最近ブログに遊び来てくださった方の日記を読んで私もいじめについて思いを書きます。
私も小学生の頃から、ふとしたきっかけで、いじめられていました。
今思えば中学・高校時代も同じような内容でいじめられていたのかも(笑)
自然に誰とでも話が出来て男の子達とも対等に付き合えるのが周りの女の子達には
気に入らなかったのです。
単なる嫉妬心からがほとんどの原因だったようです。
自殺をする子供達のほとんどが真面目で責任感が強い子であったり
人気のある子であったのと同じ状況下だったのかなと思います。
もともと子供の頃から女の子の集団が嫌いだったせいか、
いじめられていることに気がついていませんでした(笑)
超ニブですねぇ~。。。(^_^;)
気がついても1人でいるほうが清々としていたのでクラスの女の子全員から
シカトをされようが、かえって静かで良かったです。
だからと言ってクラスの男の子達と特別仲良くするという事もしませんでした。
しかし面と向かって、いじめを仕掛けてくる女の子には容赦なく言い返し
泣かしてしまいました。
いじめられ文句を言われる筋合いがない人に遠慮は必要ないからです。
相手がブスなら一言「あんたブスじゃん。」ですむんです。
それで泣こうが相手から仕掛けてきたんだから、やり返しても何も悪くないんです。
中学時代はいじめられっ子をサポートする係に付けられてしまいました。
悪く言えば、いじめっ子をいじめるという役なんです。
本当はいじめをやめさせるというのが基本なのですが、そんな生ぬるいことでは
いじめはやめさせられないんです。
今にして思えば生徒のことは生徒同士で解決させるみたいな無責任な考えが
学校の中にあり、よく言えば先生のいるところではいじめはしないので、
先生の目の届かないところをサポートさせられていたのかもしれません。
結構、気力・体力・知力が必要なんです。
もう一つ、撃たれ強さと折れない気持ちです。
撃たれ強さは子供の頃から父に虐待まがいの暴力を受けていたので
人一倍強かったのかもしれません。(^_^;)
子供のころ夫婦げんかを止めようと母をかばったら割れた雨樋のプラスチックのパイプで
額を縦に切られ病院に運ばれたこともあります。
病院の先生が凄く父を叱り今度こんなことがあったら警察に通報をするということまで
言われたそうです。
額を縦に切られ縫ってしまうと傷跡が残るからと縫わずに自然に治るように
上手に処置をしてくれ完全に消えていませんが、ほとんど目立たない状態にはなりました。
クラス替えの時にはいじめも収まり、ある日突然サポートしていた子の
母親から家に電話があり
「娘がお世話になっています。あの子が毎日学校に行って楽しいと笑って話すんです。
ありがとうございました。」と泣きながら電話してきたそうです。
私はセミナーに行ってたので帰宅後、母から聞かされました。
相手が名乗らなかったのですが、電話の内容からすぐに相手は分かりました。
電話の内容は、いじめられていた子には話していません。
その子の母親の精一杯の気持ちだったからだと思ったので。
結果サポートし続けて、つけられたあだ名は裏番とか鬼婆でした。
子供って本当に残酷なのもので、いじめられっ子を助けても自分達に
合わなかったりすると言いたい事を平気で言ってくれるんですよ。
でも先生はそんな事は知らないのでサポートはしてくれません。
かえって不良だった子達にも怖がられ静かな中学生活を送ることが出来ました。
その後、また先生から全学年の学習委員長か学級委員をしなさいと
強制され断ったら内申点を良くしてくれないと脅されました(笑)
少人数をまとめられないのに全学年の委員達をまとめるのは不可能という理由を付け
内申点を良くするというやりとりで学級委員になりました。
今思えばとんでもない事だと思いますが、楽しい思い出でもあります。
でも学級委員になって結局のところ、いじめ対策や授業妨害を防ぐのが
日常の役目になっていたので、上手く先生に乗せられてしまったようです。
高校入学直後には一緒に入学した中学時代の女の子に
突然ありもしない噂を立てられ1学期間クラスの女の子全員にシカトされました。
その子のいじめをしようとしたきっかけは中学時代の好きな男の子と私が
仲が良かったことにあるようです。
まったくもって相も変わらず、くだらない理由です。
しかしながら、シカトにも気づかず隣のクラスの女の子から忠告されましたが、
相手にするだけバカらしかったのでほおっておいたら2学期には
いじめの中心にいた女の子達が話しかけてくるようになりました。
噂が立っても毅然としていたせいか、噂の内容がウソだと気がついたようです。
しかし、こんな調子の良い人達と付き合うのも面倒くさいので一切話はしませんでした。
その後、このいじめの一件が外部に漏れ他のクラスにも知れ渡り因果応報か、
今度はその女の子がいじめられたそうです。
今でも相手は当時の負い目があるのか偶然ばったり街中で
あったりするとへこへこしながら話しかけてきますが、私はガンとして無視します。
そうすることで相手に対していじめたことを忘れさせないためです。
当時の担任もいじめに気がついていたのに兄が同じ高校で問題児だったこともあって
「あいつの妹だから、何をしでかすか分かったもんじゃない。」と言われ
入学早々、髪のリボンの色に難癖を付けられたりと担任からもいじめられました。
だからと言って黙っているような性格ではなかったのでクラス全員のいる目の前で
「先生。生徒手帳では、このリボンの色は許可されているはずですが、
生徒手帳が間違っているんでしょうか?調べてもらえませんか?」と反撃しました。
