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8月15日。去年も気になっていました。
でもどう書いたらよいのかわからず、今も戸惑いがあります。 4年前、大好きだった祖父が亡くなりました。 大正12年生まれでした。 亡くなってから2年後、祖父の家を訪ねたある日、祖母から数冊 のノートを手渡されました。 「僕が死ぬまで絶対捨てるなって言われてたんや。もう おばあちゃん持ってても何書いてあるか読めんし、あんたに 渡しておくわ。」 1冊は16歳の頃の祖父の日記。そしてもう一冊は1975年の日記。 (祖父は毎日日記を書いていました)そしてもう一冊が回想録。 祖父が絶対に捨てるなと言っていたのは、この回想録。 「昭和二十二年三月」と書かれて始まっています。 祖父は「シベリア抑留」を体験し、帰還した一人でした。日本に戻って から、何があったのかを克明に記したのです。 戦争のことを、祖父から直接聞くことは一度もありませんでした。 でも、今私の手元にこのノートが来た、ということが、何か意味が あるようで仕方ありません(何しろ「捨てるな」と言っていたのですから) 『昨日迄へんぼんと翻ってゐた日章旗は何時の間にか下されて 領事館の旗竿の上には真赤な長旗が折からの強い夏の陽に輝き 無風にダラリと下っておる。・・・戦は終ったのだ!休戦!無条件 降伏!何かしら実感が沸き出ぬ程に人々の心は転倒してゐた。・・・』 時折私には読めない難しい漢字や、なれない言い回しもありますが、 全36ページ、大体の事はわかります。そして、祖父が極寒の地で どんな体験をしたのかも。 戦争がどんなものか、風化させてはいけないとか新聞・TVでは聞か れるけれど、風化していくのは身近に体験した人がいなくなっていく からで、祖父がこのノートを残してくれたおかげで、私は随分違いました。 やはり、同じように回想録を書いている方はいるようで、ネットで公開 もしています。祖父の文中ではわかりにくかった部分も、皆さん同じ 体験をしているので記録を読んでいけば補えました。 結局戦争って家族のことでないと、なかなかわからないです。 おじいちゃんはこういう体験をした、おばあちゃんはものがなくて こんなものまで食べた、みたいな話が一番伝わります。 そしてそんな経験、絶対にしたくないし、子供たちにもさせたくない。 なのでおじいちゃんに感謝です。 このノート、もう少し大きくなったら子供達にも見せてやろうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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