|
テーマ:たわごと(26888)
カテゴリ:私事
造成時に切り倒してしまうのはもったいないからって事で、裏山から現在の場所に移植したんですが、業者さんの話では上手く根付く可能性は五分五分位とのことでした。 余分な栄養がいかない様にか?枝先は全部切り落として移植したんですが、数ヵ月後に新芽を出しだした南側の木に比べ、ちょっと大きな北側の木は一向に芽が生える兆しさえありませんでした。 見守る事数ヶ月。 春になり、かなり枝葉も増え、立派に復活した南の木。 対する北の木は残念ながら無理だったみたいで………。 夏になり、樹皮が剥げ落ちてきだした北の木。どうやら樹としての生命は終わってしまった、寿命ならぬ樹命が尽きてしまったみたいです………。 植えたまま自然乾燥させ、充分乾いただろう昨日の早朝、いよいよ切り倒される、別れの時がやって来ました。 芽は出なかったとはいえ、永い事目にし続けた、共に過ごした樹との別れはちょっとセンチな気分になったりもして。 店のご神木として、両サイドから大きな門の様にお客様をお迎えするって、当初の計画は夢と消えましたが、今度は立派なテーブルや椅子、ベンチに姿を変えて近々帰って来てくれる予定です(笑)。 『さらば楠木、また会う日まで。立派になっ帰って来いよ~!』 最近は偶然か必然か?よく「命を粗末にあつかってはいけない」みたいな感じの話を見聞きします。 「昔の人間は生き物の命を頂くことを意識して、内臓や骨皮まで決して無駄にはしなかった」とか、無駄な伐採で土砂崩れがおきた、なんて話は昔からよく聞きますし、「化学調味料、付加物いっぱいのファーストフードで育った子供は人を殺傷する傾向にある」なんて話もホントかいな!?とか思いつつ、なんだか気になります。 いいかげん自然界からの天罰が日本にも下りそうな気がする今日この頃。 枯らしてしまった樹に新たな命を与えて再生させる、勝手な話かも知れませんが、これも自然を大切にする気持ちのあらわれと思ってもらえたらありがたいのですが。 年輪を数えると38本、でいいのかな?ともかく私より少しだけ若くして逝った楠木。立派な家具になって帰ってきたら、それより永い年月、共に過ごして生きたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|