酒井順子『儒教と負け犬』
「醜き女の華美(きら)をかざりたるは、見苦しきものなり。人の目にたたぬよう容(かたち)づくりするをよしとす」 とまでアドバイス。ここまで来ると、「ブスがおしゃれしてるのってウザイよねー」という、ほとんどガールズトークの域に入っているのであって、女にあれこれと注文をつける男というのは、実は非常に女性性の強いタイプなのかもしれない、とも思えてくるのでした。(p.164)『女訓』の一節をガールズトークと形容したのが少しおもしろいです。明治時代の教訓書が一気に軽い印象になりました。 日本においては、結婚と幸福との結びつきが、あまりにも希薄なのです。 日本においては、親子愛をおろそかにすると世間から非難されますが、夫婦愛をおろそかにしてもまったく非難されません。夫婦愛の希薄さは、かつて子孫を残すことのみを目的として家庭を作った時代の名残りなのでしよう。夫婦愛が希薄であるからこそ、妻は愛情を子供に向けるしかなく、夫婦に愛情がなくとも、世間からは「やっと落ち着いた夫婦になった」くらいの言い方をされるものです。 橋田さん(引用者注-橋田壽賀子)世代の女性であれば、結婚後、潮が引くように夫から大切にされなくなったとしても、「結婚とはそういうものだ」と思うことができたかもしれません。しかし今の女性はとうてい、そんな風に思うことはできないのです。小さい頃から少女マンガで幸せな恋愛を夢見て育ち、トレンデイー・ドラマってやつで「恋愛していない人は人生の落伍者」という意識を醸成し、アメリカのラブコメ映画を観て「女は男から大切にされるべきもの」という認識を深めた女性達が、結婚後に愛情ナシ、セツクスもナシの生活に耐えられるはずがない。それが明治維新のせいなのか敗戦のせいなのかはよくわかりませんが、西洋風の意識と東洋風の意識とがうまく交ざり合わないことによる拒絶反応の表れの一つが、現在の結婚難そして不幸な夫婦の姿なのではないかと、私は思います。(p.224~225)容赦ないなあと思いました。女性でないと書けないような内容です。60代以上の国会議員がこの部分を読んだらどういう感想を抱くでしょうか、聞いてみたいものです。酒井順子『儒教と負け犬』講談社、2009年6月、1,470円(税込)