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GWの沖縄旅行で初めて辺野古の座り込み現場を訪れた。
小雨混じりで、もう夕方4時過ぎごろだろうか。 最近では昼夜を問わず防衛施設局と24時間のにらみ合い。 海は穏やかなのにここでも地域住民たちを巻き込んだ「戦い」が行われている。 どちらが正しいか間違っているかと言われると私の判断できる問題ではないのだけれど、(大体諫早湾干拓だって地裁、高裁でまるで判断が違うわけだし) 座り込みテントにいる女性の話を聞いていると、 「私たちが正しく、施設局に手を貸している漁師(船の持ち主)は敵だ」と言わんばかりだ。私は、「生活のためにやっているのではないですか?」と女性に言う。すると彼女は、「魚をとっても生活できます。贅沢したいからよ!」と強い口調で言う。漁師の中でただ一人座り込み住民に加わっている人(ゲンさんだったかな?)は、皆のアイドル的存在だ。「贅沢したいという気持ちは悪ですか?しかし、地域住民が敵味方になっていがみ合うなんて不幸な話ですね」と私。 彼女は、内地から、仕事をやめて沖縄に入り運動をしている。立派なものだと思う。しかし、人を批判ばかりしていたら和解はできるはずがない。個人的にこういうタイプの女性は苦手だ。(一歩間違っていたら私もそうなっていたかも。と思う反面そんな信念、私は持ち合わせていないなとも思う。なんと言っても面倒くさがりだし) 施設局と座り込み住民との戦いはそれほど厳しい。 ある意味戦争だ。 戦争をとめるために戦争をする。非武装を唱えながら棒切れで人を殴る。そういう矛盾が世の中には沢山ある。 それを凝縮した憎悪の塊が沖縄には沢山ある。 私は彼女に言った。 「もし辺野古への移転が中止され、宮古の下地島に予定地が移ったらあなたは反対運動を続けることができますか?」 彼女の答えは、「そのときになってみなければわからない。ただ今は、辺野古でこういう状態になっている。それを食い止めなければ次はない」と。 私も、沖縄の美しい海を守りたいと思っている。でも、自分だけは助かりたい、安全でいたいというエゴがいつも、一番上になっているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.07 17:39:56
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