カテゴリ:あれこれ
いつも遊びに来てくれるぱいπさんから回ってきたトラベル・バトン。
やっては見たものの、回す人もなく「私で終わりじゃバトンの意味ないじゃん!」と思っていたら、 お友達のドニさんといつも遊びに行ってるhemi*さんが自主的に引き受けてくれた。 ありがとう、二人とも。感謝ハムニダ! ぱいちゃん、バトン渡ったよ^^ふぅ~ 気が付けば、私のブログに登場する人達はほとんどが韓国つながり。 私がもし韓国に興味を持たなかったら、つながらなかった縁なのかも。 そう考えると不思議…だって、数年前までま~ったく興味なかったのよ、マジに。 2001年の1月。 お嬢が中2の時、学校のスキー旅行で3日間いなくなる時があって これはチャンスだ!とばかりに旅行しようと決心。 どうせだったら海外へ行こうと、3日間で楽勝で往復できるという 理由だけで韓国行きを決めた。 それまで私の中の韓国って、朝鮮人参、焼肉、エステ、コピーってイメージしかなく 言葉も人並みに「アンニョンハセヨ」しか知らなかったのよね。 はっきり言って、韓国って事より飛行機に乗って国外へ行きたいって思いしか なかったから、もう韓国がどんなでもいーやって気分だった。 平日の日にち限定旅行だから誘う相手もいなくて、調べてみたら治安も良さそう。 だったらいっそのことと一人旅を決め、チケット取って、1泊3千円くらいの 東大門近くの旅館を予約し、ガイドブックと会話集を頼りに個人旅行を決行。 今考えると、とにかく 使いたいって思いが強くて、恐いもの知らずだったのよね。 当時はまだ仁川空港が建設中で、金浦空港から地下鉄に乗ってソウルへ 行ったんだけど、宿がある東大門までは途中乗り換えなくちゃいけない。 日本を発つ前、何回もガイドブックを見ては乗り換えるシュミレーションを したはずなのに、ここだと思って降りた駅(竜山駅だと後でわかった)が ホームがいくつもある駅で、漢字表記も英語表記もしていないハングルだらけの 表示に重いトランクを引きずりながら、気持ちは迷子になった幼児気分。 知らない異国での心細い思いに、涙がチョチョ切れそうになるのをこらえ、何とか 宿にたどり着く事ができた。 元々方向感覚は悪い方じゃないから、宿に着けばこっちのもの。 それからは、あっちこっちと地下鉄を駆使して行き回ったものの、当時はまだ ハングル表記しかない場所が多くて、どこもかしこもあのカクカクした 文字ばかりで、必死に見るあまりハングル酔いしたほど。 この英語が苦手な私が、英語が書いてあるとホッとしちゃう位f^^; 正直、とても綺麗とは言えない街並みと、乱暴な(そう見えた)人たちに 何十年前かの日本を見てるようで、テンション下がることもたびたび。 でも、食料品を買おうと郊外の農協へ行ったとき、疲れてベンチで休んでたら 隣に座っていたアジュンマ(おばさん)が、いきなり私に話し掛けて来た。 どうも、私が持っていた車付のバッグが珍しかったらしく、その話をしてると 思うんだけど、全くチンプンカンプンな言葉に日本語で 「ごめんなさい。私日本人なのでわかりません」 って思わず言っちゃった。 一瞬アジュンマの口が閉じたんだけど、ほんとそれは一瞬で、また一生懸命 私に話しかけてきた。 その話し方が、いわゆるおばさんの興味津々のしつこい話し方じゃなく、 なんて言ったらいいのかな~可愛がってもらってる知合いのおばさん的な話し方だった。 分からないって日本語で言ってるのに、それでも話し掛けてくるアジュンマ見てたら なんか自分が話の意味がわからないって事が、すごく腹立たしく なっちゃって(当たり前だけど) よし。次に来る時は少しでも理解できるようになるぞ! ってなぜか思っちゃったんだよね。 それからが、私の韓キチのはじまりはじまり~ 農協横のベンチであのアジュンマに会ったが為に、韓国という蟻地獄に落ちてしまった。 でもでも、あのアジュンマに会わなければ、今頃私はひょっとしたら 「汚くてうるさいし、韓国って好きじゃない」って思ってたかも。 そうしたら、私の好きな韓キチ仲間にもめぐり会えなかった訳で… アジュンマ、蟻地獄へ落としてくれてありがとう♪ …つづく(但し、ネタ切れの時のみ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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