淡々堂
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■謡…「船弁慶」3回目いかに此屋の内に静の渡り候か。君よりの御使に武蔵が参じて候。武蔵殿とはあら思ひ寄らずや。何の為の御使にて候ぞ。さん候只今参る事余の儀にあらず。我が君の御諚には。これまでの御参か返す返すも神妙に思し召し候さりながら。只今は何とやらん似合はぬやうに御座候へば。これより都へ御帰りあれとの御事にて候。これは思ひも寄らぬ仰せかな。何処までも御供とこそ思ひしに。頼みても頼みなきは人の心なり。あら何ともなや候。さて御返事をば何と申し候べき。みづから御供申し。君の御大事になり候はゞ留まり候ふべし。あら事々しや候。たゞ御留りあるが肝要にて候。よくよく物を案ずるに。これは武蔵殿の御計らひと思ひ候ふ程に。わらは参り直に御返事を申し候べし。それはともかくもにて候。さらば御参り候へ。いかに申し上げ候。静の御参りにて候。いかに静。この度思はずも落人となり落ち下る処に。これまで遥々来りたる志。返す返すも神妙なりさりながら。はる遙々の波濤を凌ぎ下らん事然るべからず。まづこの度は都に上り時節を待ち候へ。さては実に我が君の御諚にて候ふぞや。由なき武蔵殿を恨み申しつる事の恥かしさよ。返す返すも面目なうこそ候へ。いやいやこれは苦しからず候。たゞ人口を思し召すなり。御心変るとな思し召しそと。涙を流し申しけり。いやとにかくに数ならぬ。身には怨みもなけれども。これは船路の門出なるに。波風も。静を留め給ふかと。静を留め給ふかと。涙を流し木綿四手の。神かけて変らじと。契りし事も定なや。げにや別れより。勝りて惜しき命かな。君に二度逢はんとぞ思ふ行末。今回の注意点1、4オ、「いかにこの家の内に~」のは、弁慶が主人義経の命令で静のところに行ったところ。静を呼び出すように謡う。この時弁慶はこれから静に重大なことを言わなければならない。だから「いかに」は一大決心した弁慶の心を表現する。右に「カカリメニ」と書いているように、気合いを掛けて謡う。乱暴に言うとか、強く言うわけではない。2、4オ、「武蔵殿とはあら思ひ寄らずや」は、横に「閑カニ」と書いてあるが、静(シテ)にとって武蔵(ワキ)が来ることは喜ばしいことではない。そういうことを聞き手が感じ取れるように謡う。3、4ウ「余の儀にあらず。我が君の御諚には」は、「。」で少し間を取る。武蔵にとっては「我が君」の意向でこれからの行動の全てが決まるから。4、5オ「御供とこそ思ひしに。頼みても頼みなきは」も、「。」で少し間を取り、改めて謡う。5、5オ「人の心なり。あら何ともなや候」は「イ」で色をしっかりと付ける。6、5オ、「あら事々しや候」は最初を強く謡う。そして最後まで息の強さを保って謡う。最初の字を「あーらー」と伸ばさない。7、5ウ、「いかに静」、は子方だから特にいろいろあるわけではない。子供の持っているエネルギーを全部声に変えようというつもりで謡う。謡い始める前にいっぱい息を吸う。「。」のところでもいっぱい息を吸う。8、6ウ、「さては実に我が君の御諚にて候ぞや。」ここまでは静は弁慶の謀だと思っていたが、実際に義経に帰れと言われてしまった。そういう心情を表す。シテらしく、女性らしく、ゆったりと。9、7オ「これは船路の門出なるに。」は、「門出」で締め、また「なるに」でも締める。次に地謡になるから。10、7オ「波風も~」は、もっとさらっと謡う。11、7オ「神かけて変らじと」は直前の「木綿四手の」と同じ音程で謡う。・感想 今日は稽古不足でした。前回の稽古からの間隔が短いのと、諸事情のためです。 稽古不足だと、謡本の符号を読むことにとらわれて登場人物の心情についての解釈と表現がおろそかになるし、何よりも喉が謡いを忘れるので、謡い続けていると声が不安定になります。■仕舞…「高砂」キリ2回目今回の注意点1、「住吉の」の謡いは「の」を伸ばす。2、「声も澄むなり住吉の」でサシテ正ヘ出、左足カケ橋掛ヲ見る時は、サシた時に右腕を必要以上に前へ持って行かない。そうすると橋掛ヲ見る時にあまり右腕を動かさずに済む。3、「松風」ではなく「松影」。4、「松影も映るなる」は、右方向へ体を向けすぎない。少し体を右へ向け、適当なところで止めて、顔だけ右を向く。顔は扇が指した延長線上を見るように向ける。5、「さて万歳の」は前へ意識を持って進む。6、「小忌衣」の謡いは最後を長く伸ばす。7、全体的に“ためるところはためて”動く。動き始めはゆっくり、動き出すと早く。動き出したら謡いにまにあわせるように動くのではなく、謡いより先に行くくらいの感じで動く。一つ一つの動きに間を取る。「それぞ還城楽の舞」も、同じテンポで動かない。はじめはゆっくりと、後になるほど早く動き、謡う。早く動く時は決して大股にならず、一歩一歩を小さく出す。8、シテの役は住吉明神という和歌の神様。若い神様なので、きびきびと舞う。・感想 初めに「げにさまざまの舞姫の。声も澄むなり住吉の。松影も映るなる青海波とはこれやらん」と謡いながら舞わなければいけないのが、慣れないうちは少し難しいです。家で暗記していったつもりが、舞いながらだと次の謡いが出てきませんでした。別にそのことで先生に怒られるということはありませんが、自分が不便です。 「高砂」は私の他に2人、一緒に同じスピードで習っています。その2人は元々2年間限定ということで習い始めたのですが、この3月で約束の2年間が来てしまいます。先生は2年間という限られた時間を考慮し、よく演じられる曲を教えてこられました。「高砂」もよく演じられる曲の一つです。 私がその2人と同じものをするのは殆ど偶然ですが、一緒に習う人がいるのは私にとってはたいへん好都合です。一緒のものをするからといって、グループレッスンではないので、個人レッスンを3人それぞれが受けることになるからです。稽古は他の人のも自由に見学できるので、きちんと見続けると、通常の3倍の稽古をしていただくことになります。自分の番の時に理解が不十分だったとしても、別の人の稽古を見て理解することができます。先生の舞を正面から客観的に見ることもできます。自分が注意を受けた箇所を、別の人に別の表現で教えているのを聞くことができます。横で一緒に舞うことで、お手本を見ながら回数を多く舞うことができます。
