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テーマ:同居は嫌ですか?(1164)
カテゴリ:親・・・
忙しかったお盆も気が付けば主人の休みと一緒に
終わっていました(^-^) 去年はがじら出産でお盆も何もあったもんじゃなかったので 今年は落ち着いて姫とおっかあを迎えました。 我が家には、私の父が一緒に住んでます 以前から書いているようにこの爺がこの世の中で 1番きらい!!です。 何故か・・・ 爺は私が物心つい居た時には既に「競馬」「マージャン」 「パチンコ」と3代ギャンブルをこなしていました。 その為に借金する事は無かったのですが 働いたお金は家に入れることは有りませんでした。 おっかあは、その為仕事に出て兄と私を養ってくれたのです。 おっかあは、私にすれば2人目の母です 産みの母は私が1歳の時病死しました。 おっかあとは、私が6歳の時に「親子」に成りました。 おっかあは、前夫と離婚(理由は、旦那の浮気と姑の嫌がらせ だったそうです・・これはおっかあが、亡くなっておっかあの 弟から聞きました) そんな理由からか、ギャンブル三昧の爺には 何も言いませんでした。。 私が結婚する時に言われた事があります 「十字架?お金がなければ自分が働けば解決するんだよ だけど、心が離れてしまったら自分1人じゃどうにも出来ないからね ちゃんと、Sちゃん(主人)の心を捕まえておくんだよ(^0_0^)」 おっかあの、前歴も知らなかった頃の事なので、その時 私はどんな返事をしたか?・・・覚えていない・・・・ 話は反れましたが そんな何も言わないおっかあを、いい事に 爺は好き放題。 年金もその当時は掛けていなくて、おっかあが 「年取ってから大変なんだから・・」と言うと 「長男に面倒見てもらうからいいんだ<(`^´)>」と反り返る始末。 その長男の兄ですが 母が亡くなったのが、兄5歳の時・・・ 亡くなって私達がおっかあと、出逢うまでの5年間は 爺の実家に預けられたのです。 私は年端もいかない、幼年でしたが兄は、父も母も恋しい 年頃でした。 1ヶ月に1度見るか見ないかの父親を待ちわびて 何時しか兄は、人生の道を外れてしまいました。 何度と無く、学校やら警察やらに呼ばれる爺は 何時しか兄を殴るように成っていました まだ小学3年生です。 母が亡くなってからおかしくなった・・と何故気付いて あげれなかったのか。 それどころか 母が甘やかしたからこんなになったと爺は自分の実家で 言いました。 私が4歳の時です・・・。 当時、ばあばも健在でした。 言えば好きなものも買ってくれたでしょうが 兄はそれが言えなくて 万引きしては、私にガムだチョコだとくれました。 私にすれば、たった1人の兄以上に身内でした。 おっかあが、家に来てくれて私は嬉しかった 初めて「おかあさん」と呼べる喜び。。 ですが兄はその時既に5年生です。 私の様にすぅ~と入るタイプではないし 母っ子だった兄は16歳で家を出るまで「おかあさん」と 言いませんでした。 兄が初めて「おふくろ」と言ったのは 少年刑務所の中でした。 喧嘩とシンナー吸入の現行犯でした。 私は14歳だったので面会は出来ませんでしたが おっかあが、面会から帰ってきた夜に 「お兄ちゃんが、おふくろ御免なさいって 頭さげてた・・おふくろだって・・」 と、うれし泣きしていた。 ですが、捕まったのはそれがスタート(-"-)ハジマリでした。 私は、中学を卒業してようやく爺の元を離れられる事にが出来ました 愛知県の半島に位置する所の 定時制に行く事に決めたのです。 本当は美容師に成りたかったのですが 3回の三者面談で爺に言いがかりをつけられ 「お前なんて美容師になれるわけが無い」 「住み込みしてもすぐ帰ってくる」等・・ それは、本当に父親か?と疑う言葉・・・ 担任の方が気を使い 「お父さん?十字架さんはやれると思いますよ 信じてあげたらどうですか?」と言葉をくれました。 が・・・通じる相手ではない(ーー;) 定時制には私が勝手に申し込みをし 1週間前におっかあに言いました。 入学金が必要だったので``r(^^;) おっかあは「理美高に行かせてあげられなくて ごめんね」と言いましたが 定時制にも通信教育でとれる科があったので 気にしなくていいよといいました。 実際には仕事と高校でとても通信教育までは・・・でしたがへへ (^^;; その1週間後、集団疎開の様に東北から行く 9名は個々に見送られ新幹線に乗り愛知に向かったのでした。 あ。。。長くなってしまいましたので 今回はここまでにします。 >^_^< お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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