白山中居神社
前谷白山神社から県道314号線で九十九折れの峠を越え、石徹白地内の三叉路を右折し県道127号線で石徹白川左岸を上流に向け30分も走れば白山中居神社に到着できます。センターラインのないワインディングロードなので車はもちろん、ツーリングするバイクには注意した方がいい。過去の経験で、荘川村一色から峠を越え白鳥に向かっていた時の事。遥か先のコーナーから爆走して来たバイクが、視界が開けS字のコーナーの先から対向してきた自分の車に驚きそのまま転倒、無人のバイクだけがS字のコーナーを直線的に突っ込んできて、自分の車の側面に激突する事故を経験した事がある。幸いライダーは無傷、当方はタイヤ・サイドステップの下にバイクが喰いこみエライ迷惑を被ったことがある。当然過失割合も0:100、しかし同伴の車に白鳥の警察に連絡してもらうは、現場検証、ライダーを町に送り届けたりと過失割合では補いきれない無駄な時間を費やした経験がある。学んだのは対向車が来る意識のないドライバーも往来するので昼間の峠道は要注意、一番安心なのは夜間走行に限ります。急登のウネウネが続く峠道から石徹白地内の県道127号線を北上すると、写真の結界が見えてくる。運よくここまでは対向車も後続車もなく、目的地の白山中居神社も近い。平瀬から白山を登った事は何度かありますが、ここから白山を目指した事はなく、釣りで訪れていますが参拝目的で白山中居神社に訪れるのははじめてのこと。白山中居神社社頭の全景。大きな杉の樹や銅製の両部鳥居も変わらず聳えていました。社頭正面全景。一対の狛犬と鳥居右の社号標は「金幣社 白山中居神社」と記されています。その先には白山中居神社の象徴的存在の銅製の両部鳥居が建っています。社頭付近の長龍泉と短龍泉の解説。長走の瀧の入口までは車で行けますが、そこから瀧までは一人ではとても行く気にならない道なので、今回はどこまでも白山中居神社です。それでも駐車場から白山中居神社に向かうにあたって、靴とストック、お守り代わりの熊鈴を付けて社殿に向かいます。当日は見かけなかったけれど、白山山系には熊はもちろん、多くの猿が生息しています。泊りで釣りに訪れ、川からキャンプに戻るとサイトを荒らされ、朝釣って生かしておいた岩魚がなくなっていた事もありました。特に群れに囲まれると熊以上にタチが悪く、「まあ可愛い」と言えるような存在ではありません。銅製の両部鳥居から続く参道は石徹白川支流の宮川にかけて下りの参道が続きます。鳥居前の一対の狛犬、台座には昭和18年と刻まれていました。空の青、二本の杉の緑にも劣らず、鳥居の笠木や台輪、貫など全体は鮮やかな緑青の色に覆われています。鳥居の先の右側に建つ「岐阜県八景」の石碑。これは昭和34年(1959)、県内で特に美しい風景や名所を選んだ八つの景観のこと。内訳は以下の八景を指すようです。・苧ケ瀬池(各務原市)・岐阜城(岐阜市)・関善光寺・吉田観音(関市)・千代保稲荷(海津市)・白山中居神社(郡上市)・美濃三弘法円鏡寺(本巣郡)・岐阜成田不動(岐阜市)・城山公園(高山市)岐阜県には「岐阜県八景」の他にも、土岐市の山中で「岐阜県名所」なる石標も見た記憶があり、県の名所は多いようです。白山中居神社は白山国立公園エリアに鎮座しており、御存知のように白山は富士山や立山と共に日本三名山のひとつで、古来より神聖不可侵の御山として麓から崇める信仰対象でした。やがて修験者の修行の場として道が開かれるようになり、ここ白山を開いたのが泰澄大師とされます。後に民衆の霊峰登拝が広まると禅定道の麓に馬場が作られ栄ていきました。ここ石徹白は美濃側から白山登拝を目指す人の入口にあたり、石徹白の人々により登山道が整備されています。釣りでは何度も訪れた石徹白ですが、白山山頂へは平瀬側ばかりから登っていたので、美濃側から登った経験がありません。今回の目的地石徹白大杉はここ石徹白側のルート上にあります。鳥居を過ぎるといきなり下り参道。石段を下りた右手の泉。白山中居神社の由緒と白山古道の絵図。上「自山中居神社の由緒第十二代景行天皇の十二年、熊襲 東夷が朝廷に背いた時、皇御係を守る為、伊邪那岐・伊邪那美の二神が、打波との境の橋立山へ天降りされ、還か東南を望んで「善哉 奇しき舟岡ぞ」と、隈筥川のあたり東 長瀧川 西 短瀧川の間の森にこられ「これ清々しき舟岡山 中居」と申し給い、此処に大宮柱太しく立て鎮まりました。