私が幸せでありますように 私の苦しみがなくなりますように 私の願うことがかなえられますように 私に悟りの光があらわれますように 私の親しい人々が幸せでありますように 私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように 私の親しい人々の願うことがかなえられますように 私の親しい人々に悟りの光があらわれますように 生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように 生きとし生けるものの願うことがかなえられますように 生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように 私がきらいな人々も幸せでありますように 私がきらいな人々の悩み苦しみがなくなりますように 私のきらいな人々も願うことがかなえられますように 私がきらいな人々にも悟りの光があらわれますように 私をきらっている人々も幸せでありますように 私をきらっている人々の悩み苦しみがなくなりますように 私をきらっている人々も願うことがかなえられますように 私をきらっている人々にも悟りの光があらわれますように すべての衆生が幸せでありますように すべての衆生が幸せでありますように すべての衆生が幸せでありますように バナーを、T.raphaelのruna様より頂きました
テーマ:★つ・ぶ・や・き★
カテゴリ:カテゴリ未分類
5月10日で49歳になりました。
地震後の2ヶ月で大きな気づきを頂きました。 それは、苦しみの果てに頂いた境地でもありました。 僕がセミナーに出かけ様々なテクニックなどを学んでも、やはりなかなか症状が改善されない患者さまもおられます。どんなテクニックも100%はない。 患者さんの症状が改善しないとき、僕の心は「自分は責められるのではないか」「治せないのは自分が未熟だからではないか」などなど、心穏やかではいられないのです。治療家であれば誰でも、多少はそんな気持ちを感じるのではないでしょうか? その自分の恐怖から逃れたいから、さらなるテクニックを求めてセミナーへ出かけて行く。しかし、いつまで経ってもこれでよしとはならないのです。 たくさんの患者さまを自分のオリジナルテクニックで診られ、セミナーなどにはあまり行かれていなくても結果を出されたくさんの来院がある先生がおられますが、そんな先生たちに対して「そんな先生でももちろんなかなか改善しない方もおられるだろうに、セミナーなどに出かけないで不安はないのだろか?」と不思議に思っておりました。 そんな話をすると、「それは自分が治すというおごりがあるからで、治すのは患者さん自身で患者さんが自分の体に悪いことをしているからそれを改めないと結局治らないし、先生の所為ではないから」などと言われるが、頭で知っていても、どうもしっくり来ないし、やはり患者さんが改善しないと「自分が不安になる」ということの繰り返しでした。 そんな不安は、口に出さなくても必ず表情や言葉のトーン、オーラなどから発せられ、患者さんの伝わるものだ。 それが、患者さんの「治らないのでは」という不安を呼び起こし、さらに治りを遅らせているかもしれない。などと考えだすと、しまいには「自分は治療家に向いていないのではないか」とかなりのネガティブモードに突入。 たぶんそれは誰も気づいていないと思いますが。 そこへもってきて、今回の震災に原発事故と世の中が暗くなることが続き、自営業である自分は先行きの不安でネガティブ全開へと入って行きました。 原発事故の放射能の問題も情報が入り乱れ、どれが本当なのか、なにを信じていいのかなど疑心暗鬼や怒り、不安が心を占めていきました。 そんななかいくつかの出来事が自分に続き、はっと気づいたのが、「この自分の内側にある、不安、怒り、疑心暗鬼などの心が問題」と気づいたのです。というか気づかせて頂けたという感じです。 治療も同じで、自分が心身共ベストパフォーマンスで、不安・怒り・疑い、、などのネガティヴなものを遠ざけ、こころ穏やかに、大いなる存在とともにあるという感覚で、触れたなら、患者さまの内なるものに共振し、自然に自動的に治癒力が発動する。 自分がベストパフォーマンスでベストを尽くせば「すぐではなくても、必ずよくなる」ということを確信できたのです。 つまり、まず初めに見るべきは、患者さまの症状でなく、自分の内側であったり体調であるということです。 その上で、患者さまがよくなることを信じることであり、最後に症状を取るための技術なんではないか思えてきました。 今までは、順序が逆で、幹を見ずに枝ばかりだったと思います。 この震災や原発問題のなどの国難に対する真の解決も同じではないかと思うのです。様々な情報を知ることは大切ですが、その結果、自分に不安、怒り、猜疑心、諦めなどが心を占めると、世の中が益々悪くなって行く様に思えるのです。まず、見るべきは己の心に巣くう内なる地獄。 心にあるものが、具現するのです。 この世界は、天が作った天工物と、人間が作った人工物しかありません。 人間には創造主と同じ力が与えられています。 しかし、初めに心にあるものしか生まれてこないと思うのです。 そんな気づきを頂いて、ついに覚醒したと喜んでおりましたら、神様が最後に、すぐに忘れる僕のために御しるし与えてくださいました。 誕生日の前日、朝シャワーを浴びているときに、突然血痰が出たのです。 その日は夕方くらいまで、血痰が続きました。 もしや、肺がん?わし死ぬんか?など不安がどんどん出てきました。 しかし、不思議なもので患者さんを診ているときは、全く不安もなく、そのこと自体も忘れているのですが、自宅に帰り家族を見ていると不安が出てきます。毎日当たり前の生活でつい感謝を忘れがちですが、もしこれでガンであと数年とかあと数ヶ月なんて宣告されたらと想像すると、やはり後悔が出てきます。 10日の誕生日の昼から近所の病院でCT検査を受けてきました。 で、今日結果を聞きに行ってきました。 その結果、原因は見当たらないということでした。 喀痰検査の結果はまだですが、えらいこっちゃということはないようです。 ほっとしました。 しかし、そんな状況でも大切なことは、心を穏やかに保ち、神様と繋がる感覚を保てれば、きっと不安もなく、意味あることと感じられるようになると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/05/11 10:23:40 PM
コメント(0) | コメントを書く 【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
エラーにより、アクションを達成できませんでした。下記より再度ログインの上、改めてミッションに参加してください。
x
|
|