能力の低下
統合失調に限らず欝の場合も少し有るようですが、この病気に掛かると、能力の低下を経験します。昔、入院してそれ程経たない頃、或る看護士に「あの人もな、昔は早稲田出た人なんやで」と言われました。20年近くの入院で将棋は強いと言う事は言えましたが「人格の崩壊」と呼べそうな物が有りました。暗に、この病気に成ったら、「人生終わり」と言いたかったようです。後にその人が看護長に成った病棟で再び会った時、「貴方は人格の崩壊とか見られずに来たな」と言われました。浮いた存在で、「頭が良い」と病院の中では見られ、パソコンのある図書館への立ち入りを特別に許可されてました。仕事が、プログラマーだからと言う事も有りました。長い入院生活の果てに半ば廃人の様に成る患者。16年ほどの間見てきました。私も「人格の崩壊は」と言われはしたけど、能力の低下をつくづく感じます。既に書いた様に、昔は対人関係を殆ど結ばない「オタク」とも言えそうな研究好きな人間でした。それも「物理」等の様な科学少年。それでも「山の楽しさ」とか知って、今の家に閉じ篭りと言う様な人とは少し違いましたが。しかし「単独行動」でした。何時の間にか、研究と言うか考える対象を人間へと変えました。対人関係を重視して喋る相手を増やしたり、相談を受ける事が増えました。しかし、それもたかが10年の間での事。それも年をとってから。少しばかり、相談を受ける事が増えたと言ってもそれで満足行く答えが出せてるとは言えない。ここらで少し、充電、元の研究肌な所に立ち返り大分落ちた、科学への能力知恵などを身に付けたいと考えています。パソコンにしても「それほど」突っ込んで出来ない自分を発見しています。上級シスアド、ですが入院している間に郵便物が来て願書に不備が有って、訂正を返送しなくちゃいけないのですが期限を過ぎて仕舞ってました。あああ。読書の能力も落ちてるでしょう。大事な人の名前とかをすっかり忘れてしまう状態では、登場人物が多ければ読めないでしょう。参考書もなかなか頭に入りません。薬の所為で少し呆けたりするのも手伝ってしようとする事が出来ません。論理的な思考、簡単な物なら未だ可能ですが複雑な物には着いて行けなくなって来てます。少しばかりは対人関係での感覚を身には付けれたとは思うのですが、それも中途半端です。ML運営、私には無理だったのでしょう。現実でも苦しみと共に下ろした荷物が有ります。詳細は個人のプライバシーに関わるので書けませんが。少し何か「天井」を感じています。病気、これが足を引っ張る何か。泣き言ですが、敢えて書くのは何とかしたいと言う気持ちが有るからです。二足のわらじ。少し、難しい。これからは少し絞って、そして方向修正して、「研究、勉強」に力を入れようと考えてます。と言う訳で、ここの「休憩所」はどんどん、グレーに成りますが。ユングの心理学もちゃんと勉強したい。昔の私の能力を取り戻したい。病気や、薬の副作用になんか負けていられない。遅くとも2年後には働きたい。様々な能力が落ちている現在では、難しいですが、努力して何とかしたい。それには、自分の能力を良く考えて、出来る事をと、しかし「出来ない」事でも何とかしたいのですが。能力が無いのに、無理しても得られる物は無いかもしれません。抑うつ的に成って、出来なく成ったり、睡眠過多で出来る時間が殆ど無い。つい、交友関係は遊びがメインに成る。遊びは必要でしょうが。途中の経過で、3年以上通院拒否して薬を飲まなかったツケ。あそこで、通院拒否していなかったら、これ程困る事は無かったでしょう。初期にちゃんと対応が出来ていればそれ程酷くならないのは、他の病気と同じ精神病。誰もが、人格崩壊、等へとは成りません。しかし、「危うい」病気です、精神病は。呆けるから、と薬を飲まないツケは酷かったりします。但し精神科医の中には、無茶な治療、多量投薬をする「医師?」も居ます。要注意ですが。自分が自分で無い時間、幻聴等で苦しみ自分を確保できない、或いは薬の副作用で、無駄な時間を過ごす。妄想に囚われ、本来の自分としての考え方、感じ方が出来ない。様々な障害が有りますが、何とかそれらと「折り合い」を付けて上手く生きていく事。新しい、精神病者としての世界にも希望が無いわけじゃあ有りません。現に、私は病気に成ってからNECでSEとして働いてました。苦しいけど、諦めない。これは大事だと思います。ガンバロ。