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カテゴリ:雑記
3月19日、三連休の初日に尾張名古屋の熱田神宮へ。
熱田神宮は三種の神器のひとつである「草薙剣(天叢雲剣)」を祀る神社として有名ですが、かの織田信長が桶狭間の戦いへ向かう直前、戦勝祈願をしたところ神殿の奥深くから鎧の触れ合う音が聞こえ、一羽の白鷺が飛び立つという吉兆があったと言われる、歴史好きにはたまらん神社でもあります。 今も残る信長塀は、戦勝後に奉納されたものですね。 こちらは弘法大師・空海がお手植えしたと言い伝えられる大楠。 織田信長の前半生を語るうえで、やはり熱田神宮は外せない大切な場所ですが、こちら古くは「津島牛頭天王社」と呼称され、全国約三千社の天王社の総本社である津島神社も学生の頃から興味があった場所です。 (豊臣秀吉の寄進と伝えられる津島神社の楼門)初参拝の3月19日撮影 学生時代に読んだ織田信長に関する小説の中で、尾張津島天王祭の描写があり、ひとり空想に浸ったものです。(後の安土城のライトアップは、天王祭をまねたという説もあり) 津島神社のあるこの地は、尾張と伊勢を結ぶ河川の要衝にあり、今は津島湊跡が残るだけですが戦国の当時は大貿易港だったようです。 この大貿易港に目を付けたのが織田信長の祖父・信定だったんですね。 信定の先見の明により津島を抑え、その巨大な経済力を手に入れたことが、織田家の中でも傍流の一つに過ぎなかった父・信秀の勢力を大きく伸ばすきっかけとなり、信長の代に至り尾張を統一することが出来る要因となったわけです。(後に信長が堺を直轄地にしたもの同様の理由からでしょうね) 私は、信長が天下統一に向けばく進することができたのは、大貿易港の津島と神社の牛頭天王のご利益だと感じておりましたので、この日の初参拝をとても楽しみにしていました。 それからあと一社、尾張国一宮である真清田神社へも初参拝してきました。 ここの御祭神は天火明命です。 昨年の4月、丹後一宮元伊勢籠神社(宮司・海部氏)へ初参拝しましたが、そこと同じ御祭神様です。 私が以前読んだ出雲の伝承では、籠神社付近にいた人々が大和の葛城地方(私の氏神さんである葛木坐火雷神社付近)へ移住し、さらに葛城・高尾張邑にいた一部の氏族が尾張へと移住し、尾張氏となったと記されていました。 真清田神社の説明書きにも同様の記載を見つけた時、知識としては当然知ってはいたのですが、何だかすごく感動してしまい、心の中で何度も「大和の葛城からご挨拶に来ました」と叫んでしまいましたわ。 さて、物部氏・海部氏・尾張の祖でもある御祭神の天火明命(天照国照彦天火明命櫛玉饒速日尊/あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)は、どうも古代イスラエルの失われた10氏族とも関連がありそうで興味が尽きません。 昨年11月にはアークが眠るかもという四国・剣山へ行ってきましたが、次はどこへ行こうかまた思案します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022/03/20 08:13:18 PM
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