2007年01月31日
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今日のおかずは菜の花のからし和えでした。菜の花は祖父がよくすき焼きに入れて、私に食べさせてくれました。今日の菜の花は少し固かったので長めに茹でると、茹ですぎました。祖母は「これくらいでちょうどいい」と言いますが、私は固めが好きです。一足も二足も先に、食卓に春が来ました。
香水をつけようと、グロウバイジェイロー(GLOW BY J.LO 、2002年発売)をとり出しました。これはジェニファーロペスがプロデュースしたというので有名です。 ボトルは彼女のボディーラインを、ボトルの手触りは彼女の肌触りを再現しているそうです。大きな瓶だとラインストーンのチャームがかかっていてきれいなんですが、私のはミニボトルです。きつい石けんの匂いがするので別に好きではありませんが、色がかわいいので。すると横から声が。「浣腸みたいやな」 ……え? 「これを作った人は、浣腸を知らん人やな」 そう言われてみれば色といい形といい、それっぽい…かな。 「浣腸はもうちょっと、こう、一回り大きいけどな」 せっかく買ったのに、いらんことを言うなー!! ↑大 ↑小
2007年01月30日
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水菜は虫が好む植物です。あの幅のない葉っぱを目に近づけてよーく見ると、黒いつぶつぶがたくさん。それは全て虫か、さもなくば虫の糞です。私の家の向かいに住む人はたいへん野菜を育てるのが上手で、たくさんの野菜をくれます。無農薬というのはこういうことです。水菜を沸騰した湯で少し茹でて、3cm幅に切り、ドレッシングをつけてよく食べています。茹ですぎても食感はそう変わりません。
大寒を過ぎても相変わらず穏やかな日が続いています。今年は本当に暖かいです。祖母は言いました。「へるにゃんにょ現象!」みけにゃんこの国の言葉ですか、それは。「エルニーニョ現象!」今度はちゃんと言えました。 エルニーニョ…《幼子キリストの意》南アメリカのペルー沖の冷たい海域に、風向きなど の影響で暖流が移動し、水温が異常に高くなる現象。気象や漁業に大きな 影響を与える。クリスマスのころに起こることが多い。 [ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ] 祖母は、「とちけもないことは言わないよ。私はその周辺を言ってるの」と言いました。 「とちけもない」というのは方言なのか、祖母の言葉なのか、いまいちわからないまま何年も過ぎています。
2007年01月29日
食後しばらくテレビを見ていると、ポン酢が食べたく(飲みたく?)なりました。ポン酢を食べるのに一番適したものは何だろうと考えました。一番好きなのは鍋物ですが、今更そんなに食べたくありません。先日のおかずだった、すり下ろした山芋とメカブをポン酢で和えたのはおいしかった…でも、今から山芋を切って、皮を剥いて、おろし金でおろすのは面倒です。絹ごし豆腐に掛けるとさっぱりとして相性が良いです。しかし冷蔵庫にはありませんでした。そうだ!とひらめき、わかめに付けて食べることにしました。冷蔵庫から塩わかめを取り出し、水で戻しました。手が滑って、たくさんになりました。全部食べました。おいしかったです。でも、我ながら少し食べ過ぎのように思います。考えてみると、最近は味噌汁の具にわかめを用いることが少なかった。きっと、体にわかめが足りてなかったんです。体がわかめを欲していたんです。
2007年01月28日
先日、宮崎に新知事が誕生しました。連日その動向がテレビで伝えられています。祖母が夕食を食べながら話し始めました。「ひがしばるこくばるがね…」その人は東国原英夫さん(そのまんま東)です。ひがしこくばると読みます。珍しい名字だと思います。
私はNECのパソコンを使い続けています。最近、少し調子が悪いので、知り合いに相談しました。祖母は、「NCCのパソコンは直ったの!?」と聞いてきました。NECのパソコンとUCCの缶コーヒーが混ざったような単語ですね。祖母はUCCの昔からあるあの甘い缶コーヒーが好きです。自分で煎れる時は、ミルク1つ、砂糖は2つ。
2007年01月27日
もしも私が大富豪だったら、私の頭上にヘリコプターを飛ばします。方向音痴だからです。例えば、行き慣れたところに行く時。いつもと違う道からだと辿り着けないことがあります。地図がないと、初めての土地では何がどうなっているのかサッパリです。友人にもいますが、「なんとなくわかる」とか、「方向さえわかれば着ける」というようなことを言う人が時々います。本当に尊敬します。道に迷った時、即座に頭上を飛んでいるヘリコプターの操縦士と連絡を取り、自分がどこにいるのかを教えてもらえたらなあと思います。携帯電話にもそんな機能は付いていますが、まだまだ画面が狭く、表示が遅い。カーナビを持って歩けるなら、それでもいいけれど。
2007年01月26日
