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言葉にならないとか
言葉がみつからないとか 筆舌に尽くしがたいとか 想像を絶するとか そんないかなる時でも何かを言葉にできる人間に憧れていた。 自分の考えや感情がはっきりしていれば表現の巧拙は兎も角 言葉は自ずと生まれてくるものだと思っていた。 未曾有の大惨事になった今回の地震と津波は 戦争を知らない人間にとっては掛け値なしの‘未(いま)だ曾(かつ)て有らず’になった。 この歴史的大惨事に圧倒されて自分の立ち位置が決まらない。 立ち位置が揺らいでいると言葉は出てこない。 無理に捻出しても極めて弱い。 しかしどう揺らいでいるかを書いて楽になる方法もある。 例えば 国外脱出を図る連中をオーバー・リアクトだと思いながら この10年1度も県外にさえ出たことがない‘病人’が慌ててパスポートの申請をしようとしたこと。 ところが本籍が結婚直後の‘東京都港区’のままで戸籍謄本の取り寄せに1週間もかかるということ。 買いだめに狂騒する人々を少し滑稽に思いながらも 我が家で欠品していた単1電池や携帯電話用充電器を去年具入りラー油を調達できた セブンネットショッピングでゲットできてチョッと得意気だったこと。 その情報を親しい連中にメールで教えたけど余り感謝されなかったこと。 他にもいくらでも書けそうだがこのブログ的にはこれだろう。 「笑点」の大ファンであるにもかかわらず昨日は笑えないどころか どこか違和感さえ覚えた。 もう直ぐ開幕するMLBで松井秀喜の姿を見て従来通りに一喜一憂できるのだろうか。 いや、憂うことは構わないがはしゃいでいいのか。 世の中の自粛ムードは顕著だ。 一方で過度の自粛に疑問を投げかける人もいる。 >地震発生までは‘不謹慎’でなかった100のことの内98までは ‘不謹慎’の領域に入っている気がする。 by おちまさと これはこれでひとつの見識と言えるかもしれない。 それ以上に問題なのはそもそも自分自身がはしゃぐほど明るくなれるのかということだ。 最大の理由は福島の原発事故だ。 最初は地震、津波に伴う派生的な存在だったが、今や計量不能の巨大リスクという意味では 主役になってしまったと言ってもいいかもしれない。 放射性物質のリスクが広範囲に拡散し、しかもその影響は時間軸を超えて将来に及ぶ。 為政者や関係者はしきりに冷静に行動しろと繰り返すが私は素直に恐怖する。 メディアに露出する専門家も厳選された御用学者ではないかとどこか疑ってしまう。 ‘現状では問題は無い’‘ただちに影響を及ぼすものではない’というロジックは、 事態の悪化、或いは時間の経過による積算を考量しているのだろうか。 他人にはよく‘嘘つけ’と言われるが私は生来の小心者だ。 ディーラー時代もそれなりに修羅場を経験したが、 基本的にはワーストシナリオを描いてその対処法を考えるのが常だった。 損をするのは勿論嫌いだが、最も嫌だったのがロスを確定できないマーケット環境だった。 今の日本はそういう状況だ。 まあ、余り暗鬱なトーンで終わるのもらしくないので 最後に小ネタをひとつ。 今回の騒ぎでとんでもないお宝を発見した。 結婚式のキャンドルサービスの時の‘使用済み巨大ろうそく’ そういうものに一切執着しないかみさんが今まで捨てずに取っておいたのが不思議だったが ‘だってゴミ袋に入らなかったんだもん’・・・(-.-) ところでみなさん無事ですか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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