クサールギレンを後に今度は北上
砂漠を抜けると荒地が広がっています
道路は比較的整備されていてスイスイ~
ポツポツと家が建っている村が見えてきました
トズールからずっとお世話になった
4WDのドライバーさんにもココでお別れ
ダンディなおじ様&笑顔爽やかな青年達
さんきゅ。(*˘︶˘*).:*♡
甘くて香りの良いアーモンドミントティで一息
古くから先住民のベルベル人が住んでいたマトマタ
12~13世紀に侵攻してきたアラブ人から身を守るため
地面に巨大な穴を掘り、居住用の穴を掘って生活する
洞窟住宅が建てられたと言われています
地下の住居は乾燥地帯の急激な気候変化や
強い日差しを避けるのに都合がよく
冬も温度が下がらず保温性に優れていたんだそうです
一見ココに家があるなんて思えないです…
側面の上まで登ってみても
ただただ荒野が見えるだけ…
でもね、大きな穴を覗くと OMG~
穴は深さ7~8mもあり中庭になっている模様
この辺りは石灰岩で掘りやすかったとは言え… すごっ
ではでは下に降りて入り口へ
魔よけのお魚がかわゆし
サボテンが似合うこと似合うこと…
中庭に入ったところに …住人
もっともココは住んでいるというより
博物館って感じですが、絵になる風景
ナツメヤシの幹は強くて柱として利用されています
側面にいくつもの穴が掘られていて
それぞれの穴は個室として利用されています
横穴でそれぞれの穴が連結されているところもあるそう
迷路みたい
この穴はベッドルーム
お魚もファティマの手も魔よけ
実際のファティマの手は
手の平の真ん中に目がついたデザインですが…
なぜファティマなのかなぁ~ とググってみたら
イスラム教の開祖ムハンマドの娘の一人の名前が
ファティマだったからだとか… 答えになってるのかどうか
ココはリビングルームかな
民族衣装の貸し出しもしていました よ
こんな趣のある洞窟の家々ですが
1969年に大洪水が起きマトマタは水没
チュニジア政府は15km北に新しく街を建設し
ほとんどの住民は移住、生活拠点を地上に移しています
以後新しい街を新マトマタ、以前からある古い街は
旧マトマタと称されています
ランチにやってきたのはそんな洞窟住居を利用した
ホテルのレストラン
ちょこっと覗いてみたお部屋は…
かなり殺風景ですね~(´^`;)
このホテルはスター・ウォーズのロケ地の一つ
第1作目に登場する惑星タトゥイーンの
ルーク・スカイウォーカーの家のロケ地なった場所
ま、それで有名なのだけど
スター・ウォーズファンの聖地 らしい
ルークの故郷、ラース家の地下部
映画ではショット・エル・ジェリドにある
地上玄関口部と一緒に合成されているそうです
ゲームソフト、コール オブ デューティ2でも
北アフリカ戦線のシナリオの中で登場する らしい
現在スター・ウォーズ・バーという名前になっている
ホテルのバーには1976年のロケ風景の写真が貼ってありました
ようやくレストランへ…
ランチメニュはチュニジア料理のブリック
東京でも食べたことあるけれど
揚げ餃子のようなもの… で
中にたまごが入っていて、半熟とろ~り
のはずだったのに、カチンコチンの完熟
ただの揚げたまごになってたヾ(。>﹏<。)ノ
クスクスはニンジンだらけだったけれど
スパイシーでおいし~
チュニジアのピリ辛具合にハマったわ
外にでると木のラクダの上に本物のタカ
これも撮る?撮る?お金ちょーだいビジネス
って、タダで隠し撮りしてるやん(≧▽≦)ゞ
Hotel Sidi Driss
Matama Ancienne, Matmata 6070, Tunisia
アフリカで最も大きな円形闘技場
(アンフィテアトルム)があるエル・ジェム
3世紀頃にローマのコロッセオに匹敵する規模の闘技場を
造るというのは相当なこと…
観客席35,000の規模はローマのコロッセオ(約45,000)
およびカプアの荒廃した闘技場に次ぐサイズ
円形闘技場の遺跡は1979年に世界遺産に登録されています
現在でも数万人を収容することができ
毎年夏にはフェスティバルも行われています
チュニジアに25ほどある円形闘技場で最大
アリーナの直径は65m、高さ36m
縦149m、横124mという
広大な大地にぽつんと建つ巨大な建造物…
砂漠化の進んだエル・ジェムでは
このそびえたつ円形闘技場だけが目をひく建造物
周りに何もない分なおさらその巨大さが強調されています
古代都市シスドラスが栄えたところで
紀元前3世紀にカルタゴの支配下に入り
紀元前146年には第3次ポエニ戦争で
ローマ帝国により破壊されましたが
後46年にローマ皇帝カエサルが復興
ハドリアヌス帝の頃にはオリーブオイルの輸出で
サヘル(サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域)の
主要な交易都市として繁栄
ローマ帝国の中でも最も豊かな都市の一つだったエル・ジェム
3世紀のローマ帝国のゴルディアヌス3世のもと着工されましたが
政情不安や資金不足で完成には至らなかったとか
7世紀末に中東からチュニジアまで攻め込んできた
アラブ軍と先住民ベルベル人との最後の決戦はここが舞台
ベルベル軍を率いていた女王カヒナは追いつめられ
コロセウムに立てこもり、701年この中で炎に身を投じて命を絶ったそう
ローマ時代に剣闘士の戦い、奴隷や罪人と猛獣との戦い
等々残忍な闘技が頻繁に行われていたところ…
17世紀まで闘技場はほぼ原型を保っていたそうですが
その後、闘技場の石材は近隣の家やカイルアンの
グランドモスクの建築物資として利用されてしまい
外層は約三分の一が破壊されてしまいましたが
三重の層をなすアーケードで囲まれた姿は当時のまま
VIP席は大理石のようですが、一般席は砂岩
観客席を最上階まで登ってみました
…足にくるなぁ
アリーナが大理石なのは動物達が引っ掻いても
逃げることができないようにしたためだそう
かつては木造だった格子の下
地下から見上げるアリーナは… 囚人気分
地下部分は最初の設計段階から良く考えられていて
剣闘士や猛獣、死刑囚や奴隷の出番待ちの部屋が並び…
って、どんな気分だったんだろう
アリーナへはエレベーターの如く「せり(迫)」上げられ
正に「奈落」の底から死刑場へと言ったところでしょうか…
地下から猛獣たちが飛び出すのは迫力だったでしょうけれど
やはり …ちょっと理解できない趣味
ともあれ、1800年の時を経て
現代まで残っているエル・ジェム円形闘技場
ずしんとくる歴史を感じる遺跡でした
続きはこちら 7. 「サヘルの真珠」と称されるスース ~世界遺産の旧市街
2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る
国内旅行記トップへ
海外旅行記トップへ
Instagram 始めました(^^♪
☆★ブログランキングに参加しています★☆
一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いします
こちらもよろしくね
|
メッセージは
こちらからお願いします
|