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テーマ:香港!!!!(945)
カテゴリ:香港を歩く
「Des Voeux Road(徳輔道)」
どう読んだら良いのかもわからなかったその通りの名前は、初めて見たときから頭に焼きついて離れませんでした。 その名前は、第10代の香港提督「Sir George william Des Voeux(在任期間1887~1891)」に因んでつけられたのだそうです。 Des Voeux Road 2010-1 posted by (C)Nao 通りのある場所は、現在の香港の心臓部であり、そして香港で最も早く開発されたと言われる香港島のセントラル(中環)で、東西に貫いています。 その広い通りの中央を行ったり来たりしているのは、もっとも香港らしい乗り物、そう「トラム」です。 Des Voeux Road 2010-2 posted by (C)Nao この付近は、金融機関や証券会社などの高層ビルが立ち並び、まさに金融都市香港の中心となっています。 歩いている外国人ビジネスマンが多いのも、このあたりの特徴ですね。 TRAMS posted by (C)Nao 香港島を東から来る金鐘道、このエリアに入ると、中国銀行付近でQueens Road(皇后大道)と、この「Des Voeux Road(徳輔道)」に分かれます。 「ああ、あの通りね」とおわかりの方も多いでしょう。 立法会大楼 posted by (C)Nao 歴史を感じさせる立法会大楼の建物と、風変わりな香港上海銀行の間を抜け、プリンス・ビルとThe Landmark(置地廣場)を見ながら、フェリー埠頭へと通じるPedder Streetと交差して、上環方面にまっすぐ伸びています。 Des Voeux Road posted by (C)Nao この「Des Voeux Road(徳輔道)」は、実際には二つに分かれていて、Central(中環エリア)では、Des Voeux Road Central(徳輔道中)ですが、ウェスタンマーケットのところで終わり、その先の上環エリアでは、「Des Voeux Road West(徳輔道西)となります。 Western Market posted by (C)Nao その通りを走るトラムの歴史はとても古く、1904年の開業から数えると、すでに100年以上も経つんですね。 当時はいったいどんな様子だったんでしょうね。。。。 ここは、1906年の「Des Voeux Road Central(徳輔道中)」。 一台のトラムがこちらに向かってやってきますが、少し今とは違うみたいです。 開業当時のトラム車両は、現在のようにダブルデッカー(2階建)ではなかったようで、 1等車と3等車の2つの種類の車両で運行していたんだそうです。 Des Voeux Road 1906 posted by (C)Nao その後1913年頃になると、中国本土からの移民などによって人口が増え、それまでの乗車定員では輸送しきれなくなり、新型のダブルデッカー(2階建)車両が導入されました。 でもその二階席は、今のような完全に囲まれた形ではなく、オープントップ・タイプだったようです。 その2階建の車両は、2階が1等席、1階が3等席となっていましたが、ご存知のように香港の気候は雨や風が強いですよね。 たちまち1等席の乗客からクレームになり、対策としてキャンバス・ルーフとロール・ダウンするサイド・スクリーンが取り付けられました。 Des Voeux Road 1930 posted by (C)Nao しかし、このキャンバス・ルーフとサイド・スクリーンでは、風雨をしのぐには十分ではなかったんですね。 それで1925年に、現在のような完全密閉型のダブルデッカー(2階建)車両が導入されました。当時のタイプは屋根がまだ木製だったようで、1950年頃まで使用されていたようです。 第二次大戦中、トラムは破壊されずに残っていましたが、終戦時に109両ある車両のうち運用可能なものはたった15両しかなかったようです。 オーバーホールの後、1945年10月にようやく40両で営業再開できましたが、架線や道路の破損から、営業は市中心部のみに限られ、またライトがないため昼間しか運行できなかったそうです。 Des Voeux Road 1950 posted by (C)Nao 1949年頃になると、共産党の内戦による中国本土の情勢悪化から、再び香港への移民が急増します。 そしてこの頃には、待遇改善を求めて、トラムの従業員らはたびたびストライキを行ったようで、これは1970年頃まで続きます。 ところで、香港のトラムの特徴と言えば、あの車体いっぱいに描かれた宣伝広告ですよね。 最近なのかと思いきや、トラムの宣伝広告が始まったのは意外と古く、1930年頃からあったんだそうです。 TRAMS 2 posted by (C)Nao 戦争中には、ダークグリーン一色に塗り替えられたものの、戦後にまた再開されました。 ただ当初は、今のように全面を1社のスポンサーが占有していたのではなく、1台を8つのスポンサーがシェアしていたんだそうです。そんな車両も見てみたい気がしますね。 さて、トラムのお話が長くなりましたが、この「Des Voeux Road (徳輔道)」は、そんな香港のトラムの歴史をずっと見守ってきたんですね。 MTRやバスとの競争にも負けず、今もなお香港住民の足として愛され続けているトラム。 この「Des Voeux Road(徳輔道)」の通りを走り抜けていくトラムの姿が、きっとこれからも香港の歴史の一部を綴っていくんでしょうね。 トラム関連の日記;トラムでGO! にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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