大隴(だいろう)神社(滋賀県愛知郡愛荘町長野)
滋賀県愛知郡愛荘町長野昨年の12月27日、酒蔵を巡るバスツアーでこの地を訪れました。「旭日」「琵琶の舞」「杜氏の舞」の銘柄で知られ、創業が天保2年という老舗酒蔵「藤居本家」その西隣に大隴神社が鎮座します。酒蔵の左の杜が大隴神社の杜。社頭は、酒蔵の手前の道を西に進みます。道路沿いに、写真のような神橋と大隴神社の社標、大きな石の明神鳥居を構えた社頭があります。鳥居から拝殿まで真っすぐに参道が伸びていますが、道路を隔てる神橋があるため、以前の参道は更に先に伸びていたのかもしれません。この神社の由緒・創建等は定かではなく、滋賀県神社庁のサイトで大隴神社が紹介されていましたのでそちらを記載します。大隴(だいろう)神社【祭神】 伊邪那美命【配祀神】 建速須佐之男命、大山咋命、大物主命【由緒】創祀の年代は明らかでないが、古くは白山権現と称した。淳和天皇の皇子恒貞親王当地に住せられ大隴長者と尊称した。長者当社を篤く崇敬し、神殿、楼門を建立されたと伝えられている。神社附近に御園、大門、蔵の町等長者縁りの地名が残っている。鎌倉時代には近江守護職佐々木氏篤く崇敬し神田、神馬、太刀等を奉納し、又京極氏は神供を献じ、土豪中村掃部、彦根藩の武将も篤く崇敬した。往古例祭は3月己の日に八社の御輿が数日に亘って渡御する大祭礼であったが、愛知川の大洪水で祭組が南北に分離するに至った。天正年間兵火で社殿古文書烏有に帰したが正保慶安年間に本殿を再建、明治11年には拝殿、同14年には幣殿、渡廊、社務所等を建立した。明治初年社号を大隴神社と改め、同9年村社に列し同14年郷社に昇格、大正4年神饌幣帛料供進指定となる。【本殿・境内建物】 本殿 三間社流造 間口三間三尺 奥行三間 拝殿 入母屋造 間口三間 奥行三間 境外 臍尾神社【祭礼日】 旧4月 15日、4月 15日 祭礼日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。 お出かけの際は念のため神社にお尋ねください。【神紋】左三ツ巴以上のように紹介されていました。どこかの県の神社庁のように、所属神社を包括しながら情報量が少ないことを考えると、初めて参拝に訪れた者にとっては実にありがたいものです。境外社の臍尾(へそのお)神社の鎮座地を調べて見ると、ここから15分程西方向に向かった先に鎮座しているようです。今回参拝するのは時間に制限もあり次回のお楽しみとしておこう。境内で見かけた大隴神社解説。杉木立の参道と、その先の入母屋瓦葺きの拝殿の眺め。『近江輿地志略』には大領(だいりょう)社とあり、長野大領堂と号し土地の住民らは熊野権現と称したようです。古代の郡衙の長官職が大領であったことが名の由来とされています。境内伽藍は左に手水舎、その奥に社務所。手水鉢には龍の姿も見える。境内正面。拝殿左には推定300年以上と推定される御神木の杉が聳えています。その太い幹の表面はうねる様な皴が上まで続いており実に壮観な一本杉です。夕陽を浴びて赤く色付き印象に残る美しい光景ですが、この赤見を帯びた色合いは夕陽の色だけではなさそうです。拝殿で参拝を済ませ、本殿方向を眺める。拝殿内は天井から菱灯籠が吊るされ、拝殿から廻廊で唐門に繋がり、透塀に囲まれた本殿域へ続いて行きます。左右には一対の狛犬の姿があります。唐門前を守護する狛犬、寄進年は未確認。大隴神社本殿。棟には3本の鰹木と外削ぎの載せ千木が施されている。夕陽を浴び赤みを帯びた境内は妙に温もりを感じる。もう少し寄りたいところですが、速やかに酒蔵に戻らないと置いていかれるようです。今日はお酒だ、またゆっくりと訪れよう。大隴神社創建 / 不明祭神 / 伊邪那美命、配神 / 建速須佐之男命 大山咋命 大物主命所在地 / 滋賀県愛知郡愛荘町長野1170アクセス / 東海道山陽本線「彦根」駅から近江鉄道「愛知川」駅降車、北西に徒歩20分程参拝日 / 2022/12/27関連記事 / 滋賀県飲んだくれツアー