YAHOO!ニュースでこんな記事を見ました。所得9割以上が日本から=ヨン様、40億円で芸能人トップ 韓国の人気俳優ペ・ヨンジュンさんが2006年の所得税として97億5000万ウォン(約12億5000万円)を納めたことが25日、分かった。ペさんの所属事務所によると、納税の基準となった05年の収入申告額は329億ウォン(約42億円)で、韓国の芸能人でトップ。このうち、9割以上が日本からの収入だった。 ひところに比べると、韓流ドラマ全体の人気は低迷気味といわれる。しかし、ヨン様人気は依然として根強いことを収入面から裏付けた形だ。(1月25日17時1分配信 時事通信)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070125-00000107-jij-intヨン様人気は本当にすごいです。さすが微笑みの貴公子。先日、数年前に大流行した「冬のソナタ」の1話目を試みに見てみました。祖母も横で見ながら聞いてきました。「ヨンさんは、ヨン・何さんて言うの?」おばあさん、それは違うんです。ヨン様はペ・ヨンジュンといって、ペが名字なんです。ヨンジュンは名前。ヨンジュンの漢字表記は勇俊です。日本語読みだとゆうしゅん君ですか。1972年8月29日生まれ。これを信じるなら乙女座で、細木数子の六星占術では火星人+だそうです。
2007年01月25日
■謡…「船弁慶」2回目頃は文治の初めつかた。頼朝義経不会の由。既に落居し力なく。判官都を遠近の。道狭くならぬその前に。西国の方へと志し。まだ夜深くも雲居の月。出づるも惜しき都の名残。一年平家追討の。都出でには引きかへて。ただ十余人。すごすごと。さも疎からぬ友舟の。上り下るや雲水の身は定めなき習ひかな。世の中の。人は何とも石清水。人は何とも石清水。澄み濁るをば。神ぞ知るらんと。高き御影を伏し拝み。行けば程なく旅心。潮も波も共に引く大物の浦に、着きにけり大物の浦に着きにけり。御急ぎ候程に。これははや大物の浦に御着きにて候。其存知の者の候ふ間。御宿の事を申しつけうずるにて候。いかに申し上げ候。恐れ多き申し事にて候へども。正しく静は御供と見え申して候。今の折節何とやらん似合はぬ様に御座候へば。あつぱれこれより御返しあれかしと存じ候。ともかくも弁慶計ひ候へ。畏つて候。さらば静の御宿へ参りて申し候ふべし。今回の注意点1、全体的にもっと息の強さを感じさせる謡をして欲しい。2、ワキ(弁慶)はもっとどっしりと謡う。特にシテ(静)が登場するまではどっしりと謡う。3、2オ「頼朝義経」の「頼朝」も気を抜かずに謡う。4、2オ「判官都を~」は子方で高めにさらっと謡うが、これもちゃんと力を入れた息で謡う。5、2オ「まだ夜深くも」は右に「サラリ」と書いてはいるが、「まだ夜深くも」という情景が聞き手の頭に浮かぶような謡いをする。6、3オ、「大物の浦に着きにけり大物の浦に着きにけり」は、一度目の「大物の」が終わったところで心持ち間を置く。「つきにけりだいもつの」と完全に続けない。7、3ウ、「いかに申し上げ候。恐れ多き申し事にて候へども。」は、弁慶にとっての主人義経の恋人静を連れて行くのをやめるよう進言しようとしているところ。弁慶は言いにくいことではあるが、今日こそはと一大決心をして言い始めるところなので、「いかに申し上げ候。」の後、少し間をとる。8、4オ、「畏つて候。」は、義経の「ともかくも弁慶計ひ候へ。」を聞いて、内心「してやったり!」と喜んで言うセリフ。そのために3ウ「いかに申し上げ候。恐れ多き申し事にて候へども。」以下、主人にこれこれと申し上げたのが受け入れられたのだから。もっと大きく謡う。9、4オ、「さらば静の御宿へ参りて申し候ふべし。」も、もっとしっかりと謡う。・感想 レコーダーに録った自分の謡を聞くと、自分の声の軽さにびっくりします。 上に書いた注意点は先生が言葉で説明してくれたもののメモですが、実際には私と一緒に謡って下さることで、「こう謡うのですよ!」と言外に教えてくださることも多いです。そういうのはなかなか文字化しにくいので、謡本の方に書き込んでいます。傍線を引いたり、文字を囲ったりして。そんなでも、次見た時に、「ここは注意されたところ!」と思い、考えながら謡うことができます。 今日のお稽古は45分くらいでした。長い。でも有難い。足が痺れきって、なかなか立てませんでした。でもだいぶ正座に慣れて、痺れが取れるまでにそう時間がかからなくなりました。■仕舞1…「巴」6回目今回の注意点1、力強く構える。2、はじめの謡いをもっと力強く謡う。3、「四方を払ふ。八方払ひ」は長刀の末の方を掴んだ右手を上に上げ、刃が足下に近くなるようにする。そうでないと、万が一、手が長刀から外れた時に、観客の首を薙ぎ払うことになってしまう。4、右左右左ト四ツ共ニ取直シは、下から上へ、腰から、切り払うような動作をする。・感想 ああ、よかった。なんとか覚えられて。一応、今回で終わりました。 「巴」は2分10数秒の舞です。■仕舞2…「高砂」キリ1回目今回の注意点1、「高砂」キリの最後の部分「千秋楽は民を撫で。万歳楽には命を延ぶ。相生の松風颯々の声ぞ楽しむ颯々の声ぞ楽しむ」の部分は附祝言(つけしゅうげん)で謡うくらいおめでたい曲。だから、格別に力のある声で謡い出す。2、開は、1足目はまっすぐ引く。2足目は斜めに力強く引く。・感想 「高砂」を初めて見たのは2003年に放送された「第30回NHK古典芸能鑑賞会」です。観世流宗家の観世清和さんがシテで、能をしていました。笛の旋律がきれいで、何度もその部分だけ聞きました。 次に見たのは2004年9月の発表会で、私の他の方がしていた仕舞です。勇ましくてかっこいい舞でしたので、いつか自分も習いたいと思いました。(ちなみにこの方が発表会でなさる仕舞を見ると何故かいつも、私もいつか!と思ってしまいます。) その次に見たのが2006年10月28日の舞囃子です。シビレました。 今回から習えて嬉しいです。先生に型付(かたつけ。謡本の右注に型の名前が書いてあるもの)をコピーさせていただくと、意外と短いのに驚きました。
