桜井市に鎮座する「大和国一之宮 大神神社」に向かいます。ざっくりと1時間半程の移動時間となります。大神神社は三輪山を御神体として直接拝するため、所謂本殿は存在しません。三輪山には上から奥津磐座、中津磐座、辺津磐座と3つの磐座があり、この拝殿から三輪山を仰ぎ見る古来の形態を留め、現在の拝殿が建てられる以前は拝殿奥の明神鳥居を繋げたような変わった形態の三つ鳥居とそこに続く玉垣があっただけだという。主祭神は大物主大神、配祀神は大己貴神、少彦名神 を祀る。現在では三輪山の麓から山嶺にかけて多くの神社が祀られ、三輪明神として親しまれています。おやじ大好きの造り酒屋、その軒先で見かける杉玉は、大神神社で毎年11月に行われる酒祭で、拝殿に吊るされたことが始まりでそれが各地に広まったという。今回訪れた寺社の中では訪れる参拝客は圧倒的に多い。こんな時期なので閑散としているのかと思っていたが、社頭の大鳥居から駐車場待ちの車が列をなす程。ニノ鳥居でも人波が途切れるのを待っていたがその機会は訪れなかった。これでも参拝客は少ないのだろうが、こんな時だからこそ多くの人が訪れているのかもしれない。車を駐車するのであれば歩きが増えますが入口の大鳥居付近が入るも出るも便利でお勧めかも。大和國一之宮 大神神社創建 / 不明主祭神 / 大物主大神配祀神 / 大己貴神、少彦名神 住所 / 奈良県桜井市三輪1422写真上は久延彦神社から見た大鳥居。三輪の町に大神神社の巨大な鳥居が存在を主張しています。参拝の後は遅い昼ご飯、もちろん三輪そうめんという事になります。写真は三輪そうめん山本の「冷やしそうめん」ソーシャルディスタンスの関係から一時間待つことになりました。二日目も雨は降らず暑い一日、冷たくて喉越しのいいそうめんが恋しくなる時期です。写真は大盛、税込み1,280円三輪そうめん山本住所 / 奈良県桜井市箸中880コロナ禍が納まる兆しは全くないものの、形上の制限解除になり一気に以前に戻った錯覚を覚えますが、上手に付き合っていくしかありません。人波が少ない所を選んで出かけるのも必要なのかもしれませんね。