福田和也『悪女の美食術』
十九世紀末の詩人オスカー・ワイルドの高名な言葉に、「天然は人工を模倣する」というものがあります。 と、いうと読者の皆さんは奇異な感じを持たれるかもしれません。絵画にしろ詩歌にしろ、人工的な芸術というのは、天然の大自然を描写したり記述したりすることによって「模倣」するのであって、つまりワイルドの云うのは逆ではないか、と。 ところが、逆ではないのですね。これは、致命的な真実、特に現代に生きる私たちにとってこそ致命的な真理なのです。 ワイルドの云うことはこういうことです。近代以降、私達は、日常茶飯に、さまざまな絵画や、文学作品に触れて生きています。私たちの生活空問は、こうした人工的な事物に溢れている。ですから、多くの人にとっては、アルプスの山なみやライン川の流れは、絵画や小説で、現在でいえばテレビの画面や映画などによって最初に触れてしまっている。 それゆえ、実地に、アルプスやライン川に接した時には、私たちは、それまで見た画像や文章で作られたイメージにしたがって見てしまうわけです。「天然が人工を模倣する」というのは、既成の人工的表現や視覚にしたがって、私たちが天然の事物に接してしまうという事態を指しているのです。観光地や景勝地に行って、誰もが写真通りの、あるいはテレビ番組やコマーシャル・フィルムそのままの光景を眺めたがり、それを見て、ああ大自然は素晴らしい、といって帰ってくるわけです。 この事態が恐ろしいのは、ことがいわゆる山野だけでなくあらゆる「天然」に及ぶわけですね。つまりは、人間の五感にも及ぶ。(p.173)自分自身で選んだことではないかもしれないことについて意識的であるべきだということです。女性が昼食にパンを食べることについて非難した後に、ここに引用した文が続きます。引用した文は直接食について書いてはいませんが、この本は食についての本です。福田和也『悪女の美食術』講談社、2006年4月、1,575円(税込)