2007年01月24日
先日、とても足が痛かった祖母は健康が心配になり、数ヶ月前の血液検査の結果を取り出して、じっくりと見ていました。どの項目も正常値で、動脈硬化の心配もないそうです。森公美子は1か月に1回検査をしているそうですが、あの体型でどこにも異常がないそうです。祖母も今の体型で正常なのかもしれません。
篠崎彰夫:それより忘れてならないのは、日本人の肌のきめこまかさ、手や足の小ささ。それからボディのメリハリは、20代では外国女性に負けますが、40歳くらいになると、日本人がいちばんきれいに見えるんです。アメリカ人とかフランス人とか、若い頃とサイズがどっと変わってますよ。でも日本の女性は加齢によって体型があまり変化しないから。外国人の視点では、日本女性はいいところだらけなのに、日本人はいつも外国女性を見てるんですよ。もっと自分たちのよさに気づいてほしいと思いますね。糸井重里『さらに経験を盗め』中央公論新社、2005年07月、p.126 糸井重里がいろんな分野の人と話し合う鼎談集の第二弾です。篠崎彰夫(しのざきあきお)は(株)ワコール執行役員。
2007年01月23日
夕食後、祖母が思い出したように言いました。「最近テットポトルのお茶がよく売れてるんだって!」何か、テトラポットみたいですね。「え?なに?トットポトル?」だんだん遠ざかっていきます。
ぼくの経験ですが、大学の時、アイスクリームのふたをつくる町工場しかアルバイトの口がなくて、仕方がなくそこへ行き、機械の前に座って仕事をやり始めました。 そうしたら、すっかりはまってしまい、たちまち工場でベストテンに入るくらいのふたつくりの名人になり、工場長から大学卒業したらぜひ入社してくれと言われたのです。ぼくはこんな能力を持っていたんだというのをつくづく感じ、学歴や学力が得られなくても生きていける自信が湧きました。荒俣宏・中谷彰宏『人生の錬金術』メディアワークス、2001年07月、p.91
2007年01月22日
ビーフストロガノフを初めて食べたのは20歳を過ぎてからです。この料理を知ったのは浦沢直樹著『YAWARA!』です。主人公が意中の男性にごちそうしようとして、家で練習をしていた料理がこれでした。祖母は今、この料理名に苦戦を強いられています。「ビーフストロロロ……ガフ!」時々50音にないような声を発しながら、懸命に舌を動かしています。確かに難しいですよね、この名前は。ビーフストロガノフはロシア料理で、直訳すると「ストロガノフ家流」です。ストロガノフ家の家伝の一品であったとされているそうです。ビーフは牛肉ではなく、「~流」「~風」だそうです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%AC%E3%83%8E%E3%83%95
ぼくは、レストランに行った時、いきなり中に入って、メシを食べ始めたりするような人物を「びっくりオンチ」と呼んで軽べつしています。 まず建物を見て、装飾を味わい、続いてテーブルや椅子にも目を向けて驚いたり、楽しんだり、余裕を味わったりする文化力のない人はオンチです。 方向オンチというのがありますが、世の中には楽しいものを見つけることにきわめて鈍感な「オモシロオンチ」がいます。 この世界だけはそういう人が大手を振っているのです。荒俣宏・中谷彰宏『人生の錬金術』メディアワークス、2001年07月、p.31
2007年01月21日
昨日、私がなかなか帰ってこないので、祖母はなかなか寝られなかったそうです。「布団に入って目をましこましこしてたよ」と言っていました。そんな表現は初めて聞いたので、即座に書き留めました。祖母が昔住んでいた地域での言葉だそうです。
今日は大寒です。とはいうものの、私の住んでいる地域は穏やかな天気です。センター試験1日目ですが、受験生にとってはほっとする天気でしょう。夕食は、「大寒に卵を食べると1年間金運が上がるとテレビで言っていたから」ということで、だし巻き卵を注文しました。ほんとかな。ほんとかな。
2007年01月20日
お寿司を食べに行きました。おいしかったです。実は、私はどうも「お寿司」と自分で言うのに慣れません。 同様に「お風呂」も。「お酒」も。「お豆」も。「お水」も。 本当は、すし!フロ!酒!マメ!水!と言いたいです。 少しだけ慣れてないのが「お相撲」。 ぎりぎりで慣れているのが「お薬」。 そこそこ慣れているのが「お嫁」。 大分慣れているのが「お茶」。完全になれているのは「おから」。ちなみに、おからの「から」は、大豆から豆腐の原料となる豆乳を搾り取ったあとに残る物の意味です。
祖母がこたつで書き物をしていました。私に「けってどう書いたっけ?」と聞いてきました。発音から「毛」を想像しましたが、ノートを見ると「髪」と書きたかったようです。おばあさん、それは「け」ではありません。「かみ」と読みます。
2007年01月19日
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中谷さん(引用者中―対談相手の中谷彰宏)が本の表紙を眺めるというのは、本に接する時の文化力の差です。中をパッと読んでピュッと捨てるのは、ある意味では本を道具として見ているだけです。表紙をウーンと見て、1ページちょっとめくるというのが文化力です。本の表紙を味わえる子供は文化力があります。表紙から興味があるのです。文化力で本をジッと眺める、なかなか開かないというのはポイントです。お花見で、桜を眺めてすぐに酒を飲んで酔っぱらうのは文化ではありません。まず1句ぐらいひねってから酒を飲むというのが文化の世界です。荒俣宏・中谷彰宏『人生の錬金術』メディアワークス、2001年07月、p.25