この時、舟岡山の坂路に、千引岩を引き、遠き神代に黄泉平坂にて事なせし如く、この岩を隔てて、許等度(別れの儀式)をされた。この時舟岡にひとむらの白雲がたなびいた。大神「これいとしろし」と申された。これより石度白と云う。石は千引岩を取り、度は許等度の度、白は白雲の白を取ったと云う。(正一位白山中居神社由緒書)より復昔 山中の古喜美という者あり、その名を武比古という。景行天皇の十二年正月(西紀前三十九年)伊邪那岐命が武比古に、皇御孫を守るため舟岡へ天下るから、舟岡の真中に宮を造れと武比古 神託により舟岡中居の地に宮殿を造り、天神を祀る、宮殿は七尺四方、高さ二丈一寸なり。御係を守る為舟岡へ天降るから、舟岡の真中朝日 夕日がさし、山と山瀧と瀧と 武比古 神託により舟岡中居の地に宮殿を造り、天神を祀る。(白山中居神社誌より)」先日、島根の意宇六社 揖夜神社を参拝した時と同じことがここでも行われたようです。下の絵図にも鳥居が見られ、中央の社殿、その上に大きな杉が描かれています。泰澄上人が白山開山の際、使用していた杖が大杉になったという伝承のある「いとしろ大杉」だろうか。よく見ると小さな堂が描かれており、これは淨安杉と思われ、その上にいとしろ大杉の姿は見当たりません。参集殿の脇から浄安杉に続く禅定道が伸びていますが、地図によれば約15分程で辿り着けますが、「いとしろ大杉」は更に上になります。泉から少し先に、樹齢を重ねた大杉が聳える中を参道が続きます、手前の常夜灯は大正拾年の寄進。いぼ取石。右手の大杉の根元にある岩で、岩の中ほどの窪みにたまった水をイボに付けるとたちどころに治るとされるもの。右手の大杉の脇に鎮座する社は猿田彦社。祭神は猿田彦大神、久那戸大神。一ノ瀬・今清水より合祀。御神徳 道の神・旅行安全の神。杉の間に続く参道(登山道に近い)は再び下りとなり、石徹白川支流の宮川に架かる宮川橋に続きます。宮川と宮川橋。ここが俗世界と神の領域の境界で、橋から先は比較的整備された参道となり境内に続きます。宮川橋から下流の眺め、一帯は禁漁区で6月にしては水量は少ないように見える。昔のように大雪も降らなくなり、山が蓄える水は減っているのだろうか。宮川橋の先に社殿が見えてきます。橋を渡り左の石段を上ると社殿が現れます。白山中居神社社殿全景。社殿は左の両社と中央に磐境、石段の先の高みに本殿覆屋、右の大宮殿が主なもので、両社の左奥に参集殿があります。境内入口の狛犬。泰澄堂跡の石碑(左)と両社。磐境(左)と本殿覆屋、手前が大宮殿。雪深い石徹白を感じさせる外観の社殿です。大宮殿前から手水舎方向の眺め。大きく開けた口に配管を突っ込まれ、冷たい清水を懸命に注ぐ龍。そろそろ開放してもいい時期ではないかなぁ。両社正面全景。二社を祀る両社の解説。須賀社(向って右)素戔鳴大神を祀る。御神徳 病気平癒災難除け、産業闻拓(農業山林,渔漁業)。合祀 ニノ峯 水呑社の鸕鶿草葺不合神 (安産神)。地造社(向って左)大己貴神(大国主命)を祀る。御神徳 産業振興、縁結び商売繁昌。医療の神様 。僅かに外光が差し込む中社内部の二社、左が地造社、右が須賀社。其々の社の前を小さな狛犬が守護する。手前の解説の下に金運の招福の玉が安置されていた。御神木が朽ちその内部に分身として生まれた石という。白山中居神社の社殿配置と案内図。石徹白大杉は案内図にある淨安杉の更に奥に聳えており、それなりの靴に履き替え、熊鈴を付けた方が賢明。何れもすぐ近くで、楽に思えるかもしれませんが、そんなに甘くはありません。白山中居神社が所蔵する文化財。一帯の森そのものが天然記念物に指定されています。大宮殿を大杉が包み込む。泰澄が開いた美濃国禅定道は、ここから白山へとつながります。大宮殿の横に掲げられている由緒と磐境の解説から抜粋。「祭神は伊邪那岐大神・伊邪那美大神、菊理媛大神。創立 景行天皇12年。養老年間、僧泰澄白山を開くため石徹白を訪れ、社殿を修め、社域を拡張、神仏混合の元を開いた。明治維新の神仏分離により仏像や奉納品は中在所太子堂で所蔵されている。祭礼 例大祭 正月三ヶ日祭、5月15日 5月第三日曜、7月18日創業祭、10月20日。