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カテゴリ:生活つれづれ
志賀直哉の「城之崎にて」は、電車事故がもとで、脊椎カリエスになった『自分』が、城之崎に湯治へ行った時に見た、トカゲ、蜂、ネズミなどの生、死。
今生きている自分と死んでいたかもしれない自分がほんの些細な境目であることを考えさせられる作品だった。 台風、地震、テロ、自分の力ではどうにもならないところで人生を左右される。 しりあがり寿の、新聞漫画でも、子供が、テレビを見ながら災害の情景に宿題をする努力を失う。「いくら努力しても、いつ災害がおこり自分の努力が無駄になるか解らない」と、母親は、「それでも、今日と同じ明日が来ると信じて生きていくんだよ」と言う。 イラクで拘束の香田さんは最悪の結果になりそうだ。 彼、家族に対する非難中傷が大きく報道されていた。 確かに、彼の軽率すぎる行動、無知が事態を悪化させたと思う。自己責任?ただ、この年頃の多くの原動力が「好奇心」ではないだろうか。年を取って振り返ると「あの頃は向こう見ずで人の言う事を聞かず、突っ走っていた。」と、目を細め懐かしがる大人がどれだけ多くいるだろうか? 彼に足りなかった危険を察知する力。 国内にいれば、法律が私たちを守ってくれ、安全な生活が明日もある。(本当はそんなことはないのだけど)と疑うこともなく生きている。平和ボケ? イラクの人は、生死の境が紙一重、一瞬一瞬を生きている。今生きていることは偶然に過ぎない。(その偶然のなかに必然があるのかもしれないが…) 「テロに屈しない、自衛隊は撤退しない。」と発言の小泉さんに多くの国民は、賛同し、強いリーダーと賞賛する。 「自衛隊の派遣は正しかったか?」なんて論じない。 日本にいれば安心。法律が守ってくれる。もし災難が降りかかっても法が裁いてくれる。沖縄の人には、これが通用しない。 日米安保・・・ 今自分が出来ることと言ったら、せいぜい災害保険に入るか、沖縄で散財するくら い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.10.30 09:42:17
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