母の日において
約7年ぶりの日記記入です。今日は母の日だと言う事に気付いて書いています。生きていれば100歳の母。生前から私が母の日に何かした事、と言うか常にでもありますが、母の為に何か出来ていたのか?少し大きくなった頃に、母から「小さな頃に揉んでもらったのは気持ち良かったけど、ツボを外すようになったね」と言われた記憶が。そして、何か出来たという記憶を辿れません。震災で隣の部屋で母は死に、多分母の鏡台が支えと成って、8時間以上埋まっていたのに無傷で助かった私。何度か考え思ったことがあります。私でなく母が助かっていれば、、、、、この2023年に100歳として母が生きていたか?震災で助かっていてもそれは難しかったような気がします。って、過去形を使う日本語の用法で違和感を感じる私が、違和感を感じる使い方をしてみました。母はしばしば自分の親、つまり私の祖母の享年まで生きられるかどうかと言った事を口にしていました。それは越して生きた母。私は母の享年72まで後10年、生きるでしょうか?と言うか結果、母が生き延びていても知り得なかっただろう2023年と言う現在。田舎の貧乏な家で育って戦争を経験した母が知らなくて良かった軍備増強の日本の現在。私は生きています。あの時、母が私の代わりに生き延びていてくれたら。その想いを強く感じもしながら、私はそれでも生きて現在に至り、中途半端でどうしようもない結果を多く残してきている。ただ、その結果を、どうしようもない自分を抱えてこれから私は生きていかないと駄目なそんな想いが今はしてます。どうしようもなく、母が助かってくれていたらと思いますが、何もできない私がせめて出来る事は、どうしようもない自分を見つめ、中途半端な結果を残した過去を鑑み、その重荷を何かに昇華出来るように、、ただ、今は自分をきっちり見つめる事だと考えています。小学生の頃から奉公して死ぬまで働いた母。還暦を迎えたその人生の内ちゃんと働いた経験は殆ど無い私。母を見習って頑張った気がする時期も少しは有ったように思ってはいますが、母の20/1くらいでしょうか?!何故私でなく母が助からなかったのかどうしようもない疑問ですが、思います。そして、生き延びて何が出来たかと問われると中途半端な事ばかり。今からそれをどうにかは出来ない事ばかりで、その重荷を抱えて、自分を見つめ生きて行こう。これからもやっぱり何も出来ないと言う未来が見えますが、それでも生きていかないと。母の日に、母を想ってと言うより、自分を想って書いてみました。私には、もう何も出来ない事が多すぎます。