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カテゴリ:雑記
最近、本を読むことがめっきり少なくなりました。
たまに本を購入しても、なかなか最後まで読み切ることができません。 普段、安易にスマホやタブレットで情報収集などをしている影響でしょうか。 お盆前、姪にせがまれて外食した際、その入店の待ち時間に近くの本屋さんへぶらりと立ち寄りました。 お盆期間中に読めそうな文庫本を探していると、何気に「アマテラスの暗号」という書籍が目につきました。 先月、久しぶりに伊勢の内宮と外宮へ参拝する機会があったからでしょうか。 私は個人的な感覚では、特に理由はないのですが内宮より外宮の方が好きなんです。 江戸時代のお蔭参り(伊勢参り)も外宮が主であったと記憶にあります。 その外宮で主祭神は豊受大神、丹後に伝わる羽衣伝説が実は豊受大神だったという伝説などありますが、天照大神に比べあまりにも知名度がいまいちな神様です。 実際、古事記には豊受大神は僅かに登場しますが、日本書紀には記載がないそうです。 それなのに伊勢神宮で天照大神と同格の扱い、何か特別な理由があるのでしょうか。 ところが最近、豊受大神は天之御中主神と同一神であるとよく目にするようになりました。 天之御中主神といえば日本神話の天地開闢において登場する神であり、江戸時代の国学者・平田篤胤は最高位の究極神としています。 このあたりはユダヤ教における唯一絶対神・ヤハウェと通じるような気がし、実は豊受大神とはヤハウェのことではないかと考えたりもしています。※勿論、個人の妄想です。 古代イスラエルと日本における類似性は既に知られているところです。 言葉、風習、日本神話と旧約聖書の共通点などなど。 上記のとおりであれば、神様に位とはおかしいけれど、天照大神より豊受大神の方が上だと格上となるでしょうか。 また豊受大神は伏見稲荷大社の主祭神・宇迦之御霊(稲荷)大神とも同一視されています。 伏見稲荷といえばユダヤ教とも縁が深いといわれる秦氏が創建したことで有名です。やはり豊受大神は古代イスラエルと深い関係にあるのでしょうか。 外宮へ遷座される前には元伊勢籠神社の奥宮である眞名井神社に鎮座されていたのですが、籠神社や眞名井神社といえば裏神紋として籠目紋(六芒星)が有名です。※今は騒ぎとなり変更されているようです。 それに豊受大神は食物の神でしたが、眞名井(まない)神社はユダヤ3種の神器のひとつ「マナの壺」を連想してしまいますね。 ところで古代日本では「INRI」をイナリと読んだそうですが、「INRI」とはユダヤ人の王、ナザレのイエスですから、それであれば豊受大神はイエス・キリストなんでしょうか。 こうなるともうわかりません。 因みに「アマテラスの暗号」では私の妄想とは違う結論となっていました。 そのアマテラスの暗号は最後まで読み切りました。 古代イスラエルとの類似性だけでなく、最近密かに話題となっている阿波徳島や剣山のこと、普段参拝する大神神社や石上神宮などが出てきて、それなりに楽しく読むことができました。 今年の5月に愛媛の大山祇神代へ行ったのですが、そこの御田植祭では力士が目に見えない稲の精霊と相撲をとる一人角力(ひとりすもう)が奉納されるそうですが、それがヤコブと天使の相撲に因んでいるのではないかという説があるのをこの書籍で初めて知りました。 ところで話は少し変わりますが、神代文字のひとつヨシテ文字で綴られているホツマツタエでは、豊受大神(トヨケ・男神)は天照大神(アマテル・男神)の祖父だったように思います。 おそらく古来より日本に伝わっていた伝承と、失われた古代イスラエルの十氏族(のちにユダ王国の二氏族も)の伝承とが入り交じり、八世紀の古事記などによる日本神話の成立となったのではないでしょうか。勿論、その当時の権力者のさまざまな思惑などがあってのことですが。 古代日本の歴史を読み解くには、やはり古事記や日本書記だけでなく、今は偽書扱いされている日本の古史古伝をもっと紐解いていかないとと、あらためて感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/08/19 10:31:50 PM
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