豊前国一之宮 宇佐神宮 (大分県宇佐市)
大分県の国東半島、その付け根の御許山(標高647m)山麓の小椋山山頂に鎮座する宇佐神宮。全国約44,000社の八幡宮の総本社で豊前国一之宮。本殿は上宮と小椋山山麓に鎮座する下宮からなり、山麓には複数の社が祀られています。今回大分県を訪れた神社の中では、ツアーバスが一番訪れると想定した神社。想定に反し観光バスの姿はなく、食事処や土産物屋が軒を連ねる長い表参道に人影はまばらだった。表参道社頭、朱の明神鳥居と右に社標。社頭の狛犬。社頭全景。広い境内の参道には多くの鳥居が建つ、何れも額はない。鳥居左の由緒。全国四万社あまりの八幡社の総本宮。神代に比売大神が馬城の峰(大元山)に降臨された宇佐の地に、欽明天皇32年(572)に応神天皇の御神霊が八幡大神としてあらわれ、宇佐各地を御巡幸の後、神亀2年(725)亀山の一之御殿に御鎮座になりました。天平5年(733)比売大神を二之御殿、弘仁14年(823)に神功皇后が三之御殿に鎮祭された。皇室より我国鎮護の大社として崇敬篤く、八幡大神が東大寺大仏建立援助のため上洛、和気清麻呂が皇統護持にかかわる神託をうけた故事から、伊勢神宮に次ぐ宗廟、我が朝の太祖として勅祭社に列せられている。宇佐神宮の散策マップ。丸の部分が表参道の大鳥居、歩いたルートを矢印で表しています。広大な社地、周辺には多くの寺社があり、見所も多く短時間で全てを参拝するのは難しい。神橋。寄藻川に架かる優雅な曲線を描く橋。神橋を過ぎ参道を進むと年代を感じさせる狛犬と鳥居が現れます。鳥居右に鎮座するのが黒男神社。(写真は三枚貼り合わせ)黒男神社全景。古くから大鳥居の外に鎮座し、八幡大神をお護りする武内宿禰命を祭神とする神社。檜皮葺で朱と白壁のコントラストが鮮やかな佇まい、長寿、忠誠、奉仕などのご神徳が授かれる。この鳥居から参道は更に続き、杜の中へ消えていく。表参道右は授与所、左奥に手水舎、左手前が絵馬殿。参道左に護皇神社、大尾神社に続く大尾参道が伸びている。授与所、御朱印はこちらです。参道左の菱形池には二つの小島があります。写真の小島には能舞台と木匠祖神社、その奥の小島には水分神社が鎮座しています。手水舎の水盤は大きさ日本一と書かれている。宇佐神宮の摂社春宮神社。春宮とは皇太子を指し、応神天皇の子である道稚郎子命が祀らている。室町以前に創建されたとされ、現在の社は昭和11年(1936)の再建。真っすぐ続いた表参道は祓所で二手に分かれ、左は上宮と下宮へ続く参道、右は八坂神社、弥勒寺跡にへ続きます。上宮に続く参道に建つ鳥居と酒納所。下宮に続く参道の鳥居と由緒。参拝当日鳥居は修復工事が進められていた。下宮由緒御祭神一之御殿 / 八幡大神(応神天皇)二之御殿 / 比売大神三之御殿 / 神功皇后下宮は嵯峨天皇の弘仁年間(810~824)に上宮の分神を鎮祭し創祀された。古くは御炊殿とも云われ、神前にお供えする御饌を炊く竈殿(下宮授与所)があり、農業・漁業はじめ一般産業の発展充実を守護する神。上宮同様歴代皇室はじめ国民の崇敬篤く、宇佐地方では「下宮参らにゃ片参り」とされるほど親しまれている。一之御殿には八幡大神を顕しになった大神比義の神霊が祀られた大神祖神社が相殿として奉斎されている。祓所から右手の参道を進んだ先の八坂神社。朱の玉垣で囲われた神域には二つの石の明神鳥居があり、神域には二本の巨樹が聳えている。八坂神社解説明治維新まではここには弥勒寺と称した薬師如来を本尊とした神宮寺が鎮座していた。この八坂神社は弥勒寺守護神としてお祀りされたもの。祭神は須佐之男命、別名牛頭天王と称する。疫病鎮静のため創建された京都・八坂神社と共に疫厄消除の御神徳で知られる。神仏習合における須佐之男命の本地仏が薬師如来であることから、八坂神社では悪疫退散を祈る鎮疫祭が毎年2月13日に斎行され、諸病災禍の祓除と国土安寧が祈念されて来た。檜皮葺流造の本殿、御神木の幹が大きいため小さく見える。蟇股の透彫りの龍はカラフルに彩られ美しい。弥勒寺跡。八坂神社の先にあり、礎石らしき石群が点在するのみ。そこには嘗ての伽藍を記した応永の八幡宮古図の写しが掲げられていた。講堂と金堂らしき姿が描かれ、その下に八坂神社の姿や北側(右)には多宝塔の姿があり、738年頃に建立された神仏習合時の伽藍が描かれている。修復中の鳥居をくぐり下宮へ。神門の先に見えるのが解説にあった竈殿(下宮授与所)にあたるのだろうか。神門をくぐって側面から八幡造りの社殿を見る。創建は810~824年頃とされ、左から一之御殿、二之御殿、三之御殿。