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テーマ:思い出(4)
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二条城のお話。
書いておかないと忘れてしまいそうだから・・・。 昨日も書いたのですが、GWは京都に4日間おりました。 本当は4日もいれば相当の場所を訪れる事ができるのですが、我家の娘は兎に角一箇所にかける時間が長い! その為、それ程沢山の場所には行っておりません。 それでも朝から夕方まで、ず~と京都を巡っていたので、誰もが知っている有名な場所の半分程度は巡れたのではないでしょうか? その中の二条城。。。 ミニが歴史に興味を持ち始めたきっかけとなる徳川のお屋敷です。 関西方面ばかり歩いておりますと、関が原以外で徳川縁の場所というのは案外目に付かないもので・・・。 そんな中始めて娘が徳川が直接でてくるお城ってわけです。(笑) (お城(天守閣)は既にありません。) 場所は京都御所から程近い場所にあり、そもそもその御所を見張るために作られたお城だとのことです。 東大手門より入りすぐに番所、二の丸御殿があり、そこを見学することになります。 皆さんよくご存知かと思いますが、天守閣・本丸の手前にあるのが二の丸です。 御殿に入ると早々に柳の間・若松の間などがあります。 その、すぐ隣に遠侍の間があります。 ここで、参上の旨を伝えてもらうのですね。 外様大名より下のものは、これより先には入ることが出来ませんし奥に呼ばれることもありません。 また、贈り物などもこちらで受け取られたようです。 そのずっと奥に豪華な大広間が3つほど続いております。 入り口から近い方より外様大名が入れるの間、譜代大名が入室できる間、その奥に親藩大名が入室できる間があります。 これは関が原の戦いの際に学校で習った大名の呼び名ですね。 私唯一覚えていた歴史の用語です(爆) その後、書院などを通り過ぎると大広間や老中の間、勅使の間などがあります。 そして奥に上様がお寛ぎになる部屋があります。 ま~豪華な彫刻や襖絵は流石に徳川の権力の大きさを誇示するものばかりでした。 しかし、そのような事を8歳のミニが感じるはずもありません。 なのに何故二の丸に4時間近くも居たのかって??(昨日の日記に書いたのですが4時間近く居りました) 最初に書いた遠侍の間を覚えているでしょうか? かつて徳川に秀頼が挨拶した歴史的な出来事がありました。(1602年) その際に使われた場所が、この遠侍の間だったのです。 そうです、外様大名でもない豊臣秀頼は、遠侍の間より奥には通さなかったのです。 これをもって豊臣から徳川の世に完全に移ったことを世間に知らしめた場所になるのです。 それを知ったミニは大喜び?感動?興奮?して部屋の隅々まで眺めていたのです。 もっとも部屋の中には入れませんが、そこは8歳児! 床に這うようにして天井まで全部眺めておりました(爆) その他、大政奉還を発表したのは、先程の親藩大名が入室できる一の間だったような・・・。 部屋はもしかすると間違えて覚えて帰っているかもしれません。(汗) ただ、大政奉還を発表したのは確かにこの二の丸の部屋には違いないようです。 ただ、ミニが大政奉還をよくわかっていないために、この部屋にはそれ程興味を示しませんでした。(笑) でも、豪華で立派な部屋なんですよ♪ さて・・・。 その後、本丸・なんにもない天守閣を歩いて帰りました。 二の丸・本丸と庭園もとても美しかったですよ。 でも、侘びさびというよりは、海外からの観光客が喜びそうな分りやすい造りです。(笑) さて、この程度かな?? とりあえず、今回のGW日記はここでおしまい! 【おまけ】 本能寺跡と(現在の)本能寺にも行ったのですが、ミニは「ねね」と「信長」のお墓参りが出来たと喜んでおりました。 普通、見たことも会ったことも、まして何の縁もない人のお墓参りをしたからといって嬉しいかな~? この感覚が分らない。。。 因みに、京都・東本願寺には母の祖母のお墓があるのですが、ミニはそこには過去一度も立ち寄っておりません(爆) もっともお墓の場所が広くって・・・お墓の位置が母自体も分りませんが(爆×爆) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 13, 2007 11:17:09 PM
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