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ヤンキースの松井秀喜の花道は2009年のワールドチャンピオンの優勝パレードで終わりだと 思っていたが、あの1マイル足らずの道には続きがあった。 ‘9.12’‘4.13’そして‘7.28’何れもヤンキースタジアムに戻ってきたマツイを 球場全体がスタンディング・オベーションで迎えてくれた。 この間、時が流れ自ずとヤンキースと松井の距離は遠くなっている。 ‘去る者日日に疎し’と言うが、何のことはない、両者の間には変わらぬ信頼とリスペクトが 漲っている。 野球選手のファンとしてはゲームの中でその男が勝利につながる活躍を見せる瞬間が 最も興奮する。 それはスタジアムで立ち上がって絶叫し拍手をする連中と同じだ。 ところが今日のようなシーンは全く別物。 松井を理解して、評価して、称賛を惜しまない現地の人々を目にすると、 私は単に胸を打たれるだけでなく深く頭を垂れたくなる。 その感謝の気持ちは全米のスポーツ・フランチャイズの中で最もヴァリューがあるとされる ヤンキースに対してもある。 松井は可能ならばMLBでは‘終生’NYYでプレイしたかったに違いない。 WSMVPのインタヴューでは彼らしくなく、全米に、否,全世界に晒す形で、 チームや街への思いの丈をぶちまけたが、その願いは叶わなかった。 そこから先はまさに‘人間万事塞翁が馬’を信奉する松井家らしい野球人生を歩んだが、 結局こうして一家は今日のような‘厚遇’を受けることになったのだ。 塞翁が馬じゃなくて最後はウマ~・・・(>_<) 松井はNYYの指揮官、チームメイト、ファンから一定の評価を受けていて、 彼を悪く言う人は殆どいないと思う。 ただそれは男が女に‘いい人’と言われたら恋愛対象としては物足りない存在でしかないのと 似ている。 松井が単なる‘いい人’で終わらなかったのはやはり何といっても 2009年のワールドシリーズでの大爆発があったからだ。 あれで自ら光を放つA True Yankeeとしてスターの座を確保した。 その光の下で見ると、愚直な松井のプレイスタイルや野球観が 改めていぶし銀の味わいを醸し出してくるのだ。 2009年以来、NYYはワールド・チャンピオンになっていない。 松井にそんな気は更々無いだろうが、もしそれが‘The curse of Godzilla’だとしたら、 今回のイヴェントは呪縛解除のための儀式になるかもしれない。 まあ、この件に関しては完全に狭量丸出しの‘なりぽんの呪い’は続くけどね・・・(^.^) あの年がNYYにとって21世紀最初で最後のリング獲得となるのが理想とまでは言わないが、 私の目の黒い内(どうせそんなに長くはない)はできるだけご遠慮願いたい。 少なくとも私の嫌いな某S選手が在籍中は絶対勘弁だ。 そういう展開になれば2009年の松井がより伝説化、神格化されるに違いないと 信じる愚か者がここにいる。 とは言え、今日この佳き日ぐらいは野暮は無しだ。 今季2度目の復帰をよりによって今日果たした品格とユーモアに満ちたジーター、 年齢を感じさせないつぶらな瞳で松井を凝視していたリヴェラ, チラッとしか見えなかったが何気に好きな現役ペティット、 すっかり中心選手の風格を漂わせながらもラテンのノリを忘れないカノー、 松井のデビュー年の同僚で出戻りヤンキーのソリアーノ。 やはり松井と一緒に戦った面々を見ると懐かしい。 久々のフル・ハウスでチームも‘old‐timer’の活躍でめでたくサヨナラ勝ち。 マスコミがこれも‘ゴジラ効果’と纏めたくなる展開になった。 名実ともに引退を果たした松井だが私は既にMLBというか野球観戦から すっかり‘足を洗って’いて、今年liveで試合を最初から最後まで観たのは今日が初めてだった。 他では松井がオールスター・ゲームのゲスト解説をやったと知り慌てて翌日の再放送を観た。 かつては脆弱な心臓を賭しても全試合live観戦が信条だったのに、 自分でも呆れるほどの野球離れだ。 逆に言えば松井秀喜とその所属チームの存在にどれだけ依存していたのかがわかる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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