淡々堂
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「津村の『安宅』に出演することは罷りならぬ!」と厳命された囃子方が顔色を変えて駆け込んできて、君子に出演することができなくなったと事情を打ち明けたとき、君子は呆然として青ざめ、その次には舞台差し止めがその囃子方の責任であるかのように大声で責め、泣きわめいた。一年をかけて稽古したものが、上演の三日前になってなぜこんなことになってしまうのか。(p.147)この本は著者が津村紀三子の周辺の人々から聞いたことを元にして書いた伝記です。引用したのは、昭和19年(1939)、津村37歳の時、能「安宅」に出演する予定だった囃子方(はやしかた。笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方)が、突然舞台差し止めになった時のことを書いた箇所です。結局この時は、借りられるはずだった装束も直前に借りられなくなってしまったため、装束を着けない袴能(はかまのう)という形式で上演しています。今は女性能楽師は何人もいますが、この時代に能を女性が演じようとすると、色々と問題があったようです。昭和23年(1948)2月、「満十八歳以上の男子」しか能楽師として認めなかった能楽協会が女性能楽師の加入を認めるようになりました。600年の女人禁制が解けた年です。この年の4月、津村46歳の時、能楽協会会員として登録されました。津村紀三子が立ち上げた緑泉会は現在、弟子の津村禮次郎が引き継いでいます。http://www.ryokusenkai.net/金森敦子『女流誕生 能楽師津村紀三子の生涯』法政大学出版局、1994年12月、本体価格2,400円
2008年11月30日
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タイツが活躍する季節になりました。昨今のタイツは誠に品質が良く、たまに履く程度では1年くらい余裕で保ちます。だからつい、捨て時を逸して、いたんでも使い続けてしまいます。しかし、今日、ついに先が破れました。それを祖母が見とがめました。「ほんなんよそへ履いて行かれんの!うちが買うたる!!」(=そんなものをよそへ履いていったらいけませんよ!私が買ってあげる!!)履いているうちに破れたんですよ。朝身支度するときに破れていたら、さすがに履かないです。それに私、ストッキングやタイツは引き出しいっぱい持っております。ただ、ケチなだけなのです。
2008年11月29日
2008年10月24日にきのこを見ましたが、約1か月後の今日、きのこはこんなふうになっていました。もうすぐ、影も形もなくなるでしょう。
2008年11月28日
■謡…「安達原」3回目ワキ「今宵のお宿返す返すもありがたうこそ候へ。又あれなる物は見馴れ申さぬ物にて候。これは何と申したる物にて候ふぞ。シテ「さん候これは枠かせ輪とて。賤しき賎の女の営む業にて候。ワキ「あら面白や。さらば夜もすがら営うで御見せ候へ。シテ「げに恥かしや旅人の。見る目も恥ぢず何時となき。賎が業こそ物憂けれ。ワキ「今宵留まるこの宿の。主の情深き夜の。シテ「月もさし入る。ワキ「閨の内に。地「真麻苧の糸を繰返し。真麻苧の糸を繰返し。昔を今になさばや。シテ「賎が績麻の夜までも。地「世渡る業こそ。物憂けれ。シテ「浅ましや人界に生を受けながら。かゝる浮世に明け暮し。身を苦しむる悲しさよ。ワキ「はかなの人の言の葉や。まづ生身を助けてこそ。仏身を願ふ便もあれ。地「かゝる浮世にながらへて。明暮暇なき身なりとも。心だに誠の道に叶ひなば。祈らずとても終になど。仏果の縁とならざらん。たゞこれ地水火風の仮に暫くもまとはりて。生死に輪廻し五道六道に廻る事たゞ一心の迷ひなり。凡そ人間の。徒なる事を案ずるに人更に若き事なし終には老となるものを。かほど儚き夢の世をなどや厭はざる我ながら。徒なる心こそ恨みてもかひなかりけれ。さてそも五条あたりにて夕顔の宿を訪ねしは。シテ「日陰の糸の冠著し。それは名高き人やらん。地「賀茂の御生に飾りしは。シテ「糸毛の車とこそ聞け。地「糸桜。色も盛りに咲く頃は。シテ「来る人多き春の暮。地「穂に出づる秋の糸薄。シテ「月に夜をや待ちぬらん。地「今はた賎が繰る糸の。シテ「長き命のつれなさを。地「長き命のつれなさを思ひ明石の浦千鳥音をのみ独り鳴き明す音をのみひとり鳴きあかす。