|
カテゴリ:音楽
月曜日に聞いた、シャンタル・スティグリアーニさんの公開レッスンを見てきた。
今日の彼女は、ピアニストとしてではなく、先生です。イメージも月曜の気合ある表情から、笑顔を見せてのご挨拶。 フランスの上品でかっこいい女性です。40後半~50前半?美人です。 今日のプログラムは ラヴェル ソナチネ1~3 ドビッシー 映像第1集 1.水に映る影 2.ラモーをたたえて 3.運動 ドビッシー 前奏曲第2集より 7.月の光がそそぐテラス 8.オンディーヌ 9.ピックウィック氏を讃えて 10.エジプトの壷(時間がなくなりレッスンしませんでした) 11.交替する3度(時間がなくなりレッスンしませんでした) 12.花火 先生のお話、いろいろ興味深かった。先生の先生にあたる人は、本当にドビッシーから指導を受けた方らしい。すごく昔のように思えるけど100年前ぐらいなら2代前ぐらいだものね。先生の先生が言うには、「ドビッシーはすばらしいピアニストで、決して鍵盤を叩かない。鍵盤が指の中に入っていくようなイメージ(指が鍵盤に入っていくかもしれない。)」指と鍵盤が溶け合う感じかしら。 ドビッシーとラヴェルを引くときに重要なのは、和音の音一つ一つの音色を変えること。同じ力加減で弾かない。(このことは何度も言っていました。とても難しい!!!) ラヴェル、ドビッシーは印象派とされているけれど、印象派のはじまりはリストだそう。二人ともはじめはリスト的なものから入り、ラヴェルは、クラウザン風の古典主義の傾向へ(なるほど、そうすると月曜日のプログラムの内容の意味が理解できてくる…)ドビッシーはショパンなどの象徴主義?の傾向が強まった。と言ってました。(通訳の聞き取りが?なので正しくないかも) ラヴェルは、エレガントで気どった雰囲気がある中にも子供のまなざしがあり小さな仕掛けおもちゃが大好きだったそう。 ソナチネは、そんな機械好きな、メカニックな一面が見られるといっていた。 学生が弾いていると美しい曲としか感じないのだけれど、先生がここはモーターがなっているような感じで。とお手本で弾くとなるほどと思ってしまう。 ドビッシーについては、もともとお父さんが骨董商?かなにかで、小さいころから絵画に触れる機会が多く、ドビッシー自体とても絵画が好きで絵画より影響させることも多かったそう。なるほど、ドビッシーの曲は「ピアノの絵画」と言われる由縁だ。 実際、スライドでいくつかの絵画を見ながら曲を聴いた。 水に映る影は、もちろんモネの「睡蓮。イメージぴったり。 水にきらきら光る光が反射したり、雲が出てきて木陰が水に映し出されたりそういう情景をイメージする。先生も、しきりに水の表現については言っていました。水がはねる様子、光がきらきらする様子。風で波が起こる様子。もっとお水のように!流れを止めない!前奏曲のオンディーヌも水を表現していて、オンディーヌは海の中に住む妖精で人間の王子様に恋をし、彼を見に海から顔を出すそんな様子を曲にしたそう。(人魚姫みたいだ)波や、水のはねる音、オンディーヌの歌声。先生が曲の解釈をしてくれると曲を聞くのも楽しくなる。 先生の言ったことを断片的に書き留めると、 ラモー~では、ラモーへの賛歌、ラモーへの想いを曲にしたもの。ある意味宗教的なものを感じさせて弾く。 運動では、駒の回る様子をイメージして、駒が音を立てて回りたまにぶつかってジャンプする様子。 月の光が~は、パリ万博で見たガムランの音楽に影響されていて新しい楽器のイメージを取り込んだ。3段の音階をうまく表現すること。低い音はドラの音。あまりセンチメンタルにならない。 ピックヴィック氏~は、彼は太っていて皆のボスで自信家でえばっていてそんな彼の様子をだす。(この時はもうほとんど時間がなくなっていて細かい説明なし) 花火は、花火の「水」ではなく「火」の感じを出す。 音大生4人(一人3曲予定だった)、皆さんとても上手!特に大学院生(今回1人が2年生でほかは皆院生)は、皆さんコンクールなどに出たり、演奏家を目指すレッスンしているのだろうと感心してしまいました。テクニックは、申し分ないでしょうね。 ただ、先生が弾くと曲に情景や、物語が生まれるような気がした。ドビッシーでありながらも主張があると。へんな言い方なんだけれど… 私があまりドビッシーを弾くのを敬遠していたのは、(一番の理由は、難しくて綺麗に弾けないからなんだけど)学生さんが弾かれたようにただただ美しい情景を歌ったものだと面白みを感じなかった。印象派の絵は、光と影を色で表現し(そうとも限らないのだけれど)アウトラインがはっきりせず、それを音楽に置き換えるとなんだか靄がかかったようで、絵以上に何が描いているか分からない。でも先生の話を聞いていて一人で納得してしまった。 そっか~!絵画の色はまさしく音色で、光と影の形が音階だとするならば、視覚で感じ取れない音楽はもっと繊細で音の主張が必要なんじゃないかって…。そうすると、曲の意味がもっと視覚的に感じられるのじゃないかしら。(これは私の勘違いかもしれないが) 素人でも、確かに先生は指導のために大げさに表現はしていたけれど、ラヴェルや、ドビッシーの柔らかな部分だけでなくもっとアグレッシブな表現も含んでいるような気がした。 先生の弾き方は、大げさで、メリハリがあっていても、音楽の流れが止まらない。 生徒さんの弾き方は4人とも結構似ていて、日本人と外人の違いかなあ~と思ってしまった。 ただ思うのだけれど、ドビッシーコンクールは、フランス人、ショパンはポーランド、チャイコフスキーはロシアがって、大きなコンクールはやっぱり地元の人が強いのは音楽の中に民族のルーツがあるから?それとも地元ひいき? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[音楽] カテゴリの最新記事
|
|