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テーマ:同居は嫌ですか?(1164)
カテゴリ:親・・・
定時制へと、進んだ私はそれはそれは、充実した毎日を
送っていました。 そりゃあ、おっかあの事は恋しかったし いつも一緒に居たかった。 ですが、おっかあも私の気持ちを理解してくれて いたので、お互いに「声が聞きたくなったらTELするから」 と・・・ ですが、今の様に「携帯」がある訳ではなっかったし 通話料が安い訳でも無くて 2週間に1度位が精々かけられる位でした。 向こうに行ってから2年位経った頃 いつもの様におっかあからTELが有りました。 私は、いつからか母が楽になればと 仕送りをしていました。 ですが、お金を送らなくていいと言うのです。 「十字架の好きな様に使いなさい」と言うのです。 何かあっても、物言わない母です。 聞いても笑って、その言葉を繰り返すだけでした。 定時制といっても夏休み冬休みは、当たり前に いえ、むしろ大学生並みに有りました。 ですが、私は2年間帰りませんでした。 仕送りの件があっての夏休み私は帰る決心をしました。 爺が居なければこんなに「故郷」ってあったかいんだ って思いました。 爺はあい変わらずの「自分生活」をしていたみたいですが・・・ 家には兄が居りました 16から家出を繰り返し「今どこに居るの?」と 言う事が殆どの兄です。 そこで見たのです。兄が、おっかあからお金を貰うところを・・ 私は、22歳にもなって何で働かずお金を無心しているのかと兄を責めました。 私は、何で易々とお金を渡すか?と母を責めました。 私が家を出て実家は、無法地帯になっていたのです。 私は後1年で卒業でした。 だから、おっかあに卒業したら帰って来るからと いい、1ヶ月過ごした実家を後にしました。 その歳の冬休みにも帰郷しました。 いつもなら、寒い北国に居る母を、暖かい愛知の地に呼んで 居たのですが 爺がバイク(バイクの免許しかもって居ないので) で、転んで行けないと言われたので。 私が帰る事にしたのです。 入院の為、お正月は爺が居なく、私は人生で、もう無いだろう と言うくらいの幸せな時を過ごしていました♪ d(⌒o⌒)b♪ つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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