〈注意点〉1、ワキは後場では鬼女と対決するので大きめに謡う。2、5オ「悲しさよ」の半ユリは本ユリの前半の「おーおーおー」を取ったもの。3、5ウ「はかなの人の」は山伏がシテの人生を聞いて感想を述べているところなので、やさしすぎないように謡う。サシなので、音階を意識するよりも、言葉の内容を意識して謡う。4、6ウ「さてそも五条あたりにて」からは女の若い頃の話。明るく謡うのではないが、それまでよりも少しだけ浮いた感じで謡う。5、全体的に、「気ヲカヘ」の謡いだしは低くとる。そうしないと、だんだん声が高くなる。6、低いところを謡うときは、そうとう息をしっかりとらないと声が出ない。そうすると、だんだん高い声になってしまう。だから、6オ「たゞ一心の迷ひなり」や「老となるものを」で少しめらす場合がある。謡本には書いていないが、地頭によってその日の謡い方が決まる。「凡そ」の「中」も「気ヲカヘ」なので低めに出る。7、6ウのシテのセリフはすべて「閑カニ」と書いてある。低く、閑かに謡う。素謡は地謡とシテを謡い分けなければならないので難しい。■仕舞…「三輪」クセ2回目〈感想〉 最後まで教えていただきました。足の運び方に不明な箇所があり、質問してみたら、「実は私もそこはまだ解決できてないんです」と仰ったので、そういうこともあるんだなあと思いました。それでも先生は「しかし理論上は…」と仰って、仮説を教えて下さいました。
2008年11月27日
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メンズブラなるものが楽天の男性下着ランキングで1位を記録したと、多分、朝日新聞で読んだのだと思います。それを今日、思い出して、探してみました。ちなみに、即日発送から12月下旬発送までは全サイズ売り切れです。需要があるから供給があるのだ…と、経済の基礎を改めて感じました。11/26メンズインナー週間ランキング1位!メンズーインナーその他部門では3週連続1位!Men,s premium brassiere メンズプレミアムブラ男性用ブラ
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高血圧の祖母は定期的に病院で検査を受けています。今日、祖母は家で検査結果が書かれた紙を見ていました。そして言いました。「このヘモグロビン・ぶうワンシーが…」正しくは、HbA1C(ヘモグロビン・エーワンシー)。糖尿を測る数値のことです。血液の赤血球中のヘモグロビンは高血糖の状態が持続すると糖化ヘモグロビンに変わります。それを測ったものがHbA1Cです。祖母は糖尿病の値よりも少し低いそうです。良かったですね。祖母はHbB1C(ヘモグロビン・ビーワンシー)と勘違いして、「ビー」が更に「ぶう」となったのであろう、と推察しました。ヘモグロビンA1cが簡単に検査できます生活習慣病+糖尿病血液検査キット
2008年11月26日
今日の18:30頃から、急に携帯電話に迷惑メールが入り始めました。10分目を離すと、10件ほど新着メールが溜まりました。なんと迷惑な。直ちにフィルターをかけてやりました。ざまぁミロ私が使っているのは今年の9月27日に機種変更したばかりです。フィルターをかけたら、ぷっつりと迷惑メールはやみました。方法は簡単でした。ますますこの携帯電話が好きになりました。
2008年11月25日
「漁村」を「魚村」と書くと思いこんでいました。「漁」は「りょう」としか読まないと思っていたからです。でも、「漁夫の利」はちゃんと「漁夫」だと知っていました。あれれ?そんな私は漢検2級。高校卒業程度の漢字知識はあるのです。
2008年11月24日
