二泊三日で岡山・鳥取・兵庫「一ノ宮巡り」day1
ずっと見送っていた全国一ノ宮巡り。10/24~26日にかけて岡山、鳥取、兵庫県に鎮座する一之宮を参拝してきました。今回は車での移動、ガソリン価格が高騰したこの時期、走行距離は1,000㌔になり、燃費の悪いおやじの車にはつらいものがある。今回、初日は車中泊で計画したので致し方ない。名古屋から5:30に高速に乗り、ひたすら高速を法定速度+10km/hで西に移動する行程。高速道路では久し振りに観光バスが連なって走る光景を見るようになった。ワクチン接種も進み世の中動き出した事を実感する。まずは初日最初の目的地、岡山県北部の津山盆地に鎮座する「中山神社」へ向かう。途中二か所で小休憩を取りながら、岡山県津山市一宮に鎮座する「美作國一ノ宮 中山神社」到着が10:45。鳥居前の樹齢800年とも云われる巨大なケヤキ「祝木」に迎えられ駐車場に車を乗り入れる。宣言下で帰省を見送っていたのだろう、七五三参りを兼ねて里帰りした他府県ナンバーの車も結構多かった。また、地元のウオーキングイベントも開催され境内は賑わいをみせていた。花崗岩で作られた大鳥居は1791年(寛政3)に造られ、木鼻のない「中山鳥居」と呼ぶもの。大きな狛犬の先にある神門は津山城二の丸にあった四脚薬医門を明治初頭に移築したもの。創建は707年(慶運4)の創祀とされ、美作國の一ノ宮で鍛金、冶工、採鑛の守護神で農耕・牛馬の守護神として崇められている。現在の社殿は1559年(永禄2)、出雲国富田城〃主の尼子晴久により18年の歳月をかけ再建されたものだと云う。社殿は中山造と呼ばれる檜皮葺で、入母屋妻入りの本殿に、入母屋造平入の向拝が施された拝殿が連なるもの。一ノ宮の風格漂う落ち着いた佇まいで国の重要文化財に指定されている。主祭神は鏡作神(かがみつくりのかみ)、相殿神は石凝姥神(いしこりどめのかみ)、天糠戸神(あめのぬかどのかみ)社殿左に末社の総神殿、国司社、御先社、猿神社が祀られています。美作國一ノ宮 中山神社創建 / 707年(慶運4)主祭神 / 鏡作神、相殿神 / 石凝姥神、天糠戸神末社 / 総神殿、国司社、御先社、猿神社所在地 / 岡山県津山市一宮695さあ次は鳥取方向を目指し国道53号線と中国横断自動車道で鳥取ICを目指し北上する。少し遅め(13:30)の昼食をとる為、道の駅「清流茶屋かわはら」に立ち寄る。千代川右岸の扇状地にある道の駅で鳥取自動車道とも繋がっている。対岸には河原城(復元された資料館)が望める。場内のすなばcoffeeでランチと考えていたが人も多く、屋台の軽食で済ませ再び走り出す。鳥取ICから国道9号線、29号線を経由し鳥取平野を東に横断し、因幡國一ノ宮宇倍神社へ。移動時間30分程で鳥取県鳥取市国府町に鎮座する「因幡國一ノ宮宇倍神社」駐車場に到着。時間は14:30ながら今一つ晴れきれない空模様、この時期は日暮れも早く境内の燈籠には既に明りが灯る。一ノ鳥居から続く石畳は杜に続き、狛犬が守護する石段を上る、参道は左に続きニノ鳥居から先に長い石段が境内に続いている。国府町を見下ろす山裾の境内、そこに648年(文化4)に創建された社殿が広がります。現在の社殿は1898年(明治31)に完成、その姿は当時の5円札にも載せられた程で、大正、昭和にも社殿が図柄として取り上げられ、お金に縁があり商売繁盛の神様、子供の神様、長寿の神様として崇敬されている。祭神は武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)檜皮葺きの本殿、幣殿、拝殿の伽藍は648年(大化4)の創建以降、幾度か再建され、切妻造妻入の幣殿と入母屋造妻入の向拝屋根持つ拝殿、その先の本殿は1898年のもので三間社流造の正面に縋破風向拝が付き、斜めからの姿は優美なものがある。本殿左奥には御祭神終焉の地とされる双履石、国府神社が鎮座する。参拝を終え時計を見れば15:20、そろそろ宿泊地に向かうのかと思いきやもう一社参拝する様だ。おやじの独り言「全国の東照宮が・・・」を覚えていてくれたようで、「鳥取東照宮」を計画に入れてくれていた。東照宮へはここから北東方向に車で20分の移動時間だ。「因幡國一ノ宮宇倍神社」創建 / 648年(文化4)主祭神 / 武内宿禰命境内社 / 国府神社所在地 / 鳥取県鳥取市国府町宮下1008鳥取市上町の市内中心地、県庁や鳥取県警が置かれる地域で、樗谿公園の東端に「鳥取東照宮」は鎮座する。