2007年01月18日
天気がよかったので、いつもの洗い物の他に、大物を洗おうと祖母が提案しました。いつも家で着ているジャージ上下も洗って良いかとお伺いを立てると、祖母が言いました。「洗いなはれ。なんでも洗いなはれ」(=お洗いなさい。何でもお洗いなさい。)なぜだかわからないけれど、妙にこの言葉が面白かったので書き記すことにします。
昇龍(黒糖)浜千鳥の詩(黒糖)いも麹芋(芋)天照(そば)豪気(麦)
2007年01月17日
(略)ぜひ「物あつめ」をおすすめしたいのだ。日常がパッと花が咲いたように楽しくなる。まあ、それはまことに慶賀すべきことであるのだが、もっと大きな変化は、それまで入手ルートがつかめないできた「困りものジャンル」が、一気に、それもごく簡単に、手のうちにはいってくるようになったことだ。ほしくてもみつからなかったマニア向けグッズが、信じられないほどドンドン手にはいる! おかげでわたしは、スリリングでスリリングで、死にそうなほど刺激的に生きるようになった。荒俣宏『荒俣宏の「イーベイ」お宝コレクション術』 平凡社、2000年8月、p.8~9
(略)アウン・サン・スーチーさんの話になった。そこで、私の十年前の、スーチーさん問題吹き荒れたころの一つの思い出が蘇った。「あのー、雑学博士みたいな人いるじゃない。作家で、ブロードキャスターに出てて、残念ながら先日夭折なさった杉浦日向子先生と一度結婚して離婚した」「あー、あれ。わかるわかるあのひとー」互いに、荒俣宏、の名前が出て来ない。「うーん。誰だっけ名前が……」(略)「荒俣が、ありゃまったこりゃまった(陽気に歌ってください)」「何それ!!」「月夜野が言うんだって。いや、そんでね。十年くらい前に荒俣がスチュワーデスと再婚したのさ。で、今はフライトアテンダントと言うけど、当時はスッチーと言うていてね……その話を月夜野と誰かがこたつで「ありゃまったこりゃまったがスッチーと再婚したらしいよー』というのを聞いてね、『すごい!さすが荒俣!!アウン・サン・スーチーさんと結婚したのか!!』そりゃ大ニュースだ……と話に混ざったら、だんだん噛み合わなくなっていって……」「そのくだらないダジャレとスッチー話の為にいくつあたしの脳細胞が死んだ!!」菅野彰・立花実枝子『あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します』新書館2007年1月、840円、p.70この本には、まともな料理を出す店(=生きてる)なのか、吐き気を催すような不愉快な料理を出す店(=死んでる)なのかを菅野彰と立花実枝子を中心とする数人が調査した経緯や結果が書かれています。訪れる店は一見営業しているのか堂なのかわからない店に限ります。そして、注文した料理はまずくても危険でも完食するというルールが途中でできています。荒俣宏に敏感な私は、つい目を血走らせてこの、荒俣とは何の関係もないはずの記事に見入ってしまいました。荒俣に特別興味のない人はこういう認識なんですね。なるほど。荒俣は「アリャマタコリャマタ氏」として水木しげるの漫画に登場します。
2007年01月16日
頂いたキウイを剥いて祖母と食べました。「…………!!………!!」とても酸っぱくて、祖母は顔を覆って座椅子に沈み込んでしまいました。私も祖母も酸っぱいのは苦手です。しばらくして、その衝撃が少し遠ざかると、祖母は感想を言いました。「すちばーいわ!」え!?「すちばい!あー、すちばい!!」酸っぱいの最上級はそういうふうに言うんですか?それは方言ですか?おばあさんの感性がそう言わせたんですか?何か口直しを取ってきましょうかと尋ねると、間髪入れずに「飴!」と答えました。
初謡会で、助っ人に来て下さった先生とお話ししました。今習っている仕舞「巴」で、長刀を払う動作がなかなか格好良くいかないことをぼやくと、「縦にした大根をいかにきれいに切るかということを想像するといいですよ」という助言を頂きました。なるほど、わかりやすい。大根ですか。「…そのためには、必ずどちらかの手を腰につけて、腰からずばっと持って行くといいですよ。腕だけじゃなくて」とも。合戦において長刀は馬の胴体をなぎ払うような使い方もしたらしいですねと申し上げると、「それは内臓がすごく出そうですね。どばー!と」と仰っていました。きっとそうでしょうね。昼食後、日当たりの良い応接室でのなごやかな会話でした。
2007年01月15日
お笑い番組を見ていると、次長課長が紹介されました。祖母は「次長課長か…」とつぶやいていました。祖母の頭には日々新しい情報が書き込まれています。続いて水道橋博士が紹介されました。祖母は「水道課長か…」とつぶやいていました。どこかの市役所を紹介してるんじゃないんですから…
初謡会の午前の部が終わり、昼食も済み、みんなで応接室へ行きました。誰が呼ぶでもなく、1人、また1人と日当たりが良い窓側でたたずんでいました。遅れて入って来た先生が見るなり仰いました。「どうしたの、みんなして甲羅干しして!」甲羅干し?先生。それを言うならひなたぼっこ。
2007年01月14日