せっかく夢の中でセリさんを抱きしめても目覚めるたびに切ないよね 腕の軽さがだから知らずに捜しちゃうんだよ手でさわれる 何か安心であったかいものをそこいくとあたしは重量感あるしね(p.142)恋人のセリを亡くしたスミレは、酔って眠ると必ず妹ゆりのベッドで寝てしまいます。引用文は、しばらくそうしたことが続いた後、ゆりがスミレに言ったセリフです。この後ゆりは「だから目が覚めてもさみしくないおまじないをあたしがしてあげる」と言って、スミレの頬にキスをします。吉村明美『薔薇のために』10巻、小学館、1995年12月、本体価格407円…たとえばさ夜空を見ると俺はセリの星を捜してしまうそして こんな暗い空で ひとりで光っているのは淋しいだろうと考えるところがうちにゆりってのがいて こいつは違う西に傾く天の川を 空にかかったレースのリボンだと言い夜空全部がでっかいプレゼントだと言うそれで俺はずいぶん気持ちが和むそういう夜空ならセリも楽しいかもしれない…となのにどういうわけか俺はどんどん 悲しくなってゆりがかわいくていいやつであればあるほどセリがかわいそうで…筋違いだとわかっていても ゆりのかわいさが 憎らしくなるんだ (p.10)スミレがゆりのことを人に語ったセリフです。吉村明美『薔薇のために』11巻、小学館、1996年4月、本体価格407円←これは文庫版
2008年11月23日
広島2日目の朝、広島城へ行きました。ホテルから歩いて行ける距離にありました。広島城は原爆で壊れましたが、戦後復元されました。被爆したユーカリは元気に育っていました。爆心地からわずか740mしか離れていなかったのに。その後、台風で折れたりしましたが、その度に根本から新芽が吹いてきたそうです。天守閣の展望室を出たところから城下を見下ろしてみました。「民は元気でやっているかのう…」と、広島城主の気分を楽しみました。今回の旅では、図らずも広島を満喫できてしまい、幸せな気分になりました。http://www.rijo-castle.jp/ひろしま原爆の木たち
2008年11月22日
所用で広島へ行きました。少し時間があったので、観光もできました。1日目に行ったのは宮島です。JR広島駅から宮島口駅へ。少し歩いて、宮島口桟橋からフェリーに10分ほど乗ると着きます。フェリーは10分間隔ぐらい出ているので、あまり待たなくても乗れました。実物もきれいでした。幼い頃は「安芸の宮島」を「秋の宮島」と誤解していましたが、今回は「秋の宮島」でも間違いではありません。 「奥山にもみぢ踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」という風情でした。厳島(いつくしま)神社は、私が一生に一度は行きたいと思っていた場所の一つです。参拝することができて、たいへん満足です。http://www.miyajima-wch.jp/
2008年11月21日
「どんじょれ・ぬーぼーがね!」帰宅して祖母に「ただいま」を言うと、いきなりそんな会話でした。11月の第3木曜日はボジョレ・ヌーヴォーの解禁日です。テレビではしきりにそのことを言っていたようです。夕食を食べながらテレビのニュースを見ていると、ニュースキャスターが「ボジョレ・ヌーヴォーが解禁になりました…」と、伝えました。それを聞きながら祖母はこんなことを言っていました。「“ボジョレ・ヌーボー”なんて言ってるよ。間違ってるんじゃないの?」間違っているのはおばあさんの方ですよ。「そう?ぼんじょれ・ぬーぼー…」違う。「ボジョレ・ぬーぼう…」なんかいまいち。「ボジョレ・ヌーボー」そうそう。「ボジョレ・ヌーボー。ボジョレ・ヌーボー。ボジョレ・ヌーボー…」2006年11月16日、2年前のこの日にも祖母は間違えていました。
2008年11月20日
朝、亀さんを見に行くと、足や首を縮めて寝ていました。写真では目を開けていますが、これはデジカメを取りに行った間に起きてしまったのです。今日は急に寒くなり、ニュースによると、12月中旬から1月の寒さだそうです。これはいかんと思い、屋外に出してあるケースを屋内に入れました。亀さんは今日から冬眠です。去年は11月25日でしたので、6日早いです。
2008年11月19日
日の落ちるのが日に日に早くなり、街路樹は紅葉して散り始め、気温は緩やかに下がり、インフルエンザによる学級閉鎖の情報がいち早く流れました。今年もまた冬がやってきました。亀さんにとっては冬眠の季節です。しかし、そのわりには元気よく泳いでいます。これもいつものことですが。今日はしろちゃんと一緒に、亀さんのご機嫌をうかがいに行きました。「かーめさんっ。今年はいつ冬眠するつもり?」しろちゃんを見た亀さんは、ヒュッと首を引っ込めてしまいました。亀さんはしろちゃんが嫌いです。写真は、首を引っ込めた後、私の方を見ているところ。「なんとかしてよ、この白いの」とか思っていそうです。明日は冬型の気圧配置で寒気が流れ込むそうです。いよいよ冬眠かな。
2008年11月18日
