「せんせい、どの子がすき?」
年長組のはるちゃんが、これ以上ないくらいまっすぐな目で問いかけてきた。「せんせいは、Aちゃんと、Bちゃんと、Cちゃんと、Dちゃんとわたしの中でだれがすき?」恐らく、多くの保育者は「せんせいはみんなすきよ」と答えるだろう。でも、私は間髪を入れず(←余談ですが”かん、はつをいれず”が正解)「はるちゃんだよ」(←小声)するとはるちゃんの目がいつもの2.5倍くらいになり「え?なんで?」と追及にかかる。追及というより、ただ「すき」と言われても信用できないくらい、自分に自信がないんだなと思うと不憫になってくる。「なんでかな、りゆうはないけど、はるちゃんがすき」そう答えた理由は、もしそこで「〇〇だから」と言ってしまうと、はるちゃんは人に好かれるために〇〇であり続けようと頑張ってしまう。(「やさしいから」とか「しっかりしてるから」とか「あたまがいいから」とか)親(養育者)から無条件で愛されて育つということが、どれほどその人の人生を自由にするか、私もこの年になってようやく実感するようになった。しかし、保育士が特定の子を「すき」と言ってしまうのは問題があるのではないかという懸念もないわけではない。しかし、「みんなすき」というのは、結局「わたしのことをすきなわけでない」と、子供が敏感に察知することも忘れてはならない。