いつもの稽古場とは場所を移して初謡会(はつうたいかい)です。助っ人として、先生の同門の方が1人、他県からはるばるお越し下さいました。 先生ははじめに「謡は演劇です。今日は符号を間違えても一向にかまわないから、頑張って演じてください」と仰いました。また、間違ったからといって後でとやかく言ったりはしないからねとも仰っていました。その言葉通り、後でお説教を受るようなことはないですが、謡っている途中にはたまに、先生に後ろから「もっと息を使って!」とか、「扇を取って!」とかいう注意を受けます。外部の人に披露する発表会ではなく、内輪の会ならではのなごやかな光景です。 私は「羽衣」シテ・「紅葉狩」ワキという役を頂いていました。普段、稽古でシテもワキもツレもトモも地謡も全て自分だけで謡う時は気持ちの切り替えが必要ですが、今日は役に専念できます。「羽衣」をする時は「私は天人。天人。天人」と心の中で念じなくてもいいですがその気になって謡います。 役がついた曲の他にも、「鶴亀」「竹生島」「経正」「猩々」に地謡で参加しました。私の先生の方針は、「習った謡にはできるだけ参加する」です。私の足は無事正座に耐えてくれてました。このところ、正座時の体重の逃し方のこつを会得しつつあります。助っ人の先生の横に座った時は、私の先生とは別のプロの謡い方をビシビシ感じることができて勉強になりました。 恙無く会が終わった後、コーヒーを飲みながら先生が「若いと覚えが良いとか元気がいいとかいう良いところはあるけど、そうじゃなくても子育てとか色々な経験は全部自分のものになって謡いに出るのよ。だから、若くないからとか言う必要は全くないです」と仰っていました。
平成19年用お年玉付郵便葉書の当選番号が発表されました。祖母は「ソノシートが1枚当たった!」と言いました。何年も訂正していますが、それは切手シートですよ。祖母にとって、シートといえばソノシートなんでしょうね。私も“ソノシート”が1枚当たりました。 ソノシート【Sonosheet】…ビニールなどで作られた薄手のやわらかいレコード。商標名。 (大辞泉)
祖母が夕食が終わった後、「マミーっていうのがあるの?」と言い出しました。何ですか、それは。「あの…ピスケットの」祖母はいつも、ビスケットのことをこう言うんです。マミーではないけど、マリーならありますよ。「え?マリーでしょ?」さっきマミーって言ってましたよ。マリー 森永ビスケットhttp://www.morinaga.co.jp/biscuit/marie.html
2007年01月13日
つい、誤りを「ゴリ」と読んでしまいます。
2007年01月12日
祖母はペットを飼っています。生物ではなく、しろちゃんという、白い犬型のクッションです。しろちゃんの仕事は日中、祖母と一緒にテレビを見ることです。足が冷えないように、こたつに入っています。たまに祖母はしろちゃんと話をしているそうです。「よその人が見たら、ボケたかと思うわねえ」と笑って教えてくれました。今は寒いので、しろちゃんは黄色いセーターを着せてもらっています。私が2歳の時、お向かいさんに縫ってもらった機械編みのセーターです。色違いでみかん茶のもあると聞いています。
写真は、夏に撮った機嫌が良さそうな亀さんと、最近撮った機嫌が悪そうな亀さんです。私と亀さんとの生活は唐突に始まりました。そして、どちらも死ななかったから一緒にいて、季節を繰り返すうちに、いつの間にか18年経ってしまいました。18歳といえば、鬼も十八番茶も出花、人間で言えばいい娘さんです。娘を育てたような感慨はありません。亀は亀です。適当にかまって毎日を普通に過ごすことが長生きさせるこつといえばこつなのかもしれません。私はもう、亀がいなかった人生よりも亀がいる人生の方が長くなってしまいました。 ものの本によると、クサガメの寿命は大体30~60年だそうです。(えらく適当な数字ですが。)順当に行くと、あと10~40年くらいは生きる計算になります。どちらかが死なない限りは一緒にいようと思います。
2007年01月11日
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「冬至十日すりゃあほでもわかる」この時期、祖母の口からよく聞く慣用句です。5時過ぎでも明るくなりました。
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初謡会のための稽古をしました。元日に届いた先生からの年賀状に「羽衣のシテをお願いします」と書いてあったので、「うわっ!」と思いました。やわらかい女性の役は私の最も不得意とするところです。 今日、稽古場に行って番組を確認すると、その他に「紅葉狩」のワキの役も当たっていることを知りました。これはこの前終わったばかりだし、平維茂という若い武将の役で、私にとっては割とやりやすい役です。 「紅葉狩」はワキツレの人と2人で稽古をし、その後シテの人と2人で稽古をしました。「羽衣」のワキの人は稽古日が違うので、当日初めて合わせることになります。 仕舞は時間がないのでしませんでした。他の人の稽古中、長刀を貸していただいて自分で稽古をしただけです。■謡1…「紅葉狩」ワキの部分だけ今回の注意点1、2オ「面白や」は、紅葉を見て面白いと感嘆しているように謡う。2、2ウ「面白き気色かな」は、次にワキツレと一緒に謡うということを念頭に置き、ワキツレが謡い出しやすいように謡い終える。3、2ウ「明けぬとて」は、ワキツレを従えて勇ましい様子なので、もっと息を使って謡う。4、2ウ「丈夫が弥猛心の梓弓。弥猛心の梓弓。」の2回目の「弥猛心の梓弓。」はワキツレだけが謡ってワキは黙っている。5、3オ「いる野の薄」は、ワキは“自分の調子に返すぞ!”と主張しなければならない。ワキがしっかり謡わないと、ワキツレがどのくらいの調子で謡えばいいのか困る。6、3ウ「あら不思議や」は、もっと驚いたように謡う。7、4オ「かたがた乗りうち叶ふまじと」はワキツレ達に命令している言葉なので、もっとしっかりと謡う。・感想 レコーダーに録った自分の謡を聞くと、先生に言われた通りしているつもりでいても、表現しきれていないことがよくわかりました。もしかすると、今の私は、「ここまでしたらクサいかな」と思うところまでやってみてちょうど良いくらいなのかもしれません。