全国一ノ宮巡り 愛媛・広島
暫くコロナ禍で自粛してきた地方徘徊、かみさんが作るプランはドンドン増える一方、それだけに課題の一つでもコンプリートするため再び動き出す事にした。今回の目的地はしまなみ海道で知られる瀬戸内方面の一ノ宮参拝。夜も明けきらぬ名古屋を出発、片道約7時間で移動距離片道500㌔、車中泊による一泊二日の行程です。往復1000㌔、大食いの車には燃料代が重くのしかかる。ガソリン補助金も一部業界が潤っているだけで全く消費者実感のないものにしか見えない。この國の船頭や議員さん、名目だけ変え実りのない予算は取り放題、支援策と称した選挙目当てのバラマキ、いい加減二重課税を撤廃し、今すぐトリガーを引く英断をしないのかい?名古屋から制限速度+10㎞/hの定速クルージングで約2時間半、休憩地の宝塚SAに到着。燃料計は満タン4目盛りで一目盛り消費、ブレーキはこのSAに入る一回のみ。このSA、とにかくトイレが綺麗との事で立ち寄ったもの、確かにSAとは思えぬ綺麗で落ち着いたもの、宝塚SAは女性に受けそうだ。こちらで朝食を摂り一息してから再び高速に。12時、愛媛県今治市の道の駅「しまなみの駅 御島」に到着、使用した燃料は約二目盛り。初日の目的地「伊予の國一ノ宮 大山祇神社」はここから歩いて直ぐ。大三島のマンホールは紫陽花?の花をモチーフにしている。駐車場付近には大三島美術館を中核とした「大三島藤公園」が隣接、四季折々の花が楽しめる。訪れた時期は桜に変わり、約300㍍の藤棚に藤の花が一斉に咲き始めたころ、周囲の山々も鮮やかな緑に包まれていた。予定通り参拝前に社頭前にある海鮮丼のお店で昼ご飯を摂ってから参拝する。所在地 / 愛媛県今治市大三島町宮浦3260「食事処 大漁」大山祇神社の社頭前にあり、利便性の良さとコスパの良い海鮮丼が頂けることで人気があるようです。それ程観光客が多いわけではない社頭周辺にあって、この店の前だけ行列が出来て異様な光景。呼び出しまでの長い待ち時間、かみさんは御朱印、自分は社頭の散策をして呼び出しを待つ。20分ほどして待望の呼び出し、席に案内される。店内は所謂食堂、おしゃれで小奇麗な店をイメージしてはいけない。丼とみそ汁以外のサイドメニューは自分で棚から持ってくるシステム。しまなみ丼が名物という事でしたが既に完売、夫婦ともに海鮮丼とみそ汁をオーダー。見た目に小さな丼ですが結構ボリュームがある、ネタの鮮度も良く、特に鯛はコリコリ感があり瀬戸内の潮に揉まれて育った地元の魚だけの事はあります。別注文の味噌汁は食べ慣れた味ではなく、魚の出汁を感じる多少甘めの味付けだった。写真の海鮮丼で780円は良心的、観光客向けの価格設定になりがちですがこれなら並ぶはずだ。「食事処 大漁」所在地 / 愛媛県今治市大三島町宮浦5507-1さて、お腹も満たされ「伊予の國一ノ宮 大山祇神社」に参拝する。愛媛県の最北端に位置する大三島のしまなみ海道沿いに鎮座する伊予國一ノ宮。創建は594年(推古天皇2)とも伝わる。この神社はその歴史以上に杜に聳える楠の巨樹が強烈に印象に残る神社。写真の御神木「乎知命御手植の楠」始め奥の院の門となっている「生樹の御門」など境内の杜や近隣に楠の巨樹約200本が群生し、その一部の38本は「大山祇神社の楠群」として国の天然記念物に指定されている。写真の乎知命御手植の楠は推定樹齢が2600年とも云われ、他にも能因法師雨乞いの楠は樹齢3000年とされる。それら解説を読むまでもなくその佇まいから尋常ではない年月が伝わってくる。縄文杉と同様に自然への畏敬の念を感じるとともに、目に見える形で神の存在を信じたくなるものだ。大山祇神社は古来日本総鎮守として崇敬され、大正時代には四国唯一の国幣大社に列せられた。本社の祭神は天照大神の兄に当たる大山積大神。山の神、海の神であり渡航の神として崇められ、瀬戸内三島に君臨した村上水軍の守護神として崇敬され、古くは三島大明神や大三島さんとして親しまれている。それ故に当社には甲冑や弁慶が奉納したとされる薙刀、劔などの武具が奉納され、全国の国宝、重文指定の八割がこの宝物館に保存展示されている。摂社の上津社の祭神は大雷神、姫神、摂社の下津社の祭神は高靇神、姫神。本社と摂社の三社を大山祇神社として信仰対象になっている。