カマキリがいました。こちらに向かってきます!後ろに回って背中を撫でてやったら、嫌がられました。
2008年11月17日
ユニクロへ行きました。買った服は以下の通り。 ・ライトフリースタートルネックT(長袖)¥1,000×4 (ピンク・イエロー・ライトグリーン・ライトブルー) ・エクストラファインメリノVネックセーター(長袖)¥2,990 ・ウールロングカーディガン(長袖)¥3,990余は満足じゃ。買った服を見せると、祖母は言いました。「クロマイって、どこにあるの?」ユニクロ。http://www.uniqlo.com/jp/
2008年11月16日
1階に下りてきた私を見て、祖母がこたつの中から叫びました。「ちんでんまーでん取ってくれ!」何というショッキングな間違い…マンデルチーゲルでしょう?「若い時分からなんぼにも覚えん…」(=若い時から一向に覚えられない…)とぶつぶつ言いながら、お菓子の袋を見ながら正確な名前をつぶやいていました。本高砂屋 http://www.hontaka.co.jp/index.html
2008年11月15日
私がしたことの「お礼に」と、チョコレートを頂きました。マダムセツコというブランドです。http://www.setsuko.co.jp/japanese/index.html実は、事前に頂く物については「チョコレートでも…」と言われていました。私は「では、酒も豆も入ってないやつを」と言いました。そしたら、こんなに素敵な物を頂きました。私が相手を知っているように、相手も私を知っているのです。
2008年11月14日
■謡…「安達原」2回目ワキ、ワキツレ 「旅の衣は篠懸の。旅の衣は篠懸の。露けき袖やしほるらん。ワキ「これ那智の東光坊の阿闍梨。祐慶とは我が事なり。ワキツレ「夫れ捨身とそうの行体は。山伏修行の便なり。ワキ「熊野の順礼廻国は。皆釈門の習ひなり。ワキ、ワキツレ「然るに祐慶この間。心に立つる願あつて。廻国行脚に赴かんと。我が本山を立ち出でて。我が本山を立ち出でて。分け行く末は紀の路潟塩崎の浦をさし過ぎて。錦の浜の。をりをりは。なほ萎り行く旅衣。日も重れば程もなく。名にのみ聞きし陸奥の。安達が原に着きにけり安達が原に着きにけり。ワキ「急ぎ候程に。これははや陸奥の安達が原に着きて候。あら笑止や日の暮れて候。この辺には人里もなく候。あれに火の光の見え候程に。立ち寄り宿を借らばやと存じ候。シテ「げに侘人の習ひほど。悲しきものはよもあらじ。かゝる憂き世に秋の来て。朝けの風は身にしめども。胸を休むることもなく。昨日も空しく暮れぬれば。睡む夜半ぞ命なる。あら定めなの生涯やな。ワキ「いかにこの屋の内へ案内申し候。シテ「そも如何なる人ぞ。ワキ・ワキツレ「いかにや主聞き給へ。我等始めて陸奥の。安達が原に行き暮れて。宿を借るべき便もなし。願はくは我等を憐みて。一夜の宿をかし給へ。シテ「人里遠きこの野辺の。松風烈しく吹き荒れて。月影たまらぬ閨の内には。いかでか留め申すべき。ワキ「よしや旅寝の草枕。今宵ばかりの仮寝せん。ただただ宿を貸し給へ。シテ「我だにも憂きこの庵に。ワキ「たゞ泊らんと柴の戸を。シテ「さすが思へば痛はしさに。地「さらば留まり給へとて。樞を開き立ち出づる。異草も交る茅莚。うたてや今宵敷きなまし。強ひても宿を狩衣。片敷く袖の露ふかき。草の庵のせはしなき。旅寝の床ぞ物憂き旅寝の床ぞ物憂き。〈注意点〉1、ワキは山伏なので、しっかりと謡う。2、ワキとワキツレは少し謡を変える。3、1オ「これ那智の東光坊の阿闍梨」の右横に「サラリメニ」と書いてあるが、これは謡い方のことではなく、心情を説明している。名乗っているだけなので、心中に葛藤もわだかまりもないという意味である。だから、しっかりと謡う。4、1ウ「廻国行脚に赴かんと」は「確カリメニ」謡っているのを聞き手にわかるように謡う。無理をせず、直前で息をとっても良い。5、2オ「あら笑止や」も「あれに火の光の見え候」も直前に少し間を取り、「気ヲカヘ」たり、光が見えたりすることを聞き手にわかるように謡う。6、2ウ「げに侘人の習ひほど」は「げ」と「に」は同じ高さの音で謡う。「に」を高くしてはならない。7、3ウ「よしや旅寝の草枕」はシテの謡いに引きずられないように、文頭の「よ」からちゃんとワキらしい声で謡う。泊まることを断られたワキが「宿を貸して下さい」と言うという心の準備をして、シテが謡い終わるまえに息を整えて、良いタイミングをはかって謡い出す。