実際、校則を破るようなことはしていなかったので言えた事なんですが、
兄がいくら学校の問題児でも兄妹だからと言って一緒に思われる筋合いはありません。
例え担任だろうが、校長だろうが筋の通らないことを言うのは教師として人として
最低な行為だと思います。
他にも隣の席の子が漢字を教えてとテストの最中に声をかけられ横を向いたら
いきなりカンニングしたと言われテスト用紙を破り捨てられたり、
クラスのいじめっ子を注意してもらおうと先生に訴えたら
「あの子の家庭は複雑だから、そんなことはしないはず。
本当は優しい子なんだから仲良くしなさい。」
と言いながら行動評価に協調性がないと最低評価Cの×をつけられました。
昔も今も学校の中は閉鎖的で子供たちのいじめばかりではなく
教師によるいじめは往々にしてあるんです。
もし、今いじめに遭っているのなら少しの勇気でいいんです。
いじめてくる相手にはっきり嫌だということを言いましょう。
死ぬという最終手段を安易に考えずに出来る限りの抵抗を一生懸命してください。
生きて頑張っている姿をいじめてた相手に見せつけてあげなさい。
もし一生懸命抵抗してもダメなら両親や近所の友達に話して対抗策を考えましょう。
高校時代、他の高校に入学した友達がいじめられ腕に根性焼きをされたり
髪を切られたりしているのに気がつき同じ高校に通っている近所の友達に話して、
いじめをしている子達を戒めるように頼んで、いじめをやめさせたこともあります。
それまで、その女の子は腕の根性焼きの傷跡を見られるのが嫌で長袖を着て
切られてしまった髪をカモフラージュするためカツラをつけていました。
いじめをやめさせる方法は色々あるんです。
とにかく安易に最終手段に走らないでください。
知っていますか?
友達にいじめられるよりも、もっと辛いことがあるってこと。
それは家族に精神的に追いつめられ虐待されることです。
私はそういう状況下の中で育ちました。
追いつめられたとき耐えられなくなったときは家を出て育ての親の元に逃げました。
実際、小学3年生の頃、自律神経失調症にかかり県立こども病院に5年間も通いました。
当時、いじめのことも重なり真剣に自殺も考え
早朝近くの線路に飛び込もうとしたこともあります。
学校でのいじめはなんとか一部の友達の理解を得て解決しましたが、
両親はその事を全然理解しておらず、先生が良かったからと言い切っています。
なぜなら、その先生は父の恩師だったからです。
また兄には両親のいないところで殴られ続けました。
何度も両親に訴えましたが、お前が悪いからと言われました。
ある日、登校途中に兄とケンカになりブロック塀に頭を押し付けられ
耳が内出血を起こしたことがありました。
さすがにこれには両親も驚いたのか、この時は兄を叱りました。
私に対して暴力を振るう兄もまた小さなころから父に瀕死の状態になるまで
暴力を振るわれてきたのでストレスが溜まると私を殴ることによって
ストレス発散をするようになったのです。
社会人になってからは母のストレス発散の対象になり割れたガラスを手首に刺して
ベットの上を血だらけにしたこともあります。
かなりの出血量でしたが生きていました。
ベットのシーツについた大量の血に母は驚いた様子で、しばらくは話もしない
膠着状態が続きました。
それが私に出来る当時の精一杯の抵抗だったんです。
いまでも、うっすら手首に傷跡が残っています。
当時の勤め先の課長が私の異常に気がつき仕事が終わった後、
会社のみんなが帰ってから、いろんな話しをしながら相談にのってくれました。
もし大変だったら私が両親に話してあげるから逃げてきなさいと言ってくれ、
それだけで私はとても救われました。
課長は高校卒業したての私のことをお嬢ちゃんと呼び
「お嬢ちゃん。人間が苦しまないで死ぬにはどうしたらいいか知っているか?
まず睡眠薬を飲んで死ぬって方法があるやろ。
でもなぁ~。ただ睡眠薬を飲んだだけじゃ死ねないんやで。
飲む量にコツがあってな。
確実に死ぬにはどんぶり一杯以上も薬を飲まなぁいけないんやで。
でも、それって死ぬより大変やろ。」と言うんです。
つまり生きるのも大変だけれど死ぬのもそれなりの覚悟が必要で大変なんだと
言っていたんです。
その後、延々と自殺の仕方や自殺をした後の死体の状態を聞かされていたら
逆に自殺って嫌だと思うようになっていたんです。
逆療法っていうものなんでしょうね。
課長は、その後工場閉鎖につきヘッドハンティングされた会社に移りましたが、
1年半後、病気で急死されました。
突然の急死の連絡で、お葬式に間に合わず、なんとかお葬式後
家族が住んでいらしたアパートに行きお線香をあげてきました。
亡くなってしまった課長のお墓参りに行きたいと思うのですが、実家が滋賀県で
その後、家族の方が何処に引っ越してしまったのかわからないのでとても残念です。
その後、母は少しずつ気がついてきたのか以前のようにストレスが溜まっても
私にあたることはなくなりました。
もし、次に同じようなことをしたら今度こそ死んでしまうんではないかと
気がついたからだと思います。
今までも今現在もいろんなことで悩みや苦労もいっぱいあるけれど、
支えてくれる人達がいるというだけで死ぬことはできないし、
またしてはいけないんです。
死ぬんでしまったら、悲しんでくれる人はたくさんいると思うけれど、
その悩みのことに負けて死ぬということは支えてくれている人達を
裏切るという行為になるからです。
死ぬという行為をする以前にもっと方法はいろいろあるんです。
死ぬという最終手段を選ぶ前に少しでもいいからまわりを見てください。