秋葉神社(大門町)
高山市大門町秋葉社。前回記載した若達町1の秋葉神社から葵橋を渡った突き当りに鎮座しています。若達町1の秋葉神社から徒歩で1分程、消防団詰所の左に大門の秋葉社が祀られています。こうして消防団詰所の傍らに火伏の神、秋葉さんが祀られているのは良く見かける光景です。城下町高山は木造の長屋が連なり大きな火災を経験してきました。そうした経験から火に対する意識や火災予防・消火体制が築かれていきました。そのなかでも重要な役割を担うのが火消組になります。以下は高山市史より抜粋した火消し組の起源。「古くは天明3年(1783)、大原郡代は、大工や木挽職の152人に火消の役を勤めさせ、木製の御用印鑑を持たせた。 文化11年(1814)には夜廻りが始まり、文政13年(1830)には5つの火消組と「講」も合わせて10組となった。嘉永4年(1851)には陣屋前で火消組が駆け出しを行い、当地の出初式の始まりといわれる。」明治12年当時でも消防組として10組存在し、各組毎に固有の記が描かれた纏いを持っていました。現在、高山市内にはこうした分団が39組織されているようで、消防団詰所と火伏の神さまのツーショットが他にも見られるかもしれません。上は昭和10年当時の地図上に、これまで確認した秋葉神社を示しています。昭和13年(1938)発行の「ひだびと 第6年12号」から参照しており、記載されている町名や橋名に合わせるため当時の地図上に示しています。その後架けられた橋や道筋もあり、現在と一部異なります。秋葉神社は主に古い町並みとして賑わう一之町から三之町、宮川、江名子川沿いに多く見られます。赤の矢印が今回の大門の秋葉社になり、人で賑わう場所は避けている傾向が明らかです。市内だけでも60社近く鎮座するとされるので、これまで参拝した秋葉社を合わせても、まだまだ一口かじった程度で道のりは遠いけれど、高山を訪れる動機付けにもなり、少しずつ訪れていきたい。大門町秋葉社全景。市内の秋葉社としては広い社地が与えられ、定番の一基の常夜灯とその先に大きな覆屋が建てられています。その下には大きな岩の上に神明造の相殿が祀られています。軒下には秋葉社の額が掛けられ、奥には白馬の奉納額が見られます。神明造の社は三社相殿で、5本の鰹木と外削ぎの千木が付いています。創建時期や祭神の詳細は不明ですが、この社殿や境内は街で見かける同様の社とは異なり、今も人々の手が入って火伏の神さまとして親しまれています。秋葉神社(大門町)創建 / 不明祭神 / 迦具土神所在地 / 岐阜県高山市大門町39参拝日 / 2024/10/16関連記事・「ONSEN・ガストロノミーウォーキングin飛騨高山 」参加・秋葉神社(鳳凰台組)・櫻山八幡宮(高山市桜町)・秋葉神社(若達町2)・秋葉神社(若達町1)