|
カテゴリ:カテゴリ未分類
松井秀喜が日米通算の500号HRを打った。 本当に良かった。 何が良かったといえば‘王手’‘お預け’という雑音から解放されることだ。 1カ月以上HRが打てなかったこともある選手をつかまえて、 毎試合、いや1打席ごとに‘お預け’‘またもやお預け’と繰り返す連中の神経を疑う。 そもそも‘お預け’という語感がよろしくない・・・(`´) 飼い主に餌を貰えない犬、女に焦らされている男の姿が先ず浮かぶ。 松井は個人の記録のために野球はしない。 日米通算の数字にも関心が無い。 ぶっちゃけ本人にとってもどうでもいい記録なのだ。 HRは打者にとって最強だ。 チームスポーツの中にあって独力で必ず1得点できる唯一の方法だからだ。 バッティングのスタッツの上でもオールマイティだ。 そういう意味では私も松井がHRを打つのは素直に嬉しい。 但し、例えば10点差でリードしている試合の終盤で打つ1本のHRより、 今日の4打席目のように所謂close & lateで勝利に直接貢献するRBIシングルの方が好きだ。 もっと極端な例を挙げれば同点で迎えた9回裏、2死満塁、松井が‘得意技’と嘯く 打撃妨害でサヨナラ勝ちを決める方がいい。 松井にとって最大の目標と関心はチームの勝利。 HRはそれを呼び込むために極めて有効なウェポンであることは間違いないが、 HRを打つことを自己目的化はしない。 別にファンだからといって松井の考え方に迎合する必要はないが、 私の場合こういう松井の価値観、或いはいつも言う野球観に心酔している。 数字という単純化は多くの人に理解されやすい。 但し、逆に言えばそれによって見えなくなるものもある。 常に‘至近距離’から松井を凝視しているという自負があるなりぽんとしては、 通算500号HRという記録で騒いでいる連中の気がしれない。 さすがにそこまで言うと同じ松井ファンやこのブログの愛読者からも、 それは私の驕りだとか独善だとか狭量だとそしりを免れず顰蹙も買いそうだ。 それでもそれを覚悟の上でこの通算500号HRという‘この良き日’に敢えて、 こういう表現をしたいのだ。 思い起こせば私がその昔結婚式で何度かやったスピーチは所謂忌み言葉満載だったから、 この種の逆行性はそもそもなりぽんの‘仕様’と言えるかも・・・。 でも陳腐な言い回しのオン・パレードの中にあっては異彩を放ち、好評だったと勝手に思っている。 ここまで頑なになってしまったのはここ数年のイチローの200安打カウントダウン狂騒の影響もある。 安直で浅薄皮相で類型的なメディアに辟易としているのだ。 松井大好き、イチロー嫌いの私だが、このマスコミの報道の仕方という論点で言えば 対象物に関係なく批判的だ。 まあ、イチローの場合は個人記録への執着も露骨だし、低レヴェルなメディアとの ‘共存共栄’を狙っているあざとさが鼻につくが・・・。 ところで松井秀喜の放ったHRの中で最も心に残る1本を挙げろと言われたら、 私は迷うことなく選ぶことができる。 勿論、500本の中に入ってない‘あの1本’だ。 ここまでが6月末に書いておいた予定稿でCドライブの奥深く埋もれていた・・・(>_<) 気がしれないという割には今日実際にMLB,tvで観ていた時はちゃんと人並に‘よっしゃ~’と叫んだ。 個人的にはここまで勿体つけたらヤンキースタジアムで打つのを見たかった。 試合展開にもよるだろうが元のチームメイトとかファンがどういう反応をするのか興味津々。 そういえばジーターが先日3000本安打のマイルストーンをHRで飾り、その試合では5-5。 しかも1点差の試合で決勝打を放つ完璧な内容だった。 そのジーターが試合終了直後のYESのインタヴューで口にしたのは ‘最も重要なことは試合に勝てたこと’だった。 やっぱりこういう野球観を強く持っている選手は魅力がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|