現在の社殿は昭和16年(1941)に再建されたもの。同一の祭神をお祀りする上宮と下宮、上宮は国家の神として、下宮は庶民の神として崇められたとも云う。下宮から表参道に戻り、上宮に続く鳥居をくぐるとなだらかな石段が続く。参道の左右は樫や楠木を主とした杜が迫り神々しさが増してくる。参道右側の若宮神社。八幡大神の若宮仁徳天皇と四人の皇子が祀られている。上宮西大門前に建つ鳥居。よく見かける鳥居は、鳥居の柱を結ぶ貫と島木の間に額を付けるための額束が付きます。ここまで見てきた鳥居同様に額束がなく、柱上部に台輪が乗せられた宇佐鳥居と呼ばれるもの。中でもこの木造鳥居は有形指定文化財に指定されている。鳥居の先に見えている西大門は当日修復作業中。最近の工事シートは良くできており、門の姿がシートに描かれており遠目に見ると違和感がなく、一瞬かすみ目が酷くなったかと勘違いしたが、味気ない無地のシートに比べれば好感が持てる。西大門をくぐると目の前は本殿の西側にあたる西中門、拝殿にあたる南楼門はここから左に進みます。西中門脇の由緒。「祭神一之御殿 八幡大神(応神天皇)二之御殿 比賣大神三之御殿 神功皇后宇佐神宮は全国八幡社の総本宮、勅祭の大社であり、伊勢神宮につぐ宗廟、我朝の太祖として歴代天皇から崇敬を受けてきた。 私たちの先祖は全国各地に宇佐の八幡宮をお迎えし氏神や鎮守の社とした。神代の三神比賣大神が降臨された宇佐の地に、約1400年前の欽明天皇32年(571)、応神天皇の御神霊がはじめて八幡大神として現れ、各地を巡行後、この亀山に鎮まった。のちの弘仁14年(823)年、応神天皇の母君神功皇后をお祀りし三殿が鎮座した」南楼門。左の大きな楠木の脇には八子神社が祀られています。下宮同様、左から一之御殿、二之御殿、三之御殿と並ぶ。朱が鮮やかな南楼門は勅使門とも呼ばれ、この先の中殿、その奥に各本殿が横並びで建ち、西側から見ると前後に連なる屋根がMの形をした八幡造。本殿域左に北辰神社、春日神社、右側に住吉神社が鎮座しています。参拝を終え西大門前から参道を戻る。右側に下る脇参道があり、そこに鎮座するのが亀山神社。上宮の鎮座する小惊山(亀山)の山神、大山積命を祀る神社。参道を更に下り菱形池に出る。池の畔を左に進むと池の小島に水分神社が鎮座する。当日、菱形池に架けられた小さな橋が渡れず全景のみで参拝は出来なかった。水の神様高龗神をお祀りし他四柱が祀られている。対岸には写真の御霊水がある。往古から清水の湧く三つの霊泉があり、今も神社の祭典にはこの清水がお供えされる。自由に持ち帰れますが飲用不適なので自宅の神棚のお供えに使われます。菱形池の小島に建つ能舞台と木匠祖神社。赤い太鼓橋で結ばれています、この時期の菱形池は寂しい限りですが、時期ともなれば原始蓮が咲き誇るようです。ここから表参道に戻り大尾参道へ。大尾参道。毎年8月1日にはこの参道では欽明天皇の御代に始まった流鏑馬神事が行われる。大尾参道の遥か先には大尾神社の赤い宇佐鳥居と狛犬の姿が見える。ここから長い石段を登り、突き当りを左に行くと八幡大神を祀る大尾神社、右に進むと和気清麻呂朝臣命を祀る護皇神社が鎮座します…が随分遠そうだ。参道中ほどに鎮座する頓宮までとしよう。頓宮。菱形池の東に鎮座し仮殿、御仮屋とも呼ばれる御旅所。夏越神幸祭の際、三神は3基の神輿にのせられ、上宮から頓宮へ巡幸ののち遷御される。現在の頓宮は昭和7年(1932)に新築されたもの。古くは33年毎に式年遷宮が行われ、頓宮一帯は上宮、下宮、若宮の白木造りの仮殿が建てられたが、中世戦乱により次第に行われなくなった。新築される以前の頓宮は延宝8年(1680)に神橋付近に建てられており、昭和初期まで使用されていた。頓宮全景。祭礼以外はこちらに三神はおられません。上本殿は檜皮葺の流麗な弧を描く流造、夏越神幸祭が行われる間の2泊3日をこちらに祀られます。下神輿庫。三神が乗せられる3基の神輿が保管される。宇佐神宮、全国の八幡宮の総本社に相応しい歴史と嘗ての神仏習合の名残を感じさせる一之宮らしい風格のあるものだった。豊前国一之宮 宇佐神宮創建 / 神亀2年(725)主祭神 / 八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后境内社 / 若宮神社、水分神社、亀山神社、春宮神社、八坂神社、黒尾神社、他。所在地 / 大分県宇佐市南宇佐2859参拝日 / 2022/10/28関連記事 / 伽藍岳噴火口跡と地蔵堂塚原温泉から宇佐神宮車移動 / 県道616号線経由九州自動車道経由45分程