松原 八幡社
中村区大秋町に鎮座する大秋 八幡社の社頭から、一筋東を右折、直進した三叉路を左折すると住宅街の中に森が見えます。今回掲載する松原町の八幡社の杜です。上は明治31年当時の鷹場村大字則武集落。江戸時代の当地は中野高畑村の旧中野村に当たり、明治11年(1878)愛知郡中島村、中野高畑村、大秋村が合併し、同郡則武村として成立。明治22年(1889)、町村制の施行に伴い、鷹場村が発足、鷹場の名はその昔領主の鷹狩の場からあやかったとも。則武と聞くともう少し北のイメージですが、則武のはじまりの地はこのあたりといっても過言ではない。移動時間は2~3分程でしょうか。松原 八幡社社頭。東向きに鳥居と蕃塀を構え、右に「村社 八幡社」社号標が立つ。境内の大きな楠が八幡社の歴史を物語っているようだ。鳥居左の玉垣沿いに身かわり地蔵の覆屋があります。自分に降りかかる苦悩を、このお地蔵様に祈願すると代わりに引き受けてくれる。なんとも慈悲深いお地蔵様です。境内から東を眺める、鳥居の先には名駅のビル群が聳えている。境内右の手水舎と社務所。鳥居や右手の社号標の寄進は大正時代のもの。控柱がつく三間の木造蕃塀。この辺りはこうした蕃塀を構えた神社が多いようです。番塀から先の境内全景。境内は鳥居正面のこの参道と、左に則武天満宮に続く参道が伸びています。社殿の高さを遥かに超える楠は見事なものだ。参道を守護する狛犬。こちらは昭和37年(1962)に寄進されたもの。左手の則武天満宮に続く参道の眺め。左の舞殿のような瓦葺の建物の詳細は良く分からなかった。参道先の則武天満宮社頭。左に「天満宮」の社標、正面の石造神明鳥居の先が社殿。参道脇の楠木の枝振り。社殿全景、本殿は見られなかったが、拝殿は切妻平入で向拝が付くもの。参道脇の狛犬と優しい顔の撫で牛。則武天満宮の詳細は良く分からず、祭神は菅原道真だと思われます。八幡社拝殿付近の由緒(一部読み取れず)。「村社 八幡社鎮座地 名古屋市中村区則武町八幡祭神 品陀和気命例祭 10月10日由緒 当神社 尾張誌に八幡社・水野社の2社並びて中野高畑村にあると見える。其一にして中野分氏神なり。創立に関わる文献微全て。。見当たらざるも現在の石灯籠中に明和8年の銘刻あるよりして、察するに200年を下らざるわ明なり。往昔より今の縣社若宮八幡社の在中末社たりしを明治初め村社に列し大正12年神饌幣帛料供進神社に指定せらる。昭和15年12月」祭神は五穀豊穣、無病息災、厄除け、商売繁盛の御利益を授かることができる品陀和気命。尾張誌「八幡社・水野社の2社並びて中野高畑村にある一社で中野分の氏神。創建は不明だが明和8年(1771)銘の燈籠から250年以上の歴史を持つ。若宮八幡社の末社であった。明治初め村社に列格、大正12年神饌幣帛料供進神社に指定(神道指令により昭和20年(1945)廃される)。という事のようです。日比津・大秋の里散策コースによると以下のように解説されていた。「旧中野村の氏神。若宮旧記によれば、若宮八幡境外末社にして、若宮これを支配す、とあります。イチョウ、クスノキ等保存樹の大木があり、明和8年 (1771年)鶴田信吉による石燈篭が残っています」八幡社幣殿の鬼には桐紋が入る。ここ中村区は秀吉の生誕地とされ、西に20分も歩けば豊國神社は近い。拝殿と向拝の屋根の連なり。こちらには八幡社らしい八の紋と鬼には橘の紋が見える。八幡社社殿全景。大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とし、祭神は品陀和気命(応神天皇)をお祀りする神社。社殿は妻入り拝殿に平入幣殿、本殿を収める覆殿と連なっている。拝殿右に見事な樹冠を持った連理の楠。境内社幣殿右手の妻側から回廊で境内社に結ばれている。神域には四つの社が祀られており、左が御鍬社、御霊社、熱田社・天照皇大神・津島社の相殿、一番右に秋葉社が祀られ、参拝は玉垣の外からになります。御鍬社(右)と覆殿。拝殿から社頭の眺め。この辺りの神社はどこに訪れても社殿配置が似ており、提灯櫓を見かけることが多い。祭礼時、櫓に吊るされた提灯に灯りが灯され、氏子や参拝者で賑わう光景は昔懐かしいものがあるだろう。松原町の氏神さまの八幡社。江戸時代前期にはすでに存在していたとされ、その歴史や背景の情報が少ないため謎は残っていますが、本陣駅周辺を訪れた際、大きく枝を張った楠の巨木と明和8年の燈籠を探して見ては。松原 八幡社創建 / 不明祭神 / 品陀和気命(応神天皇)境内社 / 御鍬社、御霊社、熱田社、天照皇大神、津島社、秋葉社、則武天満宮所在地 / 名古屋市中村区松原町4丁目79地下鉄東山線「本陣駅3番出口」から南方向へ徒歩約10分大秋 八幡社から松原 八幡社 / 南東に5分程参拝日 / 2027/01/09関連記事 / ・大秋 八幡社・豊前国一之宮 宇佐神宮 (大分県宇佐市)