鳥取市歴史博物館第二駐車場到着は15:20、そこから右手方向に歩いて行く、やがて正面に控え柱を持つ木造の鳥居が現れます、額には東照宮と記されている。園内のもみじは一部色付きはじめ秋本番の到来を告げていた。社殿はそこから左方向に進み、瓦葺で重厚な趣のある神門をくぐり、参道を進んだ左側に随神門、その先に社殿が広がっています。地方には徳川家への忠誠の証としてこうした東照宮が建てられ、鳥取藩の東照宮がここになります。鳥取東照宮は因幡東照宮(いなばとうしょうぐう)と呼ばれ、1874年(明治7)から2011年(平成23)までは樗谿神社(おうちだにじんじゃ)と称していた、 2011年(平成23)、本来の名称が「因幡東照宮」だった理由から現在の鳥取東照宮へ改称した。創建は1650年(慶安3)、鳥取藩初代藩主「池田光仲」により日光東照宮から勧請、因幡東照宮として建立されたもので祭神は、主神の東照大権現、配神は池田忠継、忠雄、光仲、慶徳を合祀する。社殿は権現造で東照宮の煌びやかなイメージとはかけ離れ、欅の白木の質感を生かしたもので簡素でありながらも飾り金具などには葵の紋が散りばめられ、本殿桁に左甚五郎の手による鷹の彫飾りがあるそうだ。本殿、拝殿・幣殿、唐門は国の重要文化財に指定されている。本陣山の南東の木立に囲まれた麓に静かに佇む素朴な社殿、家康が望んでいた姿なのかもしれない。「鳥取東照宮」創建 / 1650年(慶安3)主祭神 / 東照大権現、配神 / 池田忠継、忠雄、光仲、慶徳所在地 / 鳥取県鳥取市上町87さあ、いよいよ宿泊予定地に向かうと見た、なぜ?それは「地元スーパーに寄る」かみさんの一言で分かろうというものだ。地元スーパーで地元の酒にとうふちくわ、ハタハタの素揚げなど食材を買い求め冷蔵庫に放り込む。国道9号線を西進し「道の駅神話の里白うさぎ」へ、移動時間は30分程。鳥取市白兎、道の駅到着は17:00、既に夕闇が迫ったころだった。国道9号線沿いに建ち、目の前は因幡の白うさぎで知られる「白兎海岸」施設に隣接し白兎神社、徒歩で廻れる範囲に神話の舞台となった淤岐之島、白兎川下神社などがあり拠点にするには絶好かも知れない。既にキャンピングカーや車中泊の車が何台か駐車しており、国道から離れた山側に駐車、まずは車内を宿泊モードに切り替え。さあ宴会? いや〃、まだ〃足元が明るいので白兎神社参拝に向かう。道の駅の中心に石の明神鳥居を構える社頭があり、石畳と石段が山裾に続く、やがてニノ鳥居を過ぎ、手水舎を過ぎた左に「御身洗池」が現れる。神話では皮を剥かれ痛んでいた白兎神を見かけた大国主命、「水門へ行き水で傷口を洗い、ガマの花を下に敷き詰め、その上で養生すれば快復する」と導いたと云われる、その場所がここである。小さな池ですが、干ばつや豪雨があっても水位を変えない事から不増不滅の池とも呼ばれ、安山岩の上にできた池は、湧き水が地下に浸透する事がなく、岩盤の上に堆積した砂の層から抜けていくので水位が変わらない。昔の人が不思議な池だと感じるのも頷けるというものだ。白兎神社は白兔神が主祭神で、保食神を配祀する。白兔神(兎神)は大国主神と八上比売の縁を取り持ったことから、縁結びの神として訪れる参拝客が絶えないようです。神社の創建は定かではないようで、1669年(寛文9)に社殿が建立され、1773年(安永2)には社殿が再建されたようで、こうして見る社殿は1890年(明治29)に建立されたもの。伽藍は切妻造の拝殿に向拝が付き、大社造りの本殿が建つ。鳥取砂丘が望める身干山の丘に鎮座する静かな神社で、見つめる先は出雲大社の鎮座する西を向いている。白兎神社創建 / 不明祭神 / 白兔神、配祀 / 保食神所在地 / 鳥取県鳥取市白兎603参拝を終え車に戻るとすっかり陽は落ち、道の駅の店舗も既に店じまい、駐車場も閑散としていた。まずは冷たいビールで喉を潤し、晩御飯にするか。TVを見ながら食べたいところですが、残念ながら我家の装備では電波は拾えなかった。今日一日車も人も結構動いた、お腹も満たされDVDを見ているとついつい眠気が襲ってきます。横になるためロゴスのインフレーターマットと寝袋をセット、万一の寒さに備えて電気毛布も積んできたが今晩はなしでも大丈夫。インフレーターマットは今回のために購入したけれど、布団よりはコンパクトでシートの段差もさほど気にならず意外に快適だ。寝袋に潜り込めばもう寝るばっかりだ。道の駅「神話の里 白うさぎ」所在地 / 鳥取県鳥取市白兎603番地 2021/10/24