精神病者の”為って”一体何なんだ? 更新!
うつ病者の為に出来る事って?ここのHP精神病者の”為の”って題だけど私自身がその様な事を書く「資格」が有るのか?その様なページに成っているか?今日はそれを書きます。アクセスが増え、他の人のHPを見てコメントもして。クレームも頂いて。話は違いますが、昨日の私の睡眠サイクルを少し。2時少し前くらいに寝て起きたのは親友からの電話で正午前。その親友は分裂ですが、「入院を決めた」と言ってから、矢張り止めた、と。最近、悩んでいるんですよね、その親友。で、「茶でも行こうか?」と言う事に。この親友の事については後に書きます。幾度か出てきてますけど。「うつ病」のテーマで、”解決策”の様な事を書いてる人が居ました。これから出掛けるので後で読もうと思っています。本当にそんな物が有るのか?って、少し疑い気味。実体験は、「解決策など無い」と悩んでしまうような事多々。敢えて、「禁句」とされる事まで言って見たり、模索中。では、後ほど。親友と待ち合わせの喫茶店に。暫くすると「めまい」。頭が妙に重くて下げると上げれない。もう暫くすると「吐き気」が。5回ほどトイレに行って吐いたかな。朝食食べてないので出てくるのは「コーヒーと胃酸」。ちゃんとした話には成らず、しかし用事は済ませた、解散。銀行と用事で、単車は使わず街の中を歩いた。吐いて仕舞えば楽で有る。少しめまいが残っていたから用心の為に単車は使わず。用事が終わって帰る途中割引券を貰った。「カラオケ」。最近パソコンばかりで閉じ篭って行ってなかったなぁ。少し、ストレス発散。と、一時間一人で歌った。はー、気分も落ち着いた。胃も悪いんですよ私。これは一寸徹夜とか節制してない生活の所為だ、ともう当分は徹夜はしないと固く決めました。で、肝心の「欝」の話。「解決策」と言う日記は、テーマ欄から消えていて読めず。先ず最初に、書く事として、うつ病の人へのコメントなどで「迂闊な」発言をしてご迷惑を掛けましたと、謝罪。病歴長いのですが、入院施設の有る病院に長く掛かっていて、統合失調の患者の知り合いは昔から多かったが、うつ病の患者は余り知らなかった。これは病院の方針と言うか、「警察から回されてくる」患者などの受け入れ病院だった為です。同じ「分裂」の患者でも私も警察から入院していても傷害事件を起こした15年からの親友が居ても「違う」種類の患者だと、思うのは「差別」でしょうか?「禁句」でしょうか?関係からも「お前はスッポンポンにされて酷い目に会った可愛そうな」と言ったりしますが。この前の、「一部の患者の為に」と言うのは「差別」ではなく「区別」だと思うのです。で、何が言いたいかと言うと、私はうつ病の人と分裂の人の「区別」が着け切れてない。差別ではなく「区別」は必要だ。と言うような事です。「為に」、成るか?一つは「差別」は撤廃。「区別」する。と書いて、分裂と欝の似ている所を。「或る状態」にはまって仕舞う。こうだ、と思ったらこう、なのです。”その時”にはそれで全てなのです。「死にたい」、、、死んじゃあ駄目よ、ってうっとおしい。解って欲しくない。って、「その時」そんな心境に成っている、だけなのです。とこれが何の役に立つのか?解りません。唯、似てるって。私が拒薬で病状悪化酷かった時は、他人との付き合いは0でした。親友が来ても相手にしない。恋人だった人は別でしたが。しかし、寝てばかり。こちらからはアクセスしない。親友が幾ら「家賃は払えよ」と言ってくれても聞く耳持たず。寺社や神社、川、公園の掃除。今読み返すと意味不明。日本語に成ってない。って、未だ、昨日の日記とか誤字有るし文章可笑しいし、書き直さなきゃ、とは思ってるけど。もう一人異常な我が道と言えるか?な所を進んでました。で、最近、2年ほど前から知り合った欝の患者さん。一人は恋人に近い関係に。「スーイサイドの事について”書いてる”時は良いけど実行の事を書いたら危ないのよ」。