これから
一度、途中まで書いた詩が消えてしまいました。もう一度書こうとしたのですが、どうにも出来が良くない。詩は、出来るときに出来ると言うか。出来ないときにはちょっと出来ません、私には。今は、一度書いた詩の感慨が薄れてしまって、もう書けないのですが。さて、私は精神病者ですが。今考えるのは精神病者の社会への適応と言うか。仕事、恋、結婚、生活、、、、、社会的な活動。これに困難が伴うのは、病者すべて、障害者全てに言える事だと思います。入院と言う物が、社会からの隔離であることはどうにもこうにも厳然たる現実です。私のように有る程度の自由を持った入院を出来る人もある程度居る訳ですが、社会からの断絶をどうしても否めません、入院は。社会に適応しにくい様々なハンデを背負ってる。さて、私はこれから。何とか、だましだましでも、社会に上手く適応して行きたいと考えています。出来る出来ない、それはさて、どうであるにしても。私は嘘もつきます。人を悲しませもします。苦しませもします。唯、楽しくなど、それだけで生きていけるとなど思ってはいません。自分が苦しみもするし、悲しくも成ります。騙された事も有ります。ただ、私は出来るだけの事をした。それは「休む事」サボることだったりもしますが。社会的に、そこから離れる事、それはそれで、私はどうしても悲観的に成ったり、卑下したりすることではない、そこに何か重い価値観を持つことは私は有りません。世の中には、社会的な活動、そこに必要以上に重い価値観を持つ人が居るように私には思えます。社会的な評価と言うのですか。それはそれで何らかの意味のあるものだと認めつつも、私は少し何か偏りをそこに感じます。ただ、私は「これから」、何とか何かをして行く、そこには休む事も含めて。それが大事だと、今考えています。社会的な評価、それはそれで価値があり意味の有る物だとも想っています。けど、それは一番名ものでは有りません。私は自己中心的ですが、その自己中の中には、他人にまで何かを強要し、苦しめる事、、、、、、、人が生きていく上で、必要な事が有り、2者択1で、苦しめることがあるかもしれませんが、その様な事は殆ど無い、、、、「本当の愛」って、何?って、自己中な私は、それなりの、、、、「想い」、それを持って生きようとしてます。愛を語れるような人じゃない。けど、それなりの何か思いを抱いて。さて、世の中の人は障害者に対してどの様な想いを抱いてるでしょうか?私たち障害者は社会に対してどの様な想いを抱いてるでしょうか?障害者がこれから、社会に対してどの様に動いていけるでしょうか?これから、、、私は自分の仕事、恋、生活。それらと共に、社会へのこれからを想います。