Mさんは静かな声で話し始めた 『一昨日、夜にJが交通事故に遭いました。 容態は良くありません。今集中治療室に入っています』 私は耳を疑った いや、私だけではなくそこにいるチームのみんながびっくりして言葉も出なかった その後、Mさんが何と言ったかほとんど覚えていない ただ覚えているのはJがいま本当に危険な状態で必死で戦ってるということだけ 全身から力が抜けて何も考えられられなくなり、気がつけばJのことばかり考えていた 私は3歳ぐらいの頃から彼を見てきた 当時同じ団地に住んでいて家が近く、仲良くしてもらっていた 彼の母とは一緒にテニスをしたり卓球をしたりキャンプにも一緒に行ったりした バレーには最初私が近所の人に誘われて行ってたのだが、行き始めてしばらくして Jの母が来るようになり、そのうちJの姉、Jも4年生ぐらいから来るようになった 中学・高校と野球に打ち込んでいたJはクラブが忙しかったので、 ほとんどバレーの練習には参加できなかったが、引退後は毎週毎週参加するようになった そしてその年の初め、私と同じチームになり一生懸命練習してきて 2月・3月には一緒に試合にも出た 練習熱心で研究熱心な彼はどんどん上手くなっていった 強いチーム相手に、一生懸命練習してきたCクイックが決まった時には ものすごく嬉しかった いつもニコニコと笑顔を絶やさず、明るくてスポーツマンのJが何で!? こんな事がぐるぐる頭の中を渦巻いて、あまりのショックに 私はしばらくの間、うつ状態のようになってしまった そんな精神状態のときにあの福知山線の脱線事故が起こったのだ テレビに映る事故現場のあまりの凄惨な状態に、さらに気分が落ち込んだ バレーをする気力も全く無くなった でも、私たちが練習をしなくなってもJの容態が良くなるわけではない むしろ頑張って練習した方が、Jが元気なるような気がしてJの分まで頑張った きっとその時チームのみんなも同じ気持ちだったと思う その事故が起こらなければ1週間後にはJとは同じチームで試合に出るはずだった 近県だけでなく岐阜や岡山、広島など遠くからも参加がある大きな交流大会 参加チームも百何十という数が参加する大会だ この大会に出てひとつでも多く勝つ為、結構頑張って練習してきた が、彼が出れなくなり私のチームはメンバーも足りず、 しかもこんな大変な時に試合に出る気持ちにはなれなかった 代表に『試合どうする?』と相談されたが、チームのみんなと即不参加を決め 『申し訳ありません。急で先方(主催者のチームの方)には悪いんですが こんな時ですのでバレーする気持ちにもなれませんし、お断りしていただけませんか?』 とお願いした 代表も『そりゃそうやなぁ、わかった。断りの連絡入れときます』と言ってくれた ところが。。。 。。。続く。。。 |