って自分でも解っていて、リスカ、、。ついには、電車に飛び込み前歯を欠けさした。癲癇も持っていて、発作が起こった時にお湯を扱っていて、それを浴びてしまい、足はケロイドの酷い跡。30くらいの「可愛い」女の子なのに、体中傷だらけで。或る分裂の患者さんは言ってる事に脈略が無く意味不明の事を良く独り言とも着かず言う。その患者さんの言う事に「惑わされて」、悩んで落ち込む。あの人の言う事は意味が無いんだから無視したら良いよ。けど次の日も悩んで落ち込む。何で「あんな患者」ここの病棟に入れてるんや?!って、その患者さんとは昔仲が良かったりしたのに。自分の「汚い心」を見て、私も悩む。当然の様に、悩んで落ち込んでる彼女の事でも悩む。幾ら、明日のデートの話で楽しもうとしても彼女は違う事で落ち込んで悩んでいる時。そんな事で別れたのではない。私が振られたのだ。別れた後も見ていて、悩んだ。前歯欠けさしたと言う事は接触したのだ、電車と。次を書こうとして、欝の人の苦しみとか、困ってる事を解ってなど居ないな、って自分を見た。矢張り「助けたい」、って何処かに。けど、この話。その電車に飛び込む前に彼女は病院に電話したのだった。看護婦が言った。「助けて欲しいから電話してきたんでしょ」。この言葉が、彼女を飛び込み実行させるきっかけの言葉と成った。ふー。16の施設に入れられている娘の話。リスカ、自傷、うつ病。「もう私こんな事して居ちゃあ駄目なんだ」。って、ああ、病気と闘ってるんだな。って、「解ってない」私はこれから彼女は良く成ると思った。それから後が酷いリスカの嵐!しかし私には「話聞いて」と相談に来る。ある時、「こんな私なんてどう成ってもいいねん!」と、話を終えた彼女。部屋に帰る途中、「いいか?今のその気持ちは”病気”の気持ちやで。本当の自分の気持ちは違うやろ?」に、うなずいた彼女。うなずくだけだった。その娘に聞くと「かみそり持っているだけで安心する」。って。自分がその状態に「浸ってる時」。浸り切っていて、それは自分として何も問題は無いと思ってる時。分裂の患者は「妄想」に走る、そして「欝の患者」は自傷行為に走る。酔いしれていたりする。病気だから、としか言えない。私は、ユングの心理学に傾倒している。と言っても少し知っている程度のレベルで、使えたり、何が出来るかまでさえ知らない。これからもっと、心理学が発達して、治療法、対応法が解れば良いのに。役に立たない知識、として、MOILAさんの日記に寝る事。薬を飲む事。規則正しい生活をする事。医者との約束は守る事。と書いてました。私のこの日記より役に立ちそうな気がします。最後に。うん、信じちゃ居ないよ僕も貴方の事を。リスカする人って、しないって言って隠れてカミソリ買いに行くものね。昏睡状態から覚めた時、保護室でもう一人の自分を見つけた時、自分の事も信じられないと知ったよ。貴方の事も自分の事も信じちゃ居ないさ。って、自分が自殺した時の事を思い出して書いたのです。実は、私にも左ほほに傷跡、両手両足の一部の肉の欠け、が有ります。OD(大量服薬)で2,3日昏睡状態だった時に起こった体の変化です。不思議な現象だったとしか言えません。醜いと言うか、人間じゃあない様にさえ見えます。私の両手両足。幸いな事に、半そで半ズボンでも殆ど解らないですが。生きていく事、「死ぬより」辛い思いをして生きている、自傷行為する、死にたいと思いながら生きる。どうすれば良いのか、もっと「勉強」しなくちゃあ、と。一つ、「味方」が居る事。これは「そんなん要らん」って言っていても、後からでも「良かった」と、思える事じゃあ無いかな?って。「みんな敵やあ!」。って思ったり言ったりしてもね。これは「分裂」の私の経験などの意見で、「欝の人」からしたら、「違う!」かも知れませんが。私は「精神病者の”為に”」なんて、書けるんでしょうかねぇ?結局、題、変えた方が良い気がした今日でした。