本社、摂社ともに檜皮葺の流造で本社は1427年(応永34)に再建、奥の上津社も応永年間に再建されたと云われている。天然記念物「生樹(イキキ)の門」大山祇神社の奥の院(元神宮寺)の参拝通路に聳える樹齢3000年と云われる楠。その根廻りは31㍍を越え、樹の中央は空洞になりそこに奥の院に続く石段が伸びる。正に生きた樹そのものが神門となっている。根廻りもさることながら樹高や枝ぶりにも驚く、鮮やかな新緑に萌える一つの森と云ってもいい。現在見る樹の姿は何本かが寄り添ったように見えますが元は一本の樹。神社境内から10分程離れた安神山の山麗に聳えています、大山祇神社参拝時は奥の院もしくは生樹(イキキ)の門を目指してみてください。大山祇神社創建(伝) / 594年(推古天皇2)祭神 / 大山積大神摂社上津社 / 大雷神、姫神下津社 / 高靇神、姫神その他境内社 / 姫小邑神社、荒神社、地神社、稲荷神社、石神社、八重垣神社、御鉾神社、一七社など所在地 / 愛媛県今治市大三島町宮浦3327大山祇神社一ノ鳥居付近で消費した燃料二目盛り分の40literを補充、liter/@178円とコストコ価格からすると驚きの単価、丼一杯分の金額差。そもそも島内のGSでは単価表示がない、給油してからのお楽しみという事だ。EVステーションの台数も少なくEVシフトもいいがインフラ整備が明らかに追い付いていない。ソーラーカーダン吉のような旅が理想形なんだろう。さて、ここから再び本州に戻り尾道に向かいます。その前に「道の駅多々羅しまなみ公園」で小休止、行きに渡ってきた多々羅大橋を写真に収める。尾道から大三島に至る島々に架けられた4番目の全長1,480㍍の斜張撟。正面の新緑に包まれた生口島と大三島を結ぶ美しい橋です。中ほどに県境が引かれているようで、白い二本の主塔各々に多田羅泣龍と称したスポットもあり、しまなみ海道をサイクリングするサイクリスト達の聖地。道の駅今治市多々羅しまなみ公園所在地 / 愛媛県今治市上浦町井口9180-2大三島から広島県尾道市市役所駐車場までは約一時間程の道のり。ここからロープウェイで大宝山の頂を目指す。市内の商店街を抜け、山陽本線を越えた先の小山が大宝山。上千光寺山ロープウェイ 山麓駅と良(ウシトラ)神社の唐門。ロープウェイは神社の上空を通過し大宝山山頂までの所要時間は3分。あっという間です。15分間隔で運行され、片道500円、往復700円の料金。お勧めは行きはロープウェイ、帰りは30分程かけて歩いて下山する事をお勧めします。頂上から尾道の眺望を楽しみ、中腹から麓にかけて千光寺参拝や猫の細道を見て廻れば普通に麓の良神社に到着してしまう。ただし、この間は石段や石畳が続くので子供や足元に不安がある方は避けた方が賢明。下艮(うしとら)神社尾道一の古社とされ、こちらの境内にも古社を象徴する一本の巨大な楠が聳えています。推定樹齢1000年とも云われる巨木でその高さは上空を行き交うゴンドラに届くような勢いがある。祭神は伊邪那岐命、天照大御神、素戔男命、吉備津彦命本殿は神明造創建は806年(大同元年)と伝えられ、火災で焼け落ち1475年(文明7)に平盛祐が再建。その後も1595年(文禄4)本殿・拝殿葺き替え、1611年(慶長16)再興、1666年(寛文6)に本殿・拝殿造立、1689年(元禄2)に葺き替え、1705年(宝永2)に本殿・幣殿造立など棟札が残存する。所在地 / 広島県尾道市長江1-3-5千光寺山ロープウェイチケット。行け行けドンドン時代は賑わったのだろう、今は恋人の聖地として集客に躍起のようだ。ロープウェイから良神社と大宝山。左の多宝塔は天寧寺の三重塔で1388年に造立され、重要文化財に指定されている。上ロープウェイから尾道の町と約200㍍対岸の向島、それを隔てる尾道水道の眺め。この距離を渡すフェリーがありますが、潮の流れが速いので船首は随分と上流に向け運航されています。中央のビルが車を停めた尾道市役所、手前に伸びるのが山陽本線。下山頂駅からエレベーターで降りるとこのスロープに出られる、ここからの眺めは絶景。陽も傾きだしオレンジ色の陽差しとスロープの影が印象に残る。千光寺へはここから文学の小道を下っていく事になります。