【ポーランド旅行】負の世界遺産アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所
アウシュヴィッツ・ビルケナウへ…ε”ε”ε”ε”(ノ´・・)ノあまりにも有名なアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所はナチス・ドイツが第2次世界大戦中にホロコースト(絶滅政策)と強制労働によって最大級の犠牲者を出した強制収容所クラクフからはバスで1時間ほどのオシフィエンチムにあります公園のように整備されているので晴天の新緑の時期であればもう少し明るい気分で訪れることもできたのでしょうが…今にも雨が降り出しそうな曇天(実際雨が降ってきたし…)暗く気温は5度くらいで非常に寒く、ココを訪れるにはある意味一番適した日だったかもしれません「働けば自由になる」の虚しくなるようなスローガンが掲げられたゲートから入ります整然と立ち並ぶ建物…アウシュヴィッツ第1強制収容所は当時ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム(アウシュヴィッツはドイツ語)に第2強制収容所は隣接するブジェジンカ(ドイツ語名ビルケナウ)に建設され、周辺にも同様の施設が多数建設されました1979年に世界遺産に登録されていますヒトラー率いるナチス党政権下のドイツが行ったホロコーストの象徴と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」ココはキッチンだったそうです占領地での労働力確保および民族浄化の施設として建設その規模を拡大させていったドイツ労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子供・老人さらには劣等民族を処分する「絶滅収容所」として機能させてしまったのです一説には「強制収容所到着直後の選別で70~75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれた」とされているそうで正確な総数の把握は現在でもできないとのこと少なくとも130万人が連行されそのうちユダヤ人が110万人そしてユダヤ人の約90%の方々がガス室で殺された…と記載されていましたユダヤ人だけではなく、政治犯、ロマ(ジプシー)精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者等々ヨーロッパ各国から…膨大な量の髪の毛、洋服、靴等々が残されていますココで生活するための必需品を持ってきたバッグ食器等… 見るだけで涙が出てきますここはなんと… 「死の壁」銃殺場ですガス室だけではなかったのです『劣悪な住環境や食糧事情、蔓延する伝染病過酷懲罰や解放直前に数次にわたって行われた他の収容所への移送の結果、9割以上が命を落としたとされ生存者は50,000人程度だったと言われている』もう言葉がでません『すべての強制収容所は、ナチス親衛隊(SS)の全国指導者であったハインリヒ・ヒムラーによってSSの下に集約されており…』『…SSのみならず多くのドイツ企業が「人道に対する罪」を理由に連合国などによって裁かれた。』プロトタイプのガス室・・・・沈黙黙祷1941年10月収容者増を補うためブジェジンカに絶滅収容所として第2強制収容所ビルケナウが開所総面積は1.75平方km(東京ドーム約37個分)もあり300以上の施設から成る巨大なものピーク時の1944年には90,000人が収容されていた とのこと1944年5月に完成した「強制収容所内まで延びる鉄道引込み線」を監視塔から見ると…生と死を選別されたプラットフォームガス室は農家を改造したものが2棟と複合施設(クレマトリウム)が4棟の計6棟があったとされますが、証拠隠滅を計ったSSによって破壊されてしまったそうです残っている収容施設は、本当に粗末なもの残されている建物は少ないもののその広さに驚かされますプラットフォームに立ってみました…右に選別されると生、左だと死…人を乗せて戻ることのない線路…このような貨車に200人もの人が詰め込まれて運ばれ…この木の先には湖があって絶対に逃亡できないそう一度は行かなきゃいけないと思っていたアウシュヴィッツ・ビルケナウですが本当に辛かった…重い気持ちのままクラクフに戻りランチはゆでたまごがのったサラダ本当にポーランド人はゆでたまご好きポーランドの伝統料理、鳩という意味のゴウォンプキはロールキャベツ、玉ねぎの甘みがあるなめらかな挽肉が入っていて茸のソースがとても美味しかったぁ(*´μ`*)ちなみにハト肉が使われているわけじゃあないです ほっMieszczanskaul. Zwierzyniecka 29 | 31-105, Krakow 31-105, PolandInstagram 始めました(^^♪Instagram 始めました(^^♪続きはこちら 7. 世界遺産に最初に登録された12件のうちの1つ ヴィエリチカ岩塩坑2018年3月:ポーランド ワルシャワ~~トルン~ポズナン~ヴロツワフ~クラクフの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします