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カテゴリ:精神世界
それぞれの人が、自分だけの宇宙を持っている。それは、まさに自分だけの
物で他者と決して同じではなく、あるはずもないと先に述べた。 それを踏まえ、自分と共感できる点を他者に見たときの喜びは大きい。 同じような考え思いも他者の中に見つけたときも、これでよかったんだと安心する。 私を含めほとんどの人は、他者との比較の中でしか自分の位置を確認する ことが出来ないから・・・・。 自分を本当に許せ受け入れることがだんだんと出来るようになってくると、 宇宙が全く違った人に出会っても「そうなんだ~」と受け入れることができる ようにもなってくるのも不思議だ。 違っていても当たり前。そしてその違いを受け入れうることが出来る。許せる。 だんだんそうなってくると、他者に変な期待を抱くことなく付き合っていくことが 出来るようになってくるのでは、ないだろうか? ある人に出会い、とても気になったり、いやな部分が見えてくることがある。 そして、それを相手だけのせいにしてしまう。でも、そのいや部分の正体は自分の 中で解決できていない問題や自分を許すことが出来ない部分に他ならない。 相手は、ただ単にそれをはっきりと見せてくれているだけでなのだ。 出会う人は、すべてが自分を映し出している鏡なのだ。 嫌な気分を体験させてくれる人も自分を映し出してくれているだけ。 全て自分。 そのことが体感できるようになると、だんだんと嫌な相手が出てくると自分を 見つめなおすことが出来るチャンスを与えてくれた人!ありがたいな~!と 思えるようになってくる。 そして、違っていてもいい。それもありなんだ~!と思えるようになってくると 違いも同じことというパラドクスにたどり着く。 思いの仕組みが分かると楽に生きることが出来るようになるんだな~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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