境内神社五社新嘗社 祭神 大日霊貴大神、 創立 養老年間。皇祖美社 祭神 盤長姫大神、 創立 養老年間。須賀神社 祭神 素戔嗚大神 創立 養老年間。地造神社 祭神 大己貴神 創立 養老年間。道祖神社 祭神 猿田彦大神 創立 養老年間。その他明治3年村社。同44年幣帛供進神社。大正10年5月県社。昭和37年金幣社。」本殿に向かう石段中程の磐境は、古代原始時代に崇敬対象とされ、稲の豊作をもたらす白山の正面にあたる遥拝の場。大宮殿正面全景。大宮殿右から見る社殿。大宮殿内部、中央に「金幣社 白山中居神社」の額。大宮殿(幣殿・斎殿)。祭神 菊理媛大神。神徳 調和と結合の神、和解の神、全てのものをくくり合はされるを御使命とされる仲直りの神様。盤境。本殿域続く石段の中ほどにある丸い大岩で、神様が降りてくる目印となる場所とされ、太古からの自然崇拝の場。毎年7月18日に創業祭が行われ、この盤境の前で舞姫が「浦安の舞」「豊栄舞」が奉納される。城壁のような石垣の上の本殿域へ続く石段。杉の巨木に囲まれた覆殿全景。白山中居神社本殿解説。本殿は安政2.3年頃、福井県の永平寺町大工棟梁玄之源左衛門が建築を担当。彫刻は後藤兼之介と諏訪の立川和四郎二代富昌、昌敬(京都御所御門の彫刻を施す)の合作。昌敬は白山中居神社の彫刻を最後の作品として残した。「七五歳立川富昌(花押)」この粟穂に鶉の優しく強い家族愛を表現しており、見つめる事で暖かい気持ちが伝わる類稀なる名作。海老虹梁の龍、脇障子の獅子は力強く、正面扉の菊花紋、両脇屏風、両左右の浜千鳥・梅など傑作と称される。本殿は欅の一尺八寸×5尺、脇障子は四尺三寸、本殿梁は六尺五寸×一尺五寸。白山美濃馬場の奥之院、白山中居神社本殿、祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神。解説にある部位の彫刻は望遠を持ってきておらず、ここまでです。本殿左の西相殿。祭神 瓊瓊杵尊大神。氏子の安楽と幸福を守護する神、神鳩社より合祀。祭神 盤長姫大神。寿命長生の神、美女下社より合祀。本殿右の東相殿。祭神 大日霊貴大神(天照大神)。氏子の安楽と幸福を守護する神、神鳩社より合祀。祭神 盤長姫大神。諸神統合の祖神、平和と民族の生活をお守りくださる神。東相殿から本殿域社殿全景。大宮殿右から眺める本殿域全景。大宮殿右から白山古道入口に続きます、その案内板から社殿全景。白山古道入口。石徹白の方々が藪を刈り、禅定道はある程度整備されています。歩けない事はないですが、足元が見えず蛇との遭遇は避けられそうもない、蛇にも怖い奴がいるんで「いとしろ大杉」へは参集殿の左の林道を車で30分程走り、石徹白川沿いの白山南縦走路の登山道から向かう事にします。そこまでの道は対面通行の林道で100㍍間隔で待避所もありますが、道幅は狭く、角のある落石が転がっており注意しないとバーストや車の底を打ち、トラブルに繋がるので注意が必要です。白山南縦走路登山口駐車場到着。目的の「いとしろ大杉」は登山口から、石段が続く山道を350㍍、約10分程登った先に聳えています。泰澄上人が白山を開山した際、使用していた杖がこの大杉になったという伝承があり、太い幹の半分から上は枯れて折れているようですが、今も樹勢は衰えず空に向かって成長しています。周辺は杉の保護のためロープが張られ、近づいたり触れたりすることは出来ませんが、周囲の大杉ですら子供のような存在にしか見えません。樹齢1800年以上と推定される大杉は、縄文杉が見つかるまでは日本有数の大木とされたようです。この森の主として堂々たる存在感を漂わせています。ここから白山の頂までの道のりはまだまだ遠い。白山中居神社創建 / 景行天皇12年(82)祭神 / 菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊祭礼 / 5月15日・10月20日所在地 / 岐阜県郡上市白鳥町石徹白3-48参拝日 / 2024/06/19関連記事・白鳥町の神社・石徹白白山中居神社・いとしろ大杉を訪れる・・金幣社 伊岐神社・河邉(河辺)神社・白鳥町中津屋 白山神社・海上神明神社・那留 白山神社・為真 白山神社・白鳥町二日町 村社 八幡神社・長瀧白山神社、長滝寺・前谷 白山神社