本日、1月22日は旧暦でいうと元旦、おめでとうございます。
明治維新までの日本は太陰暦だったので、それ以前の歴史をおもうとき、旧暦を念頭に置いて考えないといけないですよね。
アーノルド・トインビーの「自国の神話や民話を歴史を学ばなくなった民族は100年以内に必ず滅びる」とは、あまりにも有名な言葉ですね。
私は、日本も中国に倣い、もう少し太陰暦を意識した方が良いと感じています。
いずれにせよ明治維新により、それ以降の日本は政治や金融を英米に牛耳られただけでなく、それ以前の歴史も大きく歪められてしまったのは間違いないと考えています。
ところで最近ネット上では、江戸時代はなかったと主張される方々を散見します。
これについては、まだ私は何ともわからないのですが、私の住む奈良県が一時期存在しなかったのは事実です。現在の奈良県民のうち、いったいどれだけの方がそれを知っているんでしょうか。
古代には明日香、藤原京、平城京といった都があった奈良縣(旧・大和)が一時消滅し、堺県の一部となっていました。
先日、何気に1880(明治13)年の日本の府県別人口を眺めていました。
1.石川県 2.新潟県 3.愛媛県 4.兵庫県 5.愛知県 6.鹿児島県 7.広島県
8.長崎県 9.高知県 10. 千葉県 ~ 17. 東京府 18. 堺県 ~ 24.京都府 ~ 34.大阪府
これは人口の多い順です。
現在とはかなり様相が違い、米の一大生産地である北陸が上位です。
そして18位に堺県が登場し、我が奈良縣はその中に含まれています。
因みに1888年(明治21年)は以下の順です。
1.新潟県 2.兵庫県 3.愛知県 4.東京都 5.広島県 6.大阪府 ~ 26.石川県 ~42.奈良縣
大阪府は堺県と合併し、奈良縣とは分離していますが人口は増え、石川県は富山県(越中)、福井県(越前)とわかれたので順位を落とし、新潟県(越後)が1位となっています。
昨日、受験生の甥が歴史の年表を覚えていました。
なんと(710年)素敵な平城京。鳴くよ(794年)ウグイス平安京。
私も学生の頃、平城京や難波宮に都があった時代を「奈良時代」と覚えた記憶がありますが、もし今も堺県の一部であったなら、「奈良時代」という概念は存在しなかったかもしれませんね。