しあわせになる
みわちゃんのブログでもって幸せに関する話が載っていました。幸せが最良ではない、という視点からの考え方です。yまぁ、みわちゃんのブログをリンクしましたのでそこへ行って読むほうが早いんですがかいつまんで書くと「不幸でいたい」「不愉快でいたい」と願ったっていいんだよ。本当にそれが望みならね。でもって自分で不幸になると決めて生きて、それで自分や他人を責めることがないのならそれは心の自立なんじゃないのかな?ということです。私はこれを読んでそうだよね、ちゃんと幸せを目指そう!誰に遠慮はいるものか!!自分のことは自分で決めるって決めたジャン!!と思ったのです。あ、ちなみに「自分のことは自分で決める」って決めたのは離婚の頃です。その言葉をモト夫に言ったらその瞬間殴られましたよ。(オフレコ←こんな場所で意味のないオフレコ)「私のしあわせはみんなのしあわせ」って思っています。ちょっと読むとすごくわがままな、ドラえもんのジャイアンみたいな言い方だけどね。(あれは「俺のものは俺のもの、のび太のものは俺のもの」です)周りを陥れて幸せになるとか、そういうことじゃないんだよね。自分がただただ幸せになるってこと。このときの「幸せ」のものさしは自分だけのものさしであり他人の物差しを使ったり、比較することで幸せを感じたりするものではないってことです。なぁんかね。みわちゃんのこの記事はスッキリしたなぁ!!って感じでした。ところで案外「不幸でいたい」「不愉快でいたい」って思ってる人は多いんじゃないかな。~~追記~~でも不幸を選んじゃうと自分も人もなんかしんどい世界になるけれどね