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淡々堂

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 私にとって上機嫌への転機は、教育者として人前に立つようになったことでした。相手 にこちらの言うことを聞く気にさせるにはつねに上機嫌であることが肝要だと思い至ったのです。こうして、気分の波を制御し、いつでも上機嫌モードで人に接するよう自分に習慣づけました。(p.96)

 一体どういうことなのだろうと思っていたところ、あるとき先生が言いました。
「 私は自身の職業的な倫理観から毎回同じ服を着ています。自分の気分の上下を授業に持ち込まないためです。私も人間だから一時的な気分の上下はあるけれど、それは君たちには関係のないことだから、一定の状態で接するんです」
 たしかに先生は一年中つねに声を荒げることなく一定の口調で、いつも緊張感のあるクリアな状態で、適度にジョークも交えながら授業を行っていました。1年間どんな日も、教室をおだやかな空間として維持したのです。
 当時の私は「知性とはこういうものなのか」と感じ入りました。そうして自身が講義に臨むようになってからも、伊藤先生のポリシーを守り、一定の状態を保つ工夫をしていま す。教師の気分の上下動は学生のモチベーションにも影響するからです。(p.152)

齋藤孝『不機嫌は罪である』角川新書、2018年、924円(税込)


著者の齋藤孝は明治大学の先生です。
齋藤がいう上機嫌とは、必ずしもおちゃらけてハイテンションというわけではなく、仏像がおだやかに笑んでいるような上機嫌も含みます。
相手に対する時に、感情を常に一定の状態に保つことは、1人に対する時でも多数に対する時でも大事なことでしょう。

齋藤孝のホームページ





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最終更新日  2020年04月29日 21時23分50秒
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