千光寺大宝山権現院千光寺尾道港を一望する標高140mの大宝山の中腹に鎮座します。806年(大同元年)に弘法大師が開基したとされ、中興は源氏の武将多田満仲公と伝わる。チケットにも映る境内中央の巨岩「玉の岩」その昔、この岩の頂に如意宝珠があり、夜毎海上を照らしていたとされた事からこの地を「玉の浦」と呼んだとされます。玉の岩の右手に舞台造りの朱塗りの本堂が立つ。本堂は1686年(貞享3)の建立とされ、「赤堂」とも称される。本尊は聖徳太子作の秘仏の千手観世音菩薩を祀る。岩山にへばり付く様に建てられた本堂と背後の光景がどことなく熊野三山の神倉神社の趣に通じるものがある。下境内全域に巨岩が点在し、それらには梵字や摩崖仏、写真のような烏天狗の線彫りなどが無数に点在する。大宝山権現院千光寺開基 / 806年(大同元年)本尊 / 千手観世音菩薩所在地 / 広島県尾道市東土堂町15-1猫の細道細くて坂の多い尾道、千光寺から下にかけては猫の置物や猫がそこかしこで見られ、猫神社もあったりして猫好きには退屈しない。尾道絵のまち通り。どことなく寂れた感も漂うが、昭和感漂う通りにレトロな外観を維持しながら洒落た内装の飲食店が並び見ているだけでも楽しい、名物とされるはっさく大福を買い求め駐車場に向かう。時間は既に17時30分を過ぎていた。このまま宿泊予定地に向かっても近隣に食事ができる場所は少なそう、海岸通りで店舗を構える尾道ラーメン専門店 丸ぼしで少し早い晩御飯とした。写真は尾道ラーメン(680円)スープは背脂タップリ、やや醤油の色が強く、塩辛くこってり感が強い印象ですが見た目に反しそうではない。小鯛をベースに小魚でダシをとり、地元の醤油やネギ、柔らかいチャーシューで美味しいものだった。尾道ラーメン専門店 丸ぼし所在地 / 広島県尾道市土堂2-8-16上住吉神社飛鳥時代に創建された浄土寺の境内に鎮座していたとされ、1741年(寛保元年)に当時の町奉行平山角左衛門により住吉浜を築造した際に社殿を造営しここに遷座したとされる。当時の尾道は北前船が寄港する港として栄えていた、この神社は港の守護として航海の安全、商売繁盛の神様として崇敬されているという。尾道市内最大級の常夜灯や嘉永四年(1851)の銘が刻まれた力石が置かれている。北前船への荷役作業を担う者たちがここで力自慢をしたのだろう。鳥居はなく、なぜか拝殿左の船着き場側に笠木だけが置かれ、その後方に注連柱が海に向かって立っていた。拝殿は妻入りの唐破風向拝を持ち、本殿は銅板葺の入母屋で向千鳥破風がある。本殿左に境内社の平山霊神社が鎮座し尾道港の整備発展に貢献した平山角左衛門が祀られていた。写真は夕陽に染まりつつある本殿と嘗て北前船が寄せたであろう雁木。住吉神社創建 / 不明主祭神 / 墨江三前神(筒男命、中筒男命、上筒男命の三柱)配神 / 大物主櫛甕玉命、事代主命、宇気持命、須佐之男命所在地 / 広島県尾道市土堂2-10-12下尾道大橋しまなみ海道で本州と四国へ向かう場合最初に渡る386.45㍍の斜張橋です。尾道水道を越えるには渡船しかなかった時代から見れば、飛躍的に利便性は良くなっただろう。とはいえ、今も渡船は地元にとって重要な移動手段であることに間違いない。この日はとても夕焼けが綺麗な日だった。尾道から宿泊予定地への移動中、田園を真っ赤に染める幻想的な夕陽に遭遇した、車を停めて一枚撮りたかったが・・・少し悔いが残る。尾道市役所の駐車場から「道の駅 アリストぬまくま」までは普通に走れば40分程。途中、地元スーパーで今夜のお酒と摘みを買い出ししていたので道の駅到着はすっかり真っ暗。ここまでの走行距離は500㌔を越えていた、旧車ながら燃費も良く約10㌔と快調に走ってくれた。この道の駅は朝早くからオープンされ、地元の野菜や漁港で獲れた魚介類が豊富だという。規模は大きくないものの大型車の宿泊はなく、トイレも綺麗に清掃され車中泊には最適。早速宿泊モードに切り替え、念のため電気毛布も持参したが今夜は必要はなさそう、テレビも国営放送が受信できました。さて、一日目も無事に予定終了。今はとにかくビールを飲みたいばかりだ、宴会開始。道の駅 アリストぬまくま所在地 / 広島県福山市沼隈町1796一日目のルート2022/4/19関連記事 / 神倉神社