親亡き後と言う原稿
原稿草案親亡き後と言う題で話をすると言う事で、私が想うのは「親として」どうすべきかと言う事と、子としてはと言う心境についてです、私は平成元年発病の当事者で、母子家庭で育って平成17年の震災で母を亡くしました。少しばかり特殊な例かもしれません。母親一人で育ててくれた、その環境。そして、震災での突然の死。先ず、母親一人で育てた子が、どういう想いを持っていたのかについてですが、それは思春期の頃の反抗期とも似た発病してからの状況での感情、、うーん、何と表現していいのか、「怒り」「憤り」「諦め」等、否定的な感情も抱いていました。何故、入院させられたのか、実は、28年たった今でも釈然としてない思いを抱いています。これは、本当は医療従事者に向けられるべき感情なのですが、親が立ち会っての強制入院を経験した者にとって、不条理な何か、何故、私がこの様な扱いを受けなければいけないのかそう言った「怒り」とも言える感情憤り、諦め、これらが親に対して向けられてしまうのは何故なのか?親として、どうすべきか?親として、我が子が精神病に罹患した、そこに至る状況様々に想いを巡らしたりもするでしょう。また、我が子が精神病と言う病に掛かったそれに対する感情。そこには精神病者に対する差別的な感情も含まれていたりするのではないでしょうか?否定的な事を少し述べましたが、親を亡くした現在、私の想いの中にはよく育ててくれたと言う感謝の念それが占めるものは大きいです。そこには、振り返ってみれば母親一人で働き育ててくれたその苦労。それに対する感謝の念を忘れられません。親が苦労していた姿、それは時が経つほど美化されているようにも思えます。それは、現実として、病を持って働きにくい成人、、、もう大人なのに、、、と言う自分の状況を顧みることが出来る病状と成った現在。そう言った子を育ててくれいてた親。今では、あの憎しみにも似た感情は何だったのか?そんな想いを抱いています。子にとっては親の死はやはり悲しみです。悲しみ、虚無感、それらを感じるのは精神病者でも同じ事だと思います。一方で私の場合、冷ややかな何かも感じました。それは「虚無感」の中ではっきりしなかったですが、強制入院と言う物、その扱われ方に対する憎悪にも似た念、それが冷ややかに母親の死を見つめさせたところが有りました。母との思い出の中に食事をしていた時だったと思いますが、いきなり何か瓶の様な物で私の頭を叩いた事が有ります。吐き気を催しのたうち回っている私を見ていた母は氷を用意していたようでした。後で聞くと叩いたら良いと言われたと言いました。誰かに言われたのでしょうね。そんな母にも死んだ今は、弱い人間の部分が有ったからと思えるのは多くの愛情を受けた過去が有るからです。そして様々な経験をして53歳になった私.昔次郎物語と言う下村胡人が書いた本を読みふけっていた時期が有りました。どんなに嫌いな相手でもコツコツコツコツのみをふるえば何かを変えられるというくだり。正直、私は初めて医療保護入院させられた主治医には今でも近寄りたくないです。私がどうにかするには、私の中に恐怖感、嫌悪感が強すぎます。離れて冷静に分析すると彼は「びびり」弱い人間だったと思えます。少し私が大きな声を出して、問いただしただけで薬の量を倍にしなくてはいけませんとか、そして最終的に警官を使って抵抗も何もしていない私をねじ伏せ、麻酔を打って保護室と呼ばれる「独房」へと。ここには、その主治医だけでなく精神病者を取り巻く精神医療の古さ、間違いが多分まだ多く存在する問題が有ると私は考えています。病に掛かった人に対して健康な人が何を出来るか?これは親達も病に掛かりいずれ死に、子を残すと言う今日の主題にも深く関わって居ると思います。看取り、子は親を看取るのが自然の順番です。そんな時に親として或いは子としてどうすれば良いのか?それぞれが優しさを大事にお互いを理解しようとして何かをはぐくもうとしていたら。ストレスに弱い精神病者と言われます。ストレスは適度さが大事だと言えます。この適度が難しい。死への準備。死ぬ側も看取る側も。私の場合は突然にそれが来て、そして、、、親戚が来て精神病院に連れていかれた。ここで、私の中に保護者に連れられて精神病院に行くと言う事は「入院させられる」と言うパブロフの犬みたいな「恐怖感」が有る事を告白します。自ら進んで入院した事も有りましたが、そして今では病院の状況も変わっているように思えますが、この「トラウマ」は消えてないように思います。それぞれの家庭によって事情は大きく違うでしょう。出来る事なら苦しみ少なく最期を迎えたいですね。一つ、お金は結構大事だとも思えます。働けず何も出来ないような状態だった私にとって少しばかりの保険金、そして弔慰金まで残してくれた母。ここで、金額が大きすぎる場合、人は金に溺れてしまう事もあるという現実も見てきました。多すぎてもいけないし少なすぎるのは辛い。環境の変化の中でやはり人はストレスを感じます。そのストレスが「死」を境に、様々に人を変えます。良いストレスとは?自らがした事それは、親も子もそれを時々は振り返りチェックして何が良くて何が悪かったのか?これは単純ではありません。良い面も悪い面もすべての事は持っています。ただ大事なのは想い合う事。本当に相手の事を見つめ親子とも距離をとる事。適度なストレスとは?私にとって、少しばかりの遺産、そしてある程度の楽しみも感じられた入院生活。そこには「衣食住」だけでなく人との関わり「縁」が有ったように思います。楽しい生活、苦しみの少ない生活それを続ける毎日の積み重ね。一時的に大きく変わってしまう事も有るかもしれません。「死」を迎えると言う事は、その関係性で様々な変化を生みます。距離を取って置く事も大事。しかし、やはり何か、良い関係で居ようとする事。それは、様々に時や状況によって変化します。今私は母のお墓参りをちゃんと出来てない自分を考えています。形式的に何かする事も、もしかしたら大事なのかもしれません。ただ、日々感謝の気持ちを持てるような毎日さえ送れればきっとそれは未来の何かになると思います。苦労は買ってでもしろと言う言葉が有ります。無理せず、空回りしないようその時々に応じて。ただ、感謝の日々を続けられるとイイですね。私は、うかつ者で何かしらおろそかにしてしまいやすいですが、出来る限り、無理せず、母への感謝を抱いています。70を過ぎても女手一つで働いて私を養ってくれていた母。親の姿を見て子は育つとも言います。何よりも感謝し合える関係で居たいですね。