今日はもう夜遅くて疲れているので、明日にでもクサいほど演じてみて、それをレコーダーに録って確認してみようと思います。■謡2…「羽衣」シテの部分だけ今回の注意点1、全体的に急ぎすぎ。もっと間を取って謡う。2、3オ「なうその衣は此方のにて候…」は、ワキが謡い終わってから少し間を置いて謡い始める。3、3オ「なうその衣は此方のにて候…」は、橋がかりから謡っているので、もっと遠くの方から呼び掛けるように謡う。「その衣は」からをせかせかとせっかちに謡わない。4、3オ「それは天人の羽衣とて」は、橋がかりを歩きながら謡っているので、「なうその衣は此方のにて候」よりは近づいたが、まだ遠くから謡っていることを念頭に置いて謡う。5、3ウ「悲しやな」は右側に「シットリ」と書いているので、“内側にとって”、もっと悲しさを声で表現する。天人は「返してくれ」と自分が言ったら返してくれるものと思って、割とのんきに構えていた。しかし、漁夫が返してくれないと知った時、天人は天人の世界では持ち得ない悲しみの感情を得る。だからここの「悲しやな」はドラマ性がある。6、4ウ「力及ばず」は直前のワキの謡いにつられて「ち」の音が低くなっている。初めの音からシテらしく謡う。7、4ウ「天の原ふりさけ見れば霞立つ。雲路まどひて。行方知らずも」は記号を読むことにとらわれ、きれいに謡おうと一生懸命になっている。もっと「ふりさけ見れば」という言葉に込められた天人の心情を表す。8、5ウ「あら嬉しや」はもっと驚きの感情を表す。「あーらー嬉しや」と、「あら」が伸びているように聞こえる。もっと気持ちが高揚した様子が表現できると、その後のワキの「暫く」という言葉が効果的になるし、その前の天人の悲しみも生きてくる。9、6ウ「いや疑ひは人間にあり。天に偽りなきものを」は、「羽衣」の中で大事な言葉だから品格を持って謡って欲しい。右側に「カカリメニ」と書いているのは、直前のワキの「衣を返したらお前は舞わずに天に帰るだろう」と言ったのをスッパリ否定するという意味がある。間を置かずに「いや疑ひは」ときっぱりと謡う。相手を疑うということは天人の住む世界では無かった考えなので、天人は少し驚きをはらんでこの言葉を言う。10、6ウ「少女は衣を著しつつ」「雨に潤ふ花の袖」の謡い方が弱い。羽衣を返してもらい身につけた天女は、「これで天に上がっていける。大丈夫」という自信を取り戻しているから、品位を以て下界の人間に相対する。11、9ウ「或いは」の音階が低い。直前の地謡につられずに高く歌い出す。12、9ウ「色香も妙なり少女の裳裾」は、「色香も妙なり」をゆったりと謡い出すのは良かったが、「少女の裳裾」までゆったり謡っては重くなる。「少女の裳裾」はノリ良く謡う。そうすると、続く地謡はそのリズムにノルことができる。・感想 ほぼ全ての謡いを注意されました。しかし、レコーダーに録った私の謡いを聞くと、これでも最小限の注意だったのだということがよくわかりました。女役の声を作ろうとすることがまず一番にあって、その女役がどんな感情で言葉を発するのかを表現することが後手に回っているからです。悪い理由がわかるところから正しく表現するまでの距離は長いです。 先生は最後に、「はい、上出来です。羽衣はやっぱり何度謡っても楽しいわね」と笑って仰いました。
2007年01月10日
私は気づきました。私の手よりも祖母の手の方が大きいことに。祖母は私より10cm以上身長が低いです。私の手はもともと小さいですが、まさか祖母よりも小さかったとは。驚きました。さらに手の爪は、祖母のは私の2倍くらいあります。
祖母と世間話をしていました。「あの人のお母さんはね、パーそんきん病で大変なのよ!」パーキンソン病です。おばあさんはそそっかしいから、後の言葉が先に来るんですね。そういうことを、私達が住んでいる土地の言葉で「いらち」と言います。
2007年01月09日
私は観世流の能(謡と仕舞)を習っています。『観世流初心謡本(かんぜりゅうしょしんうたいぼん)』の上巻の一番目は「鶴亀」という曲です。唐の皇帝が新春の行事に鶴と亀を舞わせた後、自分も舞を舞うというお話です。私はこの曲から謡の稽古を始めました。亀が好きな私としては、はじめに習う曲に亀が関わっていることが、私と能との距離を縮めてくれたように感じました。能では、鶴役と亀役の人は、それぞれ鶴の形と亀の形の飾りが付いた冠をかぶります。甲羅の後ろに毛を生やした、目出度い亀です。実際には毛ではなく藻で、「緑藻亀」や「蓑亀」と呼ばれます。http://www.rakutai.jp/etc/nakagawa/doc/001.htmlhttp://www.heianjingu.or.jp/10/0102.htmlhttp://okab.web.infoseek.co.jp/yawa4/45.html「鶴亀」の中に、「亀は万年の齢を経、鶴も千代をや重ぬらむ」という言葉があります。 (=亀は万年の齢を経て、鶴も千代の年を重ねるのだそうだ)3回目か4回目の稽古で習いました。習った日に、亀さんにその部分を謡ってやりました。亀さんは別に何の反応も示さず、歩いていました。
2007年01月08日
家からほど近いところに焼き肉屋ができるそうで、求人募集のチラシがポストに入っていました。祖母は勢いよく、「じゃじゃじゃまができるって!」と、私に教えてくれました。おばあさん、それはじゃんじゃかという店なんです…でも、じゃじゃじゃまという店もインパクトがあっていいかも
