川越市喜多町「広済寺」
埼玉県川越市喜多町5−1川越氷川神社の社頭前を横切る県道51号線を西に向かう、10分も歩けば観光客で賑わう蔵造りの町並みに続く県道12号線が交わる三叉路に突き当たります。三叉路を左に進んだ県道12号線沿いの喜多町に、趣のある山門を構えて鎮座する広済寺が現れます。この辺りは倉造りの町並み群から少し北に離れるため、県道沿いを歩く人波はさほどでもない。広済寺山門全景。広済寺の伽藍は県道から少し奥まって山門を構え、境内右手に鐘楼と地蔵堂、正面に寄棟瓦葺の本堂、左手に金毘羅堂が主な伽藍。早く倉造りの町並みに向かいたいかみさん。山門のみ写真に収めてくる間少し待ってもらい、山門と境内を眺める事に。山門は妻切り瓦葺の四脚門に潜戸が両脇に付き、右側の脇塀はなく境内が外から良く見通せる。伽藍は東向きに配置されているため、午後を過ぎると西陽が強くなり逆光は避けて通れない。直前に訪れた氷川神社にくらべると実に閑静な佇まい。倉造りの町並みを目指し歩く人は絶えないが、意外に訪れる観光客は少ないので穴場かもしれない。広済寺の正式名称は山号を青鷹山、院号は慈願院と号する曹洞宗の寺院。伽藍から受ける印象は、山門意外さほど歴史を感じさせないかも知れないが、なかなかの歴史を誇る寺院。江戸時代の中島孝昌(1766~1808)により纏められた川越の地誌「三芳野名勝図会」にもその名は記されている。開山は天文17年(1548)広庵芸長、北条氏康・氏政・氏直の3代に仕えた川越城城主大導寺駿河守政繁が菩提寺として開基とある。本尊は釈迦如来坐像で脇侍を文殊、普賢菩薩が務める。また、境内の墓地には中島孝昌の墓地もあり、埼玉県の旧跡に指定されている。山門の木鼻蟇股には躍動感のある獅子の姿も施されています。山門の山号額「青鷹山」山門から眺める唐破風向拝が付く本堂の眺め。境内右側の鐘楼と地蔵堂。梵鐘には明和元年(1764)の銘がある。右の地蔵堂には二体の地蔵と石仏が安置され、左の地蔵は顎がない「あごなし地蔵」と呼ばれる虫歯や歯痛にご利益があるという。右側の一体は縄で縛られた異様な姿の咳地蔵尊で「しゃぶきばあちゃん」と呼ばれるそうです。「しゃぶき」の語源は「しわぶき」が訛ったもので、古い言葉の咳を意味するそうで、咳や喘息などに苦しむ人にはご利益があるという。祈願をする人は縄で縛り、完治したら縄を取り、お茶や金平糖を供えるのが作法とか。地蔵堂の地蔵の姿と右の祠は帰り際と思いながら撮り忘れていた。金毘羅宮全景。山門をくぐった境内左側に明治33年(1900)に寄進された金毘羅宮の石の明神鳥居がある。金刀比羅宮の社殿は鳥居から右に参道が折れ、その先に瓦葺の入母屋拝殿と幣殿・本殿が一体となり、拝殿の左右に楽の間が付属するもので、川越市の有形文化財に指定されている。三芳野名勝図会から詳細に目を通すが、「金比羅祠」とだけ記されていただけだった。川越市解説を調べると金毘羅宮の由緒が公開されていました。「金比羅堂は、安永9年(1780)鴨町の若林宇右衛門と源七が願主で、当山18世大享和尚の代に勧請されたが、文化13年(1816)に焼失し、文化15年(1818)に遷宮された。現在は、本殿、幣殿、拝殿、楽の間からなる複合建築となっている。幣殿と向拝付拝殿は天保10年(1839)に増築。楽の間は、幣殿・拝殿建立後の増築(嘉永4年以降)と考えられる。本殿は、正面3間側面2間の切妻造桟瓦葺屋根で、二重切石の積基壇の上に建ち、正面側に幣殿が接続している。内部は1室で、内陣は須弥壇(しゅみだん)が設けられ、組物は極彩色、虹梁と木鼻、正面の階段は朱塗り、須弥壇の框・棚板・束などは黒塗りが施されて華やかである。須弥壇脇の杉戸と框下には江野楳雪(1812?~1873)による鳳凰図と唐獅子図が描かれている。幣殿は、正面3間側面2間の両下造で、内部は1室で両側面に連子(れんじ)付の花頭窓が付き、本殿側と拝殿側は吹き放ちとし、本殿側に木階(きざはし)2級を据えている。拝殿は、正面3間側面2間の入母屋造。正面に唐破風造銅板葺の向拝1間が付き、背面は幣殿、両側面は楽の間に接続する。内部の天井は中央を鏡天井、四周を小組格天井(こぐみごうてんじょう)として、鏡板は谷文二(?~1850 谷文晁の次男)による雲竜図が描かれている。唐破風造の向拝には多くの建築彫刻が施され、虹梁型頭貫(かしらぬき)の木鼻は、獅子と象、根肘木は籠彫りで波の中に鯉が潜んでいる。虹梁上には親子の竜の彫物、唐破風の妻面は雲と麒麟、兎毛通(うのけどおし)に鳳凰が飾られている。向拝内部の鏡天井には、谷文晁(1763~1840)による竜図が描かれ、「天保十年己亥六月日 文晁画」と記されている。」とても丁寧に解説されており、先を急ぐあまり見落としているかもしれないが、現地にこれを掲示して欲しいと願う。なぜかと云えば参拝時に向拝天井を見上げず龍の姿を見逃していた。拝殿全景。訪れた際には拝殿唐破風向拝の天井に視線を向けて見てください。金毘羅宮の狛犬は毬と子持ちのもので嘉永七年(1854)十月寄進のもので、提灯の羽団扇は狛犬の台座にも刻まれていました。拝殿から本殿方向の眺め。広済寺境内にはっきりと区切られることなく鎮座する金毘羅宮、神仏分離の荒波から免れたものか。金毘羅宮創建 / 安永9年(1780)祭神 / 金毘羅大権現(大物主命?)寄棟瓦葺の唐破風向拝を施した本堂。伸びやかに延びる屋根の線は寄棟造ならではのもの。伽藍は享保年間の火災で焼失、その後黙元和尚により再興されました。本堂に掲げられている額は「廣済寺」向拝蟇股に施されている彫飾りは赤い目の龍。木鼻には獅子が彫られている。三芳野名勝図会には境内に稲荷社・白山社・三峯社など有りと記されていたが駆け足で見て廻った限り目にしなかったがじっくり見て廻るとあるのかもしれない。広済寺山号 / 青鷹山院号 / 慈願院宗派 / 曹洞宗開山 / 広庵芸長(こうあんうんちょう)開基 / 天文17年(1548)大道寺駿河守政繁本尊 / 釈迦如来所在地 / 埼玉県川越市喜多町5−1川越氷川神社から徒歩で広済寺 / 社頭から西に10分程参拝日 / 2023/09/25関連記事・一泊二日武藏國一之宮巡り 一日目「川越市」・浄楽院 光西寺 (川越市小仙波町)・星野山 無量寿寺 中院・南院遺跡・仙波東照宮・川越大師 喜多院・喜多院 「白山権現、仙波日枝神社」・瘡守(カサモリ)社・川越総鎮守 氷川神社