路上は、犬猫の住む場所じゃないんだ
連日、ちょっと辛い話題ですみません。なな猫も、たいしたこと何もできてなくてただ、猫7匹拾って飼って、うち1匹は一時預かりで里親さん募集、なんて一部には顰蹙を買いそうなこと、してるだけなんですがでも、こういう現実もあるってこと、こういう考え方もできるってこと、知って貰うのもいいのではないかと思い、今日も書きます。ネットで知った現実です。 この子は、1年前にボロ雑巾のように公園で転がっていたそうです。目と鼻には砂がビッチリつき、砂を取ったら膿がたくさん出てきておでこにもプニプニという感触があるくらい膿が溜まっていました。 この子を見て、まあ、10人いたら10人、ほっとけと言うでしょう。そのまま死なせてあげれば、とか。でも、ほっておけなかった人がいました。病院でもう駄目だろうと言われたのですが、なんとか一命を取り留めました。 いま、こんなにきれいに、元気になれました。あのとき、ほっておかれたら今のこの子の、この、「気持ちいいなあ」って思いはなかった。でも、残念ながら、脳障害が残ってしまい、一生ケージ暮らしです。一生ケージの中で、ほんとに幸せなんだろうか、助けたのは間違いだったのではないか、保護された方の胸に去来する悩みは毎日、この子の、信頼と愛情を返されることで、ゼロになっていきます。こんな子たちもいました。 無責任な餌やりさんのせいで、猫が増えているところにいてほっておけず保護されたそうです。その場所は、保護された方のところから1時間以上かかるところだったので保護することしか出来なかったというのですが「保護すること」、その一点が、どんなに大変で勇気のいることか。 いま、この子たちは2匹一緒に、(初めの画像の子猫と2枚目の画像の奥の子猫)里親さんに巡り会えて、こんなに太って元気。最初に保護されなかったら、いつまでも路上をうろつき、病気やノミ・ダニにやられもしかしたら虐待者や業者(動物実験等目的の買い手に売る人たち)の餌食になっていたかもしれません。どちらにしても長くは生きられなかったでしょう。間引く、という言葉があります。自然淘汰という言葉も。そうかもしれない。いや、そうでしょうか。なな猫が幼かった頃、生まれて飼えない犬や猫は袋に詰めて、川に流したりするのが当たり前の日本でした。今や日本は、大ペットブーム。犬や猫のショップがどこの街にもあり、人々は「ペット」たちにかわいい服を着せて歩き郊外に行くと、「犬猫、店内に100匹」なんて大看板の大型ペットショップまであります。だけど、日本人の意識は、なな猫の幼かった30年、40年前と大して変わらない。いえ、もっと悪くなっているかもしれません。ネットで猫の虐待の様子を流して子猫をいたぶって殺した「こげんたちゃん事件」というのがありました。でも、本当に怖いのは、そんな異常者ではなく「わたしは動物が大好き、家族の一員よ」なんて言ってる人かもしれないのです。一人暮らしで、自分が留守中は、キャリーケースに入れて留守にする人。その間、猫はご飯も水もトイレも、我慢していたそうです。その猫は、その事実をを知った方が保護されたそうですが飼い主は酷い事をしたと思ってなくてその飼い方が正しいと思っていたなんて……。 他にも、7年間1.5mしかないロープに繋がれて庭に出しっぱなしで野ざらしで、餌しか与えられてなかった子(この子は、保護された時には風邪を引いていて、目を失明) 足を持って振り回され、人間不信になった子、 飼い猫じゃないけど、猫嫌いな人に熱湯をかけられて1年も経つのに、まだケロイド状態で、毛も生えないで血が吹き出ている子。なな猫も、知りませんでした。でも、知ってしまったのでここに書くことくらいしか出来ないけどこれを読んでくださる、一人でも多くの方にも知っていただきたいと思いました。知ること、ここから始めたいと思います。吹けば飛ぶような、泡みたいな命ですけどそれでも、命は命です。アメリカやドイツなどの先進国に当然あるという動物シェルターやアニマルポリスの設立が日本にも待たれます。画像の提供者の、保護活動を一人でコツコツやっている方の言葉です。「路上は、犬猫の住む場所じゃない」