水替えの時は庭に放しています。気が向くと一周回って私の足下に戻ってきますが、そうでない時は行きっぱなしです。亀さんは今のところ、健康状態は良好で、いきいきムチムチしています。深刻な病気やけがはまだないですが、長いつきあいなので軽い物なら色々あります。口の周りに白っぽい膜が張っていたのが2回くらい。 →すぐ治りました。冬眠中に左前足の鱗と鱗の間がかぶれたようになっていたのが1回。 →乾燥させたり、消毒薬を塗ったりしたら治りました。私が擦りすぎて腹側の甲羅の継ぎ目から血がにじんだのが数回。 →オロナインを塗ったら治りました。 「爪は伸びたら切りましょう」と書いてあったので切ったら、深爪で血がにじんだのが1回。 →オロナインを塗ったら治りました。あと、高い所から落ちて「ぐぅ」とかいう声を出した時が1回。 →うわっと思いましたが、何ともありませんでした。水替えの時、私が手を滑らせたせいで、亀さんが水の中ででんぐり返って石にぶつかって「ぎょぉ」とかいう声を出した時が1回。 →ひやっとしましたが、何ともありませんでした。それから、何かわからないものを拾い食いした時が1回。 →さすがに死んだらどうしようと思い、夜中に様子を見に行きましたが、 機嫌が良さそうな感じでこっちに寄ってきました。多分、元々体が丈夫なのだと思います。
2007年01月07日
以前頼まれて録画していた、実写版「ちびまるこ」を祖母が見ていました。「ドライムカップって何?」画面を見ると、タイムカプセルをまるこが埋めようとしていました…一応、「イ」・「ム」・「カ」・「プ」は使ってますね。↑6.5L(23,000円) ↑2.4l(14,000円)
写真は亀さんの後足です。持ち上げた時、私の手を蹴りつけてくる足です。4本の指があり、それぞれ爪が生えています。昔は5本だったけど、きっと退化したんだろうなと思いたくなるわずかな出っ張りがあります。普段は全く呼びませんが、私の亀には「かめの」という、ちゃんとした名前があります。呼びやすいので「亀さん」と呼んでいるのを、ブログでも踏襲しています。亀をもらった当時は性別がわからなかったし、野良亀ということもあって、適当に「野良公」とつけましたが、大人になって雌だとわかったので改名しました。(この名前の時は呼び捨てでもちゃんと名前を呼んでいたのに、 改名してからは「かめのちゃん」と呼んだことが2、3度あったようななかったような…)名前の由来は、楠本まき著『KISSxxx』(全5巻、集英社、1989~1991年)という少女漫画の主人公の彼女の名前です。「亀」の字をつけた、他にあまりない、かわいい名前にしたいと思い、昔読んだこの本から名前をもらいました。今もこの人の漫画は好きで、ずっと持っています。
2007年01月06日
今日の夕飯は寄せ鍋でした。夕食後、すぐ片付けをしないで、のんびりテレビを見てました。なんとなく、「たべごろマンマ! 」という番組を見ていると、祖母が言いました。「ピッキーが出ているね」ベッキーです。何年か前は「昔は可愛かったのに最近は中川家の礼二に似てしまった」と言われてました。
亀さんの前足です。前足は5つ指があり、それぞれ爪が生えています。足の鱗を逆さに剥くようにすると、嫌がります。亀さんが小さい時は虫かごで飼っていましたが、今は衣装ケースです。軽いので水替えの時が楽だし、安いので懐が痛みません。ひなたぼっこ用に大きめの石を一つ入れています。砂利を敷いていたこともありましたが、砂利の間に汚れが溜まったりして掃除がしにくいし、「亀が食べることがありますからやめましょう」と本で読んだのでやめました。亀さんが小さい時は家の中で飼っていましたが、いつの頃からか外で飼うようになりました。 よく覚えていませんが、私が感染症で時々熱を出すようになってから、母が亀のせいではないかと疑い、外に出したような気がします。今もそうなのかは知りませんが、当時は「亀は毒を持っている」という風聞がありました。これは本当です。しかしこれは亀だけに特化される事ではなく、全ての動物(無論、人間も含)に言えることです。主に毒を含んでいるのは排泄物です。動物を触った後、手を洗わないまま素手で物を掴んで食べると、毒が体内に入り、抵抗力がない場合は悪影響が体に現れます。私は亀を触った後は石けんで手首まで洗っています。今では、毎年12月初旬~中旬に屋内に入れて冬眠をさせ、4月下旬に外に出しています。
2007年01月05日
テレビを見ていた祖母が言いました。「今年はこの江戸三中という人がよく出ているね」森三中です。
亀さんは冬眠で特に書くこともないので、昔のことを書いておこうと思います。この写真は冬眠させた直後に撮りました。甲羅の赤い模様がよくわかる写真です。亀さんの密かなチャームポイントです。この亀がうちに来たのは今から18年前です。レンコン畑を歩いていたところを父の同僚が捕まえ、私が好きだからと父に渡してくれたそうです。その日、仕事から帰った父は倉庫に私を呼び、入って右の棚を見るように言いました。 そこには虫かごに入った4cmくらいの亀が1匹いました。今思えば誕生して1、2年目くらいだったかと思います。野良亀だったのでとりあえず野良公(のらこう)と名前をつけました。それが今うちにいる亀です。翌年、父の同僚がまたレンコン畑で2匹の亀を捕まえて私にくれました。かめのよりも小さかったので、別の水槽で飼いました。飼い始めて2年のうちに2匹とも死んでしまいました。これらの亀がクサガメだということは愛読書だった「爬虫類・両生類図巻」を見て知りました。
2007年01月04日
年末、友人に東京土産を頂きました。祖母はこれが気に入って、私が一人で食べていると「私もいる!」と言い出しました。 祖母は私が食べている物が欲しくなるのです。私はこたつから這い出て祖母の分を取りに行き、2人で仲良く食べました。おばあさん、このお菓子はミルフィーユというのですよ。「みるひーる?」ミルフィールですよ。「みるふぃーる…」ミルフィーユ!「ゆ!」……ほんとに覚えたかな?