8、3ウ「我だにも憂きこの庵に」の「憂」のゴマ点が下がっているのは、昔は音を下げていたかもしれない。現代ではこのゴマ点はあまり気にしなくてもいいが、少しだけ心遣いを見せてもいいかなと思う。〈感想〉 前回、一緒にお稽古している人たちと一緒に少し謡ったのを一人で謡いました。 今日はわりと声が出やすいと思いましたが、レコーダーで録ったのを聞くと、ただ声が大きいだけで芯のある声ではありませんでした。だから聞いていて気分のいいものではありません。■仕舞…「三輪」クセ1回目〈感想〉 久しぶりの女性の役です。今日は上げ扇の前まで習いました。〈備考〉 先日の発表会では他の会の人から「しっかりお稽古つけて頂いてますね」と言われたと、一緒にお稽古した人から聞きました。先生がしっかり稽古をして下さるのは言われなくてもわかっていますが、それでも他の人からそう言われると嬉しいものです。
2008年11月13日
朝、考え事をしながら階段を上っていると、4階のところを5階まで上ってしまいました。景色が違うので気がつきました。
2008年11月12日
「三陸産わかめ使用 くきわかめ レモン果汁入り」が好きです。先日、近所の百円均一ショップ「ダイソー」で買いました。販売元は「友口」という北九州市の会社です。そこが三陸海岸で採れたわかめを仕入れて加工しているのです。そして、東北にも九州にも住んでいない私が買って、食べて喜んでいます。さっぱりとしたレモンの酸味。シャキシャキとした茎わかめの歯ざわり。はるばる旅したわかめの労をねぎらいたい気分です。1袋につき、小さいのが5袋しか入ってないので、すぐなくなってしまいます。また買いに行こうと思います。
2008年11月11日
南野 (略)一方で評論家は死ぬほど猛勉強する必要があるとも思うんです。本もいっぱい読んで教養を積んだり、ね?宮崎 そうでもないですよ。私の中で本を読む行為は苦痛ですから。南野 え-、でも宮崎さんは一カ月に60冊ぐらい本を読むなんて話を開きましたよ?宮崎 60冊? それは新書だけの数ですね。雑誌や漫画を含めると月に200冊は読みます。南野 200冊!?読書を苦痛に思う人がどうしてそんなにたくさん読めるんですか!?何か特別な速読法があるとか。宮崎 いや、特に。一回開いたら、とにかく読み通すだけ。内容が分からなくてもとにかく読み進める。最後まで読めば誰でも何となく理解できると思うんです。これを私は『前進あるのみ読法』って呼んでます(笑)南野陽子と宮崎哲弥の対談です。私も「前進あるのみ読法」を実践中です。内容を完全に理解できなかったり、内容を半分も覚えられなかったりしますが、新出単語を知ったり、用語の使い方を知ったりできます。これは本に紛れて忘れていたのを読みました。書店ではもう12月号を売っているというのに…http://www.kk-bestsellers.com/magazine/circus/「CIRCUS」KKベストセラーズ、2008年10月号、680円
2008年11月10日
発表会です。本物の能楽堂でです。今までは、仮設舞台や、神社の社殿でしかしたことがありませんでした。出演したのは素謡「田村」の地謡と、仕舞「清経」キリです。素謡「田村」はお役がついた人だけでなく、地謡も私達で謡います。これが普通だと思っていましたが、他では地謡は全員プロがするのだと知りました。地謡を謡うのが結構好きな私にとっては、ショッキングな事実です。仕舞「清経」の地謡はプロが4人でして下さいました。舞い終わった後、いつも助っ人に来て下さっている方が「戦いの舞いでした」と仰って下さいました。常々先生から「これはきれいに舞うのではなく闘ってください」と注意を受けていたので、戦っているように見て頂けて良かったです。打ち上げはタクシーでホテルへ行き、そこの宴会場でしました。
2008年11月09日
