乙川八幡神社(入水上神社)
乙川八幡神社(入水上神社)以前掲載した香取神社から南に約10分程の所に鎮座します。かつて入水上神社と呼ばれ、入水上八幡宮、八幡宮と改称し、1880年(明治13)に現在の八幡神社となったようです。鳥居左に神馬像と境内へ繋がるスロープがある。ここは祭礼で曳き回される山車が乗り入れるためのもの。短いながら傾斜があり、山車の出入りには酷な坂で曳き回しの見所となっているようです。朱塗りの両部鳥居はニノ鳥居で、ここから南に続く参道に石の明神鳥居がある。鳥居右に社号標があり手水舎は左にあるようです。左のスロープ沿いに手水舎がある、祭礼の事を考えての配置だろう。どう見ても鳥居側から利用するように配置されていないようです。拝殿全景。瓦葺の入母屋平入のコンクリート造りの拝殿。拝殿左には社務所、神馬像や多賀社が祀られています。右手には境内社が纏められていました。八幡神社の創建は定かではないようですが、「奉再建入水上社一宇」と記された棟札が残り、そこには1522年(大永2)と記されていると云う。古くは航路安全祈願、現在は交通安全祈願の御利益があり、また合祀に予母都事解之男命を祀っている事から悪縁切りにも御利益があるとされ、崇敬されている。八幡神社は指定文化財が多く、覆殿の中にある三間社流造の本殿はじめ棟札や祭礼絵図、社地絵図など有形文化財に、絵馬が有形民俗文化財と半田市の指定を受けている。また、毎年3月下旬の土曜・日曜に行われる乙川祭礼行事では、八幡神社から若宮神社へ御神体が移動する「神輿渡御」の際には4輛の山車が警護のため曳き回されるそうで、無形民俗文化財に指定されている。拝殿から幣殿の眺め。主祭神は応神天皇,神功皇后,厳島姫命,多岐理姫命,多岐都姫命。速玉之男命,予母津事解之男命,菊理姫神,天照大神を合祀。拝殿右に境内社と注連縄が掛けられた大きな岩が安置されている。解説によれば「御祭神の神功皇后が子安・安産の神さまで、その御神徳と岩田帯にあやかり、この岩を撫でる事で御利益がある」という。正面に結界が張られた一画と手前の石の社は猿田彦神社。奥には境内社七社が祀られている。七社全景。流造、神明造、板宮造りと造りは様々。右から伏見稲荷大社、松尾大社。その左に熱田太神宮社と……白猫に山祇社。右から秋葉神社、天満神社、金毘羅社と並ぶ。上は境内社横から覆殿と拝殿方向の眺め。本殿は見て取れない。下はニノ鳥居から一ノ鳥居方向の眺め、社頭には入水上神社と刻まれた社号標と狛犬がいる。鳥居扁額は「八幡社」とあった。山車はこの参道を経て、八幡神社と若宮神社を曳き回される。拝殿左斜めから社殿全体の眺め。再建時期が違うのか、幣殿は木造の入母屋平入でその先の切妻の覆殿と並んでいます。境内飛騨の端に脇参道があり、絵馬掛けと多賀社が祀られています。ニノ鳥居前の参道左に格納庫。3月の春の乙川祭礼は無形民族文化財に指定され、地域で組織される浅井山宮本車、殿海道山源氏車、南山八幡車、西山神楽車の4輛の山車が、ここ乙川八幡神社に集結し、御神体を載せた神輿が若宮神社まで移動する際の守護として巡行されるそうです。この格納庫に保管される山車は源氏車と呼ばれ、1852年(嘉永5)岸幕善次郎によって建造または改修を受け、今日に至るまで幾度かの補修を受け引き継がれている。下はニノ鳥居脇に掲げられていた「乙川祭礼行事」解説。半田市内の祭礼の中では古い由緒来歴を持つと云う。「乙川祭礼行事」、一度は目にして見たいものです。2021/9/24乙川八幡神社(入水上神社)創建 / 不明祭神 / 主 応神天皇,神功皇后,厳島姫命,多岐理姫命,多岐都姫命。合 速玉之男命,予母津事解之男命,菊理姫神,天照大神を合祀境内社 / 猿田彦神社、伏見稲荷大社、松尾大社、熱田太神宮社、山祇社、秋葉神社、天満神社、金毘羅社、多賀社所在地 / 半田市乙川殿町97関連記事 / 『香取神社』半田市乙川北側町、知多四国巡りと矢勝川の彼岸花(見頃は過ぎていた) 13.4㌔を歩く