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テーマ:介護・看護・喪失(5321)
カテゴリ:ALS関連
父が逝ってしまう前日。 19日水曜日の夕方。 パソコンの呼び出し音でナースコールを鳴らせるように パソコンを自宅から持ってきてほしい。 と父は話していました。 私が重度訪問介護のヘルパー資格を取ろうと考えてる事を 小耳に挟んでたようで、 「なつあんはヘルパーの講習受けるのか?」と聞いてました。 「講習受けて、退院したら夜間ヘルパーとして入ったげるから!」 と答えると、「お母さんが限界やから頼むわ」と返事が返ってきました。 「カーテン閉めて」と言われ、 「レースだけ?分厚いのも閉める?」と聞くと笑ってました。 帰り際には「ありがとう。きをつけて。また来てや」と言ってました。 19日深夜、主人は飲み会で、1時頃駅まで迎えにいきました。 その道中、月が本当に綺麗でした。 私が住む所は山に囲まれてて、田舎な為、夜は真っ暗です。 月灯で、真っ暗な世界が明るく見渡せるほど、綺麗な月でした。 父の部屋のカーテンを閉めて帰ってきたことを後悔しました。 今から病院行ってカーテン開けてあげたら、月が見えるかな。と考えていました。 次の日パソコンを持って行くなら。 夜の間エンドレスでDVDをつけておけば、寂しくないだろうと思い 闘病中、沢山記録していた父との散歩や旅行のビデオを 夜中に何時間もかけてDVDにダビングしました。 ダビングが終わって、1時間ほどウトウトした時に 母から電話があり・・・。病院へ向かったのです。 私はビデオをダビングしながら、まだかろうじて会話が出来た頃の父や 歩けている父の姿を見ながら 明日病院へ行ったら、 「もっともっと生きてほしい」と伝えようと 思いました。 「頑張って退院しよう」「死んでもらったら困る」と伝えようと。 呼吸器云々の話しではなく、 ただただ、「生きていてほしい」 それだけ伝えたかった。 それを伝える事は無責任に思えて、ずっと口に出せずに居たから。 私にそう言われる事が分かってたからこそ、 そう言い出される前に逝ってしまったのかな。 父はこの日19日、母に「もう終わりにしたい」と伝えたそうです。 闘病中弱音を吐かなかった人です。 ずっと病気とも制度とも世間とも闘ってた人です。 お父さん、自分から終わりにしちゃったの? 心穏かだったの? と聞きたいです。 写真は去年、胃ロウ増設手術の前に、孫たちと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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