翌日の発表会のリハーサルをしました。初めての場所なので、控え室や、弁当を食べる所、見所(けんしょ)の出入り口や、舞台へ出る前の準備の仕方、先生方へのご挨拶の仕方、切り戸口からの出方などを教えていただきました。切り戸口で頭をぶつけたのはお約束です。よく見ると、私が頭をぶつけた辺りはすりへって、木の色がむき出しになっていました。どうやら、幾人もの人が頭をぶつけてきたと見えます。先生からの仕舞についての最後の注意は「体の切れが悪い」でした。2回ほど一緒に舞っていただいて、どういうテンポで舞ったらいいのかを覚えました。それから、「始めにそそくさと前に出て行くと早く謡われるから、落ち着いて」ということも言われました。本番は、私の先生を含めて4人の先生方が地謡をして下さいます。だから、舞い始めに、どのように謡ってほしいのかを舞いで示すと良いようです。以前にも先生に教えていただきました。「『こうやって謡ってくれ』と言うように舞いなさい」と。
2008年11月08日
家に帰ってきたので、亀さんに「ただいま」を言いました。ついでに、ケースの水を換えました。亀さんを外に出すと、足の上に乗ってきました。またサンダルが汚れました。「寂しかったか?」と一応聞いてみましたが、きっと偶然でしょう。明日からまた、2日ほど家を留守にします。
2008年11月07日
第42回善通寺菊花展をしていました。テントが何個も建ち並び、大輪の菊が並んでいました。http://www.zentsuji.com/
2008年11月06日
2008年8月18日にも行きましたが、また善通寺へ行きました。遍路シーズンで、お遍路さんがたくさんいました。石の上にいるのはミドリガメが多いです。夏にはクサガメも同じくらいいたのに。クサガメは寒さに弱いのでしょうか。
2008年11月05日
家を留守にする時は、一応亀さんに言っておきます。「これから3日ほど留守にしますよ。賢くしていてくださいね。……わかるか?亀さん」亀さんはわかっているのかわかってないのか、じっと私を見ました。きっとわかっていないでしょう。
2008年11月04日
今日は祖母の結婚記念日です。ケーキでも買ってきましょうか?と言ってみると、「おじいさんがいないのにねえ…金婚式って難しいねえ」と笑って言っていました。祖父は18年前、クモ膜下出血でいきなり死にました。私は祖母に留守番をお願いして、午後から外出しました。部屋着から着替えて、祖母にいってきますのあいさつをしに行くと、祖母は「ちょっと触らせて」と言ってきました。今日は何を触られるんだろうか…と思って寄っていくと、アイボリーのジャケットをつまんで、指先でスリスリと触感を確かめて言いました。「夏物じゃないのか…」色が薄いから、夏物と錯覚していたようです。まさか冬に向かおうとしている時に、夏物は着ないですよ。いくらなんでも。2007年6月18日にも同じ事をされました。たまにこういうことはあります。同じようなことでは、こんなこともありました。食事の材料を買ってきて、戸棚や冷蔵庫に入れておいて、「○○が▽▽に入っていますよ」と言っても、いざ使おうとするとどこに入っているのかわからないらしいのです。じゃあ、どうしろというのだと思っていると、「私に触らせてくれないから」と言っていました。そんなことを言われてもねえ…数年前までは食事の準備は主に祖母がしてくれていました。高血圧になってから祖母はしなくなりましたが、今でも台所のどこに何があるのかは把握しておきたいようです。
2008年11月03日
今日は日曜日です。祖母と一緒にこたつに入り、私はノートパソコンで作業をしていました。一段落ついて、横を向き、祖母の顔を見たら、きちんと整えられた眉が目に入りました。まぶたの上の毛を抜いたらもっときれいになるのにな…と思ったので、抜きました。毛を抜いている最中に、ついでに爪も塗ったらきれいになるのにな…と思ったので、塗りました。買ったばかりのベースコートを塗って、祖母の手の色になじむような色を塗り、その上からこれまた買ったばかりのトップコートを塗りました。「乾くまで、手をこたつの中に入れないでね」と言うと、祖母は両手をパーにして頑張っていました。…そんなに突っ張らせなくてもいいのですよ、おばあさん。毛を抜く時も、爪を塗る時も「いいって!」と言っていましたが、できあがってみると嬉しそうでした。またしてあげましょう。
2008年11月02日
10月21日(火)放送の「踊る!さんま御殿!!」の録画を見ました。http://www.ntv.co.jp/goten/元ボクサーの竹原慎二が初めて小説を買った時、下巻から買ってしまったという話が面白かったです。下巻の次が上巻、つまり、下から上へ上がる思っていたそうです。なるほど…http://www